中学受験、高校受験、大学受験に出てくる小説(国語/現代文)

00 前書き

中学受験や高校受験、大学受験に出てくる国語・現代文・小説文を原文を引用しつつ、場合によっては読解ポイントについて触れていきたいと思いますが、読解の仕方については「こちら」にあるので、ここでも時には触れていきますが、それよりは小論文や作文対策にも繋がるような教養へ繋がる話をしていきたいと思います。こちらで紹介されている小説や評論文などでもし興味を持ったものがあれば、是非原書(英語版とかドイツ語版みたいなのは紹介せず、原則として日本語で書かれたものをベースに紹介しておりますので、お気軽に原典をお探しくださいませ)に当たって見て頂けますと幸いです。

これは私の持論にもなってしまいますが、国語というのは、受験での解法テクニックを除いて考えれば、まさに読書体験であり、自分がこれまで見聞きしたことがない未知の分野を知る道しるべとなる体験を積ませてくれる科目です。実際、武蔵野個別指導塾でも中学受験(通称、「中受」といいます)でよく取り上げらる若手の芥川賞候補作品の小説などに小学生が触れて、そのみずみずしい感性に触れ、私を含む保護者世代にまかり通っていた「正解主義」に疑問を抱くようになったり、世の中のニュースや報道、テレビ番組などの意見ばかりが正しいわけではないと感じたり、短絡的な思考や決めつけ、常識、悪しき慣習などに疑問を感じるようになったりします。

たとえば、昨今では、小学生などの授業でもSDGsが取り上げられたりしますが、何でもかんでもSDGsが正しいのか盲目的に信じるのではなく、国語の課題文で、東京大学助教授の齋藤幸平さんが「SDGsは『大衆のアヘン』である!」(斎藤幸平『人新世の「資本論」』というような主張が紹介されているのに目を輝かせたりしている生徒の姿を目の当たりにすると、やはり国語/現代文の可能性というのは、受験より大切な何かを伝えてくれる科目だと実感する次第です(彼の文章がよく中学校受験の評論や高校受験、大学受験の評論文でもよく出るようになってきましたね)。では、早速、前書きとして彼のその文章といっても、これもそれこそ彼の『人新世の「資本論」』の前書き部分なのですが、これから紹介していきましょう。

01 SDGsは「大衆のアヘン」である!

温暖化対策として、あなたは、なにかしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバックを買った?ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている?車をハイブリットカーにした?はっきり言おう。その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害でさえある。なぜだろうか。温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ。良心の呵責から逃れ、現実の危険から目を背けることを許す「免罪符」として昨日する消費行動は、資本の側が環境配慮を装って私たちを欺くグリーン・ウォッシュにいとも簡単に取り込まれてしまう。では、国連が掲げ、各国政府も大企業も推進する「SDGs(持続可能な開発目標)」なら地球全体の環境を変えていくことができるだろうか。いや、それもやはりうまくいかない。政府や企業がSGDsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。かつて、マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。アヘンに逃げ込むことなく、直視しなくてはならない現実は、私たち人間が地球のあり方を取り返しのつかないほど大きく変えてしまっているということだ。人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞しゃんパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したと言い、それを「人新世(じんしんせい)」(Anthropocene)と名付けた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。実際、ビル、工場、道路、農地、ダムなどが地表を埋めつくし、海洋にはマイクロ・プラスチックが大量の浮遊している。人工物が地球を大きく変えているのだ。とりわけそのなかでも、人類の活動によって飛躍的に増大しているのが、大気中の二酸化炭素である。ご存じのとおり、二酸化炭素は温室効果ガスのひとつだ。温室効果ガスが地表から放射された熱を吸収し、大気は暖まっていく。その温室効果のおかげで、地球は、人間が暮らしていける気温に保たれた。ところが、産業革命以降、人間は石炭や石油などの化石燃料を大量に使用し、膨大な二酸化炭素を排出するようになった。産業革命以前には二八〇ppmであった大気中の二酸化炭素濃度が、ついに二〇一六年には、南極でも四〇〇ppmを超えてしまった。これは四〇〇万年ぶりのことだという。そして、その値は、今この瞬間も増え続けている。四〇〇万年前の「鮮新世」の平均気温は現在よりも二~三℃高く、南極やグリーンランドの氷床は融解しており。海面は最低でも六m高かったという。なかには、10~20mほど高かったする研究もある。「人新世」の気候変動も、当時と同じような状況に地球環境を近づけていくのだろうか。人類が築いてきた文明が、存続の危機に直面しているのは間違いない。近代化による経済成長は、豊かな生活を約束していたはずだった。ところが、「人新世」の環境危機によって明らかになりつつあるのは、皮肉なことに、まさに経済成長が、人類の繁栄の基盤を切り崩しつつあるという事実である。気候変動が急激に進んでも、超富裕層は、これまでどおりの放埒な生活を続けることができるかもしれない。しかし、私たち庶民のほとんどは、これまでの暮らしを失い、どう生き延びるのかを必死で探ることになる。そのような事態を避けるためには、政治家や専門家だけに危機対応を任せていてはならない。「人任せ」では、超富裕層だけが優遇されるだろう。だからより良い未来を選択するためには、市民の一人ひとりが当事者として立ち上がり、声を上げ、行動をしなければならないのだ。そうはいっても、ただ闇雲に声を上げるだけでは貴重な時間を浪費してしまう。正しい方向を目指すのが肝腎となる。この正しい方向を突き止めるためには、気候危機の原因にまでさかのぼる必要がある。その原因の鍵を握るのが、資本主義にほかならない。なぜなら二酸化炭素の排出量が大きく増え始めたのは、産業革命以降、つまり資本主義が本格的に始動して以来のことだからだ。そして、その直後に、資本について考え抜いた思想家がいた。そう、カール・マルクスである。

