イギリス現代史入門(大学受験のための世界史特別講義)(2)

コンセンサスの変遷

戦後イギリスの政治史を「コンセンサス」という点から捉えようとする試みは、ポール・アディスン『1945年への道』を嚆矢としている。その後に歴史研究の対象として「コンセンサス政治」が注目されるようになるが、ここでいうコンセンサスとは、統治のスタイルと政策的連続性の面において、保守党と労働党という二大政党のもとで共通の理解が見られたということである。すなわち、政策の面では、第一に私企業による自由市場と固有化による公共企業体からなる混合経済、第二に、完全雇用政策、第三に労働組合を統治のパートナーとして組み入れていくこと、第四に福祉国家政策、第五に外交面における帝国からの撤退などである。

これらの政策の枠組みは、労働党のアトリー政権によってつくられたものであるが、その後、保守党への政権交代があっても継続されることになった。それは、ケインズ主義をもとにした社会民主主義的な政策運営であり、保守党バトラーと労働党ゲイツケルの名をとって「バッケリズム」と呼ばれた。しかし、こうした戦後政治のコンセンサスは、1970年代になると動揺をきたすようになる。「衰退」が認識されるようになって、保守党と労働党内部で既存エスタブリッシュメントとは異質の政治的分子が進出するようになり、戦後の社会民主主義的政策に疑義が提出されるようになったのである。

保守党の内部では、イギリス経済の衰退の原因をケインズ主義的な経済管理に見いだして、労働組合の交渉力を抑制して自由主義市場経済を導入する路線を追求していくニューライトが、また労働党の内部では、労働者による経営の民主的統制など社会主義路線の徹底強化することで、衰退経済に反転攻勢をかけようとする左派(ニューレフト)が進出していた。これらの異端分子によって戦後コンセンサスは挟撃され、このイデオロギー的分極化を背景として、1970年代は党内外におけるヘゲモニーをめぐる争奪戦が繰り広げられていった。その標的としての戦後体制の「コンセンサス」という言語が発明されたのも、こうしたコンテクストであった。

1969年の総選挙では、サッチャーが率いる保守党が勝利した。サッチャリズムは、「信念の政治」を掲げて対決型の政治スタイルを追求し、統治様式としての戦後のコンセンサス政治に取って代わろうとした。経済政策としては、公営企業を民営化することによって公共セクターを縮小し、労働組合の力を削減することで完全雇用を破壊し、普遍主義的原理による社会保障体制を攻撃して福祉国家に楔を打ち込もうとしたのである。

この新自由主義的政策は、製造業から金融サービス部門へ経済の重心を移動させ、失業や社会不安などを伴いながら、イギリスの社会構造を変化させていった。この金融サービス中心の経済は、1990年代になるとリーマンショック(2008年)に至るまで経済の成長軌道を作り出し、新自由主義を政策的コンセンサスとしていったのである。

1997年に労働党は、「第三の道」を掲げるブレアのもと政権に返り咲いた。ブレアのいう「第三の道」とは、サッチャー流の新自由主義とも、伝統的な社会民主主義とも異なる中間路線をとるという意味合いであった。「社会投資型国家」としてサッチャリズムとの断絶を強調することもあるが、自由主義経済を是認し、完全雇用や労働組合との関係という面では、福祉国家への回帰を唱えているわけではないので、サッチャーの政策を継承しているようにもみえる。その点で、新自由主義的コンセンサスのもとで政策を遂行しているといえる。

本稿では、戦後史を社会民主主義的なコンセンサスとサッチャリズム以降の新自由主義的コンセンサスとの二つの時期にわけ、後者のコンセンサスのもとでの政治経済体制が動揺をきたしているという現状認識に基づいて、歴史的検討を加えていきたい。

空間認識としての四つのサークル

1948年にウィンストン・チャーチルは、イギリス外交の基本路線として、「三つの輪」なる議論を提唱した。

変転していく人間の運命のなかで、我が国の将来を展望してみると、自由諸国民と民主主義国家のなかで三つの大きな輪(サークル)の存在を感じざるを得ないのです。最初のものは、英連邦(コモンウェルス)と帝国であり、次なる輪は、英語圏であり、イギリス、カナダ、英自治領、アメリカ合衆国が重要な役割を果たしている。最後のものは統合されたヨーロッパであります。これら三つの荘厳なる輪が共存し、結び合わされれば、それらに何かを加えたり、介入することのできる諸勢力や同盟など存在しえないのであります。

そこで、第一の輪は「コモンウェルスと帝国」であり、第二は「英語圏の世界」、とりわけアメリカ合衆国、そして最後は「統合されたヨーロッパ」であった。チャーチルは、これらを「三つの連結した輪」として、イギリスは「その三つのそれぞれにおいて重きをなす唯一の国です。実際、私たちはまさにその接合点に位置しているのです」と述べていた。