斎藤幸平『人新世の「資本論」

冒頭でも紹介したように、昨今は小学校の授業でもSDGsへの取り組みなどを学習します。そして、武蔵野個別指導塾に通ってくれる生徒さんの中には、高校三年生で総合型選抜試験で大学受験を突破しようとする生徒さんが多いですが、小学生ならともかく、高校三年生の生徒さんでも素朴な顔をして「高校時代に取り組んできたこと」を志望理由書に書く際などに「高校時代に取り組んできたことかあ。環境問題に配慮してマイボトルを持ち歩くようにしたことかな、よし、それについて書いて、自分がいかに環境問題やSDGsに興味関心が高いかアピールしよう」などと授業前に言ってくる生徒さんは少なくありません。少なくとも私は高校三年生の総合型選抜試験対策の生徒さんだけではなく、高校受験の推薦の作文対策や、都立入試の作文対策で同じようなことを書こうとしたした生徒さんを男女問わず数多く見てきました。

もちろん、彼ら(彼女ら)がマイボトルを持つことも、環境問題に関わりを持とうとする姿勢それ自体が悪いというわけではありません。しかし、小学校から高校に至るまで彼ら(彼女ら)が受けてきた教育の中身というのは、このレベルでしかないと改めて残念に思わずを得ませんし、私も大人の知り合いで「必死に環境問題に取り組んでいると言って、ゴミの分別に躍起になっている」人も少なくありません。こうした努力が無意味だけに終わるのなら良いのですが、斎藤幸平が指摘する通り、その善意は有害にさえなり得ることの可能性を考え、ニュースや新聞でちらみしたレベルでモノを考えたり、行動するのではなく、本当に学び、危機意識を持って、本気で取り組むことの大切さを知ってほしく思います。

次は、私は仙台が実家なのですが、仙台在住の作家として名高い伊坂幸太郎の小説『逆ソクラテス』を紹介しましょう。

02 『逆ソクラテス』から「非オプティマス」

『逆ソクラテス』は、伊坂幸太郎のデビュー20周年の記念作品であり、第33回柴田錬三郎賞受賞作です。伊坂幸太郎といえば、最近、ハリウッドでも『マリアビートル』が映画化されてもいますね。さて、この『逆ソクラテス』におけるソクラテスはあのギリシアの哲学者のソクラテスのことですね。オプティマスは説明がないと分からないと思いますが、映画『トランスフォーマー』に出てくる『戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー』の登場人物、サイバトロン軍総司令官コンボイ(オプティマスプライム)のことです。これは、むしろお子さま世代よりも保護世代の方の方が知っている方も少なくないかも知れません。逆ソクラテスとは、何でも知らないというソクラテスの反対、何でも知っていると思うことを比喩しており、このオプティマスはトランスフォーマーなので、姿や形を変えるのですが、これの否定形ので、相手によって姿形を変えないということをテーマにした短編となります。

床に物が落ちる音が聞こえる。おなかがぎゅっと縮む。まただ。

黒板に問題文を書いていた久保先生が振り返る。

騎士人(ないと)はしれっと、筆箱を拾った。缶ペンケースだ。大きな音を出してごめんなさい、と申し訳なく感じている様子はゼロ、わざとやっているのだから当然だろう。

久保先生は何か言いたげだったが、板書に戻る。

すると別の場所で缶ペンケースが落ち、床とぶつかり音を立てた。

久保先生が振り返ったタイミングで、また別の缶ペンケースが落ちる。

げんなりする。

騎士人たちが楽しんでいるのは分かる。授業を妨害し、困る久保先生を見て、愉快に感じているのだ。

やるなら勝手にやればいいと思うけど、授業が進まないのは迷惑だ。騎士人たちは進学塾で勉強し、しかも中学受験を見据えて先の先まで学んでいるから、問題ないのだろう。けれど僕たちからすればたまったものじゃない。

「落とさないように気をつけて」久保先生が言った。

うらなり、という言葉を誰かが見付けてきた。辞書を引くと、顔色が青白く元気がない人、と書いてあったけれど、久保先生はまさにそうだ。若いのに、元気がまるでない。大学を卒業したばかりで、今年うちの学校に赴任してきたといから、小学校教師としての経験はほぼゼロ、頼りないを絵に描いたような先生だった。

「新任の先生だったら、はじめはもっと下の学年を受け持つべきじゃないのかな」お母さんがこの間、ぼそぼそと言っていた。「言っちゃ何だけど頼りなさそうだし。五年生相手に、ちゃんとやれるのかなあ、あれじゃあ、子供たちに舐められちゃうよ」

既に舐められている。そう言いたいのをこらえた。

「だって、最初の保護者会の時なんて、わたし、びっくりしたんだから」

「どうして」

「最初はまだ良かったんだけれど、途中で急に黙っちゃって」

「何だそれは」お父さんが眉間に皺を寄せた。

「たぶん、お母さんだけじゃなくてお父さんたちも少しいたから、萎縮したんじゃないの」

「おいおい、さすがにそれは」

「何でまた高学年の担任なんだろうね。まだ、タカオの先生のほうがしっかりしている」

弟のタカオは二年生で、担任は若い女の先生だったけれど、確かに久保先生よりははきはきして見えた。

当のタカオは、僕と両親の話など興味がないのか、タブレット端末のゲームをやっているのだから、のんきでいいなあ、と羨ましくなる。

「まあ、学校と言ったところで、会社と同じだろ。誰かをどこかに配置しないといけない。社員は限られているし、優秀な奴に掛け持ちさせるわけにはいかない。どこかにしわ寄せはくる」お父さんはいつも、何を言っても怒っているようだった。「最近は何かというと、体罰だ、暴力だ、って騒がれるから先生も大変だよな。俺たちが子供のころは、すぐに引っぱたかれたし、子供はそうやって学んでいくんだ」

「それはそれでどうかと思うけれど」

「舐められたらおしまいなんだよ」

「あ、将太、そういえば転校生はどう?保井(やすい)君だっけ。馴染んでいる?」

保井福生は五年生になって都内から引っ越してきた。身体は細く小柄だった。三角形を反対にしたような顔で、口が尖っている。

「ああ、転校生か」お父さんも、お母さんから前に話を聞いていたのだろう。「いつも同じ服なんだろ」

常に安そうな服を着ているから「やすいふくお」と騎士人たちにからかわれたことがある。安いかどうかは分からないが、彼の服装はいつも一緒で、おまけに生地がひどく薄かった。沖縄土産なのだろうか、「OKINAWA」とロゴが入っているのだあ、それすらほどんどかすれて、見えない。何回洗っているのかと知りたくなるほどだ。服くらい買えばいいのに。女子の誰かが言ったことももあった。僕も同じ気持ちになったが、安い高いの感覚は人それぞれ、家庭によって異なるのも事実だろう。

福生も、「あのさ、僕の服は、安いだけじゃなくて薄っぺらいの。だから、もし名前を合わせるなら、ヤスイ・ウスイ・フクオって名前じゃないと駄目じゃいか。ミドルネームも入れて」と妙な反論をするくらいだから、タフだった。

その福生が今、声を上げた。廊下側の一番前の席で急に立ち、振り返ると、「勘弁してよ。あのさ、缶ペン落として何が面白いわけ」と尖った口をさらに尖らせる。

「何だよ福生」と騎士人がへらへら言い返した。

「真面目に勉強したい僕たちが迷惑するんだから」

一瞬、教室内がしんとなり、久保先生もまじmじと福生を見た。

「授業時間がどんどん減るし、お金を返してほしい」保井福生は溜め息まじりに首を振る。

少ししてからあちこちで、「お金って何の?」「給食費?」「小学校ってお金払っているんだっけ」と戸惑いながらのやり取りが起きた。

「何だよ、保井、偉そうに」

「偉そうにも何もないだろう。缶ペン落としをするなら、家に帰ってやればいいだろ」

「わざとじゃないんだよ。落ちちゃったんだからしょうがないじゃないか」

二人ともやめろ、と久保先生は軌道修正をはかるが、感情のこもらないぼうっとした言い方で、団扇で優しく風を起こすような力しか無い。軌道を正すつもりなんてないのではないか。

「まあ、とにかく授業を進めよう」久保先生が気を取り直すように言った。「せっかくだから福生、教科書、読んで」

福生は、「はい」と返事をすると椅子に腰を下ろし、「あ、そういえば、教科書忘れていたんでした」と続けた。

呆気にとられるとは、このことだ。真面目に勉強する気、ないだろ!誰かが言った。久保先生もさすがに苦笑いしていた。

まさか福生との距離がその日、縮まるとは思ってもいなかった。

学校が終わり、塾へ向かう時に学区内の児童公園を通りかかると、福生がいたのだ。

例の、薄くなったTシャツで、腰を屈めて公園の端の花壇を覗き込んでいる。いったい何をしているのか。気にはなりつつも塾に間に合わないためそのまま通り過ぎたところ、帰り道、ほとんど日が落ちている中に、彼のその白いTシャツが光って見えたものだから驚いた。まだいるのか。