「三つの輪」という理論は、イギリスが大国として地位の維持するための戦略上の空間認識として、チャーチルによって提出された視座であった。「三つの輪」は外交政策として構想されたものであるが、歴史を捉える際にも有効な視座を与えてくれる。総力戦を戦い抜くも覇権国から凋落して、アメリカにその地位を譲る。インド・パキスタンの独立、スエズ事件、ローデシア紛争での帝国の終焉を経験。ヨーロッパとの関係の模索。こうした戦後イギリスの国際関係の歴史は、「三つの輪」のなかでの適応と調整から構成されているといっても過言ではない。

こうした国際関係上のイギリスの地位や役割の変化は当然のごとく、国内関係にも大きな影響を与える。1973年に歴史家ジョン・ポーコックは、帝国・コモンウェルスの盟主としての立場を放棄するかのようにヨーロッパ統合を進めるイギリスの新たな歴史的状況に対応して、「ブリテン史」という視座を提出した。

ポーコックは、帝国の終焉たるニュージーランドの視点から、大西洋世界やアジア・アフリカへのイギリスの帝国主義的発展の物語に組み込まれた母国史に代わる新たな歴史像を追求しようとしたのである。それはまた、ブリテン島の歴史を、イングランド中心史観に代わり「ケルト辺境」と呼ばれてきたスコットランド、ウェールズ、アイルランドなどの諸民族(国民)との関係性を歴史として再構成しようとするものでもあった。

こうしたポーコックの視座はかつて歴史家ジョン・シーリーによて唱えられた「グレーター・ブリテン」の形成という帝国主義的な歴史観の逆転を意味している。1883年、シーリーは『イングランドの拡大』と題する著作において、ブリテン島のなかでイングランドの帝国主義的発展が「グレート・ブリテン(Great Britain)」を生み出したこと、次いで、交易、投資、入植、軍事力というかたちで世界中にブリテンの影響力が拡大して「グレーター・ブリテン(Greater Britain)」を形成したことについての考察を加えていた。ポーコックの視点は、帝国の崩壊によって、シーリーが描いたプロセスが逆に進みうる点を示すものであった。

戦後イギリスにおける脱植民地化の進展による帝国の解体は、ブリテン島の内部における地域ナショナリズムの勃興と表裏一体のものとして進行していった。1960年代以降、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地では、地域政党の台頭や文化保護運動の展開というかたちで、連合王国の統治が揺らいでいくことになる。

政治学者アンドルー・ギャンブルは、チャーチルの「三つの輪」の議論を若干修正し、イギリスの過去と未来を「四つの輪」からなる空間認識の中で捉え直すことを提唱している。帝国・コモンウェルス、大西洋を越えた英米関係、ヨーロッパ、そして連合王国内部という空間的視座が、イギリスの歴史や将来を考える上で必要とされているというのである。

本稿では、外交史や国際関係史の研究者にはなじみの深い「三つの輪」理論に若干の修正を加えて、ギャンブルの提唱する「四つの輪」という枠組みによって、戦後イギリス史のナラティブ(物語)のひとつを構成することにしたい。

変容するアイデンティティ

イギリスは、階級社会であるということがよく言われる。貴族、中産階級、労働者階級などの諸階級によって社会が構成されているというのである。確かに。、アイデンティティとしての階級は、経済的意味ならず文化的意味を含んだ指標として機能してきたといえよう。しかし、その中で、労働者階級が独自の文化を持つという考えは決して新しいものではなかった。

19世紀にマシュー・アーノルドは『文化と秩序』(1869年)を著して、労働者階級文化をアナーキーな状態にある「無秩序」と捉え、エリート文化によるその教導・馴致を目指していた。戦間期には英文学者F・R・リーヴィスが、イギリスの地方の有機的共同体の衰退を嘆きつつ、英文学による文化的伝統の復権を唱えたが、そのときにも同じくエリート文化が念頭に置かれていたのである。

1959年の講演で、科学者でもあり小説家でもあったC・P・スノウは、戦後のイギリスの知識人の営みが、科学的・物質主義的文化と文学的・美学的文化との「二つの文化」に引き裂かれているとした。前者を犠牲にして後者を優遇してきたことが、イギリスの伝統であったというのである。この議論は、リーヴィスによって批判されることになるが、リーヴィスにもスノウにも欠けていたのが、労働者階級の文化を見るまなざしであった。

1950年代には、『文化と社会』(1958年)を著したレイモンド・ウィリアムズのように、文化の複数性を唱えて、労働者階級文化を捉える視座が提出された。リチャード・ボガードによる労働者文化についての優れたルポルタージュである『読み書き能力の効用』が出版されたのも、1950年代のことであった。

さらにいえば、戦後イギリスの歴史学を代表する作品であるエドワード・P・トムスンの『イングランドの労働者階級の形成』(1963年)は、階級意識の歴史的期限を探求しようという意図のもとに執筆された作品であった。これらの著作は、のちにカルチュラル・スタディーズという学問に定式化されていく知的潮流の起源として位置づけられるが、そこでは、階級、とりわけ労働者階級の諸問題を浮上させることにおいて大きな貢献があった。いずれにしても、「階級」は常に、ジャーナリズムやアカデミズムにおいて中心となる位置を占めてきたのである。

イギリス現代史入門(大学受験のための世界史特別講義)(3)

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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