「何やっているの」

「ああ」彼は顔をくいっと傾けた。「面白い虫探しただけだよ」

「面白い虫、いるんだ?」

「それを探しているんだって。将太は?」

「塾」と手提げバッグを掲げる。「福生は習い事とかないの?」

「うちは無理だよ。お金がない。」と彼は清々しいばかりに言い切り、「ということになっている」と気になる表現を加えた。

「なっている、とは」

「これは世を忍ぶ仮の姿」福生はすらすらと言う。

世を忍ぶ仮の姿、とは聞いたことののあるフレーズに思えたが、何を意味しているのかはすぐにぴんと来ない。

「みんなは僕を貧しい家の子だと思っている。馬鹿にしている」

「そういうわけじゃないと思うけど」

「少なくとも、軽んじているだろう。だけど、それは仮の姿なんだ」

「実は金持ち?」

「かもしれないよ」保井福生はうなずくが、明らかに目を背けており、無理をしているのが分かる。

「違うのか」

「今は違っても、将来的には裕福になるかもいれない。そうだろう。今は仮の姿なんだから。トランスフォーマーって知っているでしょ。映画にもなった」

「車が変形してロボットになる奴だ」

「正しくはそうじゃないけどね。あれはサイバトロン星から来た宇宙人で、車に化けているだけなんだ」

「ああ、そう」何が違うのか。

「司令官オプティマスは、オプティマスプライムは普段、トレーラーの形をしているけれど、いざという時には」

「福生も変形するってこと?」

「譬えの話ね。そうなったら、今、僕のことを馬鹿にしている人は気まずくなるだろうね」

「そうかなあ」

そこに短く甲高い音がした。

僕たちのいるすぐそば、道路で自転車が停まったのだ。すっかりあたりは暗くなっており、僕はびくっとしたが、自転車に乗っているのはどこかで見た顔だった。目を凝らすと同級生の潤(じゅん)だったと分かる。顔が光り、さらに手で目のあたりを拭っているため僕は動揺した。

「潤、何で泣いているんだよ」福生は気を遣うことなく、直球で訊ねる。

まさか暗い公園に同級生二人がいるとは思ってもいなかったのだろう、潤は小さく悲鳴を上げ、危うく自転車ごとひっくり返りそうになっていた。というよりもほとんど、ひっくり返った。大きな音が鳴って、周囲を見渡してしまう。

僕と福生で、潤をひっぱり上げた。

何をしているんだよこんなところで。僕は塾の帰り。僕は虫を。虫?といったやり取りを経た後で、福生がもう一度、「何で泣いていたんだよ」と訊ねた。

「デリカシーがない」僕が指摘する。

「でも、泣いていただろ」

「親と言い合いになっただけなんだ」潤がぼそっと言った。

「親?お母さんと?」

「うちはお父さんしかいないから」

へえ、と僕は言った。棒読みのような、関心がなさそうな返事になってしまったのは、どう応えるのが正解なのか分からなかったからだ。潤が小さい時に離婚したらしい。子供は、親のどちらかと暮らすのだとすれば、母親のほうではないかと僕は思い込んでいた。

「そういえば、前に会ったよね。潤のお父さんと」と思い出す。

一年ほど前だったか家族でDIYショップに行ったところ、潤とお父さんがやはり買い物に来ていたのだ。体が大きく、運動の出来る潤の親だけあって、やっぱり運動が得意そうだなあ、とぼんやり感じたのを覚えている。

「そうだった」潤もうなづく。

「お父さん、大変なんだろうね」子育てがどのようなものなのか知らなかったが、二人で協力してクリアするゲームを一人で操作するならば難易度は上がるだろう、と想像できた。

「大変だけど、あんなに暗い顔をして、ちょっとしたことでめちゃくちゃに怒ってくるんだから、たまったもんじゃないよ」潤は視線を逸らした。叱られて、家に父親と二人きりでいるのが耐えられなくなり、自転車でふらふら出てきたようだ。

「潤、大事なことを忘れている」福生がまた偉そうに言った。

「何を」

「親だって人間だ」

「知っているって」

「人間が完璧じゃないってことも知っているだろう。腹が立ったり、困ったり、悩んだりもする。『えー、何でそんなことするの?』って思うようなことをしちゃう。どう考えても損なのに、ってこともするんだよ」

「そういうものかな」

福生の言い方は断定的で、反発したくもなるけれど、確かに、すぐに捕まるのに殺人をしてしまう人がいるのも事実だ。みんな、かっとなったり、うわっとなったり、もうやだっとなったりして、しなくてもいいことを、しないほうがいいことをやってしまう。

「潤のお父さんも時には、当たりたくなるんだよ」福生は言った。「嫌なこととかつらいことがあると、何かのせいにしたくなる。そういうものでしょ」

「自分が転んだ後で、近くにある石を蹴っ飛ばしたくなったり?」

「そうそう」

「俺は石かよ」潤が呆れたように笑い、その後で、「じゃあ」と自転車に乗った。

「僕も帰るよ。福生もそうだろ」

潤の自転車はすぐに見えなくなった。それから、僕と福生と潤の三人で話をすることなんて今までなかったなと思った。和食と洋食と中華料理が一緒に並ぶようなものだ。

「潤にもいろいろあるんだなあ」僕は呟いていた。運動ができて背も高い潤は、クラスでもみんなから一目置かれている。毎日が楽しいだろうと勝手に想像していたが、実際は違うのだろうか。

「そりゃ誰にだってあるでしょ」

「でも騎士人にはないんじゃないの」

僕の言葉に、福生は意外にもうなずかなかった。「あいつだって悩みはあると思うよ。」

そういうものなのか。

(中略)

そして学校公開の日だ。国語の授業で各班ごとにまとめた「自分の考え」なるものを発表することになっていた。

教室の後ろには、保護者が並び、僕のお父さんも時間通りに来ていたし、去年までに比べると、お父さんの人数が多いように感じた。うちと同じように、頼りない久保先生をチェックするつもりのかもしれない。

結局、僕と福生は、騎士人たちのたくらみ、といっても缶ペンケースを落として授業を邪魔するくらいの計画だけれど、そのことを先生に事前に告げることはしていなかった。

あの夜のことがあって、何だかそれどころではなくなった、というか忘れていた、というのが真相だが、そのことを思い出したのは、実際に缶ペンケースが落ちた時だ。

発表が一段落した後で、がしゃん、と鳴ったのだ。板書していた久保先生が振り返る。目立つ音だったから、保護者たちも一瞬、体を固くしたのが、背中からも伝わった。

缶ペンケースを拾った子を見て、久保先生は何か言いたげだったが、また黒板のほうに向く。すると、別の缶ペンケースが音を立てる。

ああ、はじまった。

うんざりだ。同時に、恥ずかしい気持ちにもなる。これが、よく耳にする学級崩壊と呼ぶべきレベルなのかどうか、それは分からなかったけれど、自分たちがちゃんとできていないことを、お父さんたちに見られるのは、つらい。

「音が鳴ると、授業ができなくなるだろ。缶ペンケースは落ちにくいところに置き直しておくんだぞ」

今までの久保先生よりも、はっきりした注意の仕方だった。やっぱり久保先生はどこか変わったのだと僕は改めて思った。クラスのみんながたぶん、保護者が観にきているから先生が張り切っているだけだと思っていたかもしれない。

また、缶ペンケースが落ちた音がした。

あらまあ、と保護者の誰かが小さく声を発したようにも聞こえた。

騎士人の横顔を窺えば、唇の端を少し持ち上げて、得意げだ。騎士人の父親は来ていない。朝、教室中に聞かせるような口ぶりで、「うちのお父さん、たぶん間に合わないと思うんだよね。今日もテレビ局と打ち合わせがあるみたいだし。お母さんも忙しいから」と自慢げに言っていた。

仕事で忙しければ偉いのか、と問い質したかったけれど言えない。

久保先生が振り返ったところで、「先生、授業中に申し訳ないんですが」と聞き覚えのある声が、うしろから聞こえた。

みんなが体を捻る。

僕のお父さんだった。とても通る声で響く。「もっと厳しく指導してくださってもいいんじゃないですか?」丁寧な言葉だったけれど、言い方は強かった。

肩身が狭い、とはこういうことなのか。僕は体を小さくしたくなった。

保護者たちが少しざわざわする。

女の人の声が、「そうですよ、びしっとやってくれて構いませんから」と言った。

今まで発言を我慢していたのか、急に、親たちが喋りはじめる。

「私の子供のころなんて、授業中にふざけたら、引っぱたかれましたよ」別のお父さんが言う。

久保先生はそこで、穏やかに微笑んだ。

やっぱり前までとは違う。

「ありがとうございます」と答えると、チョークを黒板のところに置いた。手を軽く叩く。「じゃあ、せっかくだから、この後の授業はそのことについて話そうか」

僕たちを見渡す。

「今、みんなのお父さんとお母さんがいろいろ、アドバイスをしてくれました。確かに、私はまだ、先生になったばかりで分からないことだらけだから、ありがたいです。大事なお子さんを預けて大丈夫か、と不安になるのも当然です」

先生は、正面、真ん中の位置に立った。

「今、授業中に缶ペンケースがいくつか落ちました。大きい音が出ると、授業の邪魔になる。だからやめてもらいたい。それは間違えないよね。困るから。もし、うっかり落としてしまっているのだったら、これは対策を考えなくてはいけない。落ちにくいところに置くように徹底するか、もしくは、布製に替えてもらうように規則を作るとか。ただ、わざとやっているとしたらどうだろう。わざと、缶ペンケースを落としている人がいたら、どうやってやめてもらうべきなんだろう」

いったいどういう話なのか。

「学校で習うことは、教科書やテストのための勉強だけじゃないんだ。それとは違う、答えのはっきりしないことについて、学んでほしい。だから、みんなにも考えてほしい。わざと、周りの人に迷惑をかける誰かがいたら、どうやって止めさせればいいんだろう」

久保先生はみなを眺めてはいたけれど、手を挙げるのを待っているようではなかった。

騎士人たちをちらと見れば、退屈そうな顔をしている。

「さっき、お父さんたちが言ってくれたけれど、がつんとやるのも一つの手だね。体罰と教育の違いは難しいけれど、誰だって、痛い目に遭うのは嫌だろ。だから、次はやらないようになる。痛くしたり、怖がらせたり、恥ずかしい目に遭わせて、教えていく方法もあるかもしれない。ただ、先生はそれじゃあ、ちゃんと解決はしないと思っているんだ」

暴力はいけないことだから?

「暴力は良くない!」久保先生は言う。「という意味じゃないよ。もちろん、暴力は良くない。ただ、もっと大事な理由は、それじゃあ通用しないことがあるからだ。たとえば、極端な話をすれば、めちゃくちゃ身体が大きい小学生で、先生よりもでかくて、筋肉もあって、先生がいくら思い切り、叩いても、跳ね返されたらどうする?」

女子の数人が小さく笑った。

「効き目はないだろう。先生が叩くことで、言うことを聞かせられるのは、相手が、自分より小さくて、歯向かわなくて、弱い場合だけ、ってことになる。先生がいくら怒っても、怖く思わなかったら?それに、もし先生がみんなを叩いたり、もしくは、恐ろしい言葉と恐ろしい声で叱って、それをやめさせたとしたら、君たちはどう思う?将来、自分が大人になった時も、ああやればいいんだな、と思う。だけど大人になって、会社に入って、物事をビンタや怒鳴り声で解決できることなんて、そんなにないんだ。たとえば、さっき、びしっとやってもいい、と言ってくれたお母さんがいましたが」

久保先生は教室の後ろ側を見る。

「もし、その子のが取引先の子供でも、叩くことができます?」先生はすぐに笑う。「いや、これは冗談です。ただ、相手によっては、びしっとやれない場合もあるかもしれない。世の中に出たら、通用しないことは多いんだ。で、これは覚えておいてほしいんだけれど」

久保先生は難しいことを言っているわけではなく、どちらかと言えば、曖昧な話をしているだけだったけれど、僕は少しどきどきしはじめていた。

「相手によって態度を変えることほど、恰好悪いことはない」先生がまた歯を見せる。「相手が弱くて、力が通用しそうな時は、ビンタするけれど、相手が屈強だったり、怖い人の子供だったら、ビンタはしない。そんなのは最低だし、危険だ」

危険?とはどういう意味なのか。

「弱そうだからって、強気に対応したとするだろ。だけど、後ろでその相手が、実は力を持っていると分かるかもしれない。動物の世界の話ならまだしも、人間の、特に現代の社会では、人の持つ力は見た目からは分からないからね。だって、人間の強さは、筋肉や体の大きさだけじゃないだから。いつか自分の仕事相手になる可能性もあるし、お客さんになることもありえる」

保護者たちは黙っていた。呆れているのか、面倒くさいと思っているかは分からない。

「みんなに覚えておいてほしいことは、人は、ほかの人との関係で生きている、ってことだ。人間関係にとって、重要なことは何だか分かる?」

「お歳暮?」と言ったのは福生だった。

彼は真剣だったかもしれないけれど、みながどっと笑った。少し、肩やお腹から力が抜けた。緊張していたのだと気づく。

「お歳暮、それもひとつ」久保先生がそんな風に軽快に、僕たちに言い返すのも初めて見た。「でも、あいつはいい人に見られたくてお歳暮を贈っている、とばれたらどうだろう?逆効果だよね。そういう意味では、一番重要なのは」先生は指を立てる。「評判だよ」

さっきよりは少ないけれど、また笑い声が出た。

「評判がみんなを助けてくれる。もしくは、邪魔してくる。あいつはいいやつだな。面白いやつだな。怖いやつだな。この間、あんな悪いことをしたな。そういった評判が、大きくなっても関係してくる。もし、缶ペンケースを落としているのがわざとだったとして、もしくは、誰かに無理やり缶ペンケースを落とさせるような、自分は手を汚さず誰かにやらせるような、ずるい奴がいたとするだろ」

クラスの何人かは、騎士人のほうに視線をやったはずだ。

「先生にはばれなかったとしても、ほかの同級生はそのことを知っている。だれだれ君は、だれそれさんは、授業中に缶ペンケースを落として授業を邪魔していたな、だれそれ君はずるがしこい奴だったな、と覚えている。いい評判とは言えない」

こんなに活発に、たくさん喋る久保先生が新鮮で、いったい何がどうなっているのか、いつもの教室だけれどいつもの教室ではない、そもそも親たちがたくさんいることがおかしいのかもしれない。現実がごちゃまぜになった夢を見ている気持ちになった。

「みんなは、まわりの人に迷惑をかけるのは良くないと分かっていると思う。迷惑をかけたくない、というのは、別に、いい子ちゃんでいたい、とかそういう理由ではないはずだ。群れで生活をしてきた人間の習性みたいなものだよ。群れの中だと、迷惑をかける人間は、仲間から外されていたはずだから、ほとんどの人間には、まわりに迷惑をかけたくないという気持ちがある。ただ、中には、わざと迷惑をかけようとしている人もいる。今の人の社会は、群れの中で少しくらい迷惑でも、すぐに仲間はずれにはしないからね、もちろんそれはいいことなんだけれど、そういう人は単にそれに甘えているだけなんだ。そういう人に、君たちは困らされるかもしれない。迷惑をかけて面白がる人に君たちが、良くないよ、といっても、彼らは変わらない。反省もしてくれないことが多い。だから君たちは心の中で、可哀想に、と思っておけばいい。この人は自分では楽しみが見付けられない人なんだ、と。人から物を奪ったり、人に暴力を振るったり、彼らは結局、自分たちだけで楽しむ方法を思いつかないだけの、可哀想な人間なんだよ。もちろんこのクラスにはそんな人間はいないけれど」久保先生が念を押すようにいうものだから、可笑しかった。「もし、平気で他人に迷惑をかける人がいたら、心の中でそっと思っておくといいい。可哀想に、って」

久保先生の言い方がなめらかで、しかも朗らかだったから、何となく明るい話に聞こえたけれど、内容自体は意地悪なものだ。僕はまた、混乱した。たぶん、ほかのみんなも同じで、もしかすると後ろにいるお父さんたちもそうかもしれない。

「悪いことをすれば法律で罰せられる。スポーツのルールもそうだ。だけど、その法律やルールブックに載っていないこともたくさんある。法律に載らないような、ずるいことや意地悪なこともある。そしてね、人が試されることはだいたい、ルールブックに載っていない場面なんだ。先生はそう思う。この間、先生が会った人は、自分が直接関わったわけじゃない出来事について、くよくよ悩んでいた。間接的にだけれど、自分のせいで誰かが傷ついたんじゃないかと苦しんでいたんだ」そういったときだけ、久保先生の声が湿ったように思えた。「先生はそのことに、大袈裟だけれど、少し感動したんだ」

語尾が濁り、久保先生が泣いているのではないか、と僕は心配になった。

「人間関係っていうのは意外に狭い。知り合いの知り合いが別の知り合いってこともあるし。間接的な知り合いが、実は直接知っている人ってこともある。俺には関係ない、と思っていたら、大変なことになることもある。缶ペンケースを落とすことは特別、悪いことじゃないけれど、間接的にみんなに迷惑をかけている。その時に、別に自分は法律に違反しているわけじゃないし、と開き直ることはできる。ただ、悪いことをしちゃったな、と思う人のほうが明らかに、立派だよ。そして、その立派さが評判を作る。評判が君たちを助けてくれる」

久保先生が言葉を止めると、また、教室内が静かになる。

「という考え方もできるだろう」久保先生が愉快げに続けた。「どう?先生がこんな風に、たくさん喋ったからびっくりしたかな」

(省略)

伊坂幸太郎『逆ソクラテス』

文庫の中の短編の一つを紹介しようとしましたが、途中思いっきり省略したり、最後は割愛するなどしても結構長い引用文となってしまいました。よく中学校受験などで、こうした短編を登場させるときに、うまい具合に中略や省略を行うのですが、あれって難しいと思います。もちろん、単純に中略や省略をすることだけなら簡単なのですが、その小説が持っている味を消さないように、むしろ、そのエッセンスだけをうまく残すように中略や省略をするのは手間がかかることでしょう。上の小説もう少し省略してもよかったのですが、私は、伊坂幸太郎の文体も好きなので、敢えてエッセンスとは少しほど遠い部分も残しました。

「学校で習うことは、教科書やテストのための勉強だけじゃないんだ。それとは違う、答えのはっきりしないことについて、学んでほしい。」というのは小説の言葉としてもいいですし、その後の久保先生の話も納得できる内容ですよね。「みんなに覚えておいてほしいことは、人は、ほかの人との関係で生きている、ってことだ。」というのは、まさに和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』が人間存在を間柄(人の間と書いて人間と書くことで)として捉え、ものではなく、デカルト的な主観主義的な個人主義ではなく、「自我」ではなく、「間柄」としての存在にその本質を説いたことにも繋がるような話ですね。どうしても近年、学校、とりわけ、進学塾や学習塾では、テストの成績を上げるだけのテクニックや訓練ばかりを強いるところが多いものです。

他の記事で、最近の中学受験にしろ、高校受験にしろ、大学受験にしても、求められているのは「解法」や「テクニック」や「知識」といった正解主義ではなく、情報を編集する力であったり、自分の頭で考え抜く力を問われるような問題が増えつつあります。理由はいわずもがなで、そういうことはもはや人間ではなく、コンピューター、強いてはAIがやってくれるからですね。最近では、プログラマーではなく、AIにプログラムを組むあらすじを指示するプロンプトエンジニアなる職業が登場し、米国などではかなりの高給で雇用されたりするそうですが、プログラムを組んだり、プログラムの間違えを探したり、あるいは早くプログラムを組むといった力はもあはや人間がすることではなくなってきているのかもしれません。まさに、今の時代こそ、久保先生が教えてくれるような教科書やテストのためだけではないことを学ぶ必要が高まっているわけですね。

03 読む力 最新スキル大全

これは、佐々木俊尚さんの今売れているビジネス書です。正確なタイトルは『現代病「集中できない」を知力に変える 読む力 最新スキル大全』というものですが、あざといというか、やや自己啓発本にありがちなタイトルになっていて、タイトル名を挙げるのは少し格好悪い感じですが、悪くない本です。彼は1日におよそ1000本近い記事をザッピング(流し見すること)しているそうです。1週間とか1ヶ月じゃないですよ。たった1日に1000記事です。大体平均的な記事で1000~2000文字くらいというのが、CHATGPTの回答だったので、仮に間を取って、1記事1500文字としても、1500×1000=1,500,000文字を1日に読んでいるわけですね。150万文字といわれても想像がつかないので、これもCHATGPTに聞くと、大体「J.K.ローリングの「ハリー・ポッター」シリーズ:全7巻の合計文字数は約100万文字以上になります。」とのことですので、ハリー・ポッターシリーズ全巻を毎日通し読みしているようなものだということになります。とはいえ、同じ物を読んでいるわけではないので、よりイメージしやすくするには、普通の新書を想像するとよいかもしれません。新書は大体10万文字くらいなので、新書を1日に15冊は読んでいるようなものですね。こう言い換えると、ハリー・ポッターよりもなんだか現実的で、「まあ、それならあり得るかな」と思ってしまえるからあ比喩表現というのは怖いですが、それにしても、それでもかなりの情報量を毎日処理されている方ですよね。私は読書家で、仕事が忙しくない日などなら、1日1冊くらい300~400ページくらいの本を読み切りますが、それを文字量に換算すると30万文字程度くらいでしょうか。少なくとも私の五倍、しかも毎日その情報量を処理しているわけですね。

とまあ、こういう風に書くと「俺(わたし)は活字苦手だし」「そんな読書好きの連中と比べられても」とか「いや、無理だから」と思われてしまいそうですが、佐々木俊尚さん曰く、今のデジタルネイティブ、まさにスマホ時代に集中力が続かず読書が苦手、5分くらいしか読み物なんて読んでられない方でもそういう情報量を処理できる方法を紹介するというのが本書の一番のセールスポイントのようです。また、2024年は、元旦から震災、二日目に羽田空港で旅客機と自衛隊機の衝突事故で航空機炎上という事故が連続した年ですが、このような時代、インターネットには「良質な情報」がたうさんある一方で、同時に陰謀論や怒りや誹謗中傷などの「おかしな情報」も大量にあります。そこからどうやって「良質な情報」だけを集めるのか、あるいはそこへアクセスできるのか、それこそが今決定的に重要な時代になっていると筆者は説いています。確かに、武蔵野個別指導塾の生徒さんでも旧2ちゃんねる(現5ちゃんねる)やYouTubeの情報を大量に摂取し、ウクライナ戦争について評論家顔負けに話し出す中学生がいる一方、彼は「ネットの情報は殆ど当てにならない」とも嘆いていたりして、そういう姿をみると、この高度情報社会において如何にして情報と上手く付き合っていくのか考えてみる必要は大いにあると思います。

04 神谷美恵子『生きがいについて』

大変有名な書物です。なので、評論文として国語の問題にであることは非常に少ないと思いますが、名著なので、紹介しておきます。神谷美恵子(1914年1月12日 – 1979年10月22日)は、日本の精神科医であり、哲学書や文学書の翻訳、エッセイの著者としても知られています。その彼女の代表作が、この『生きがいについて』です。

生きがいということばは、日本語だけにあるらしい。こういうことばがあるということは日本人の心の生活のなかで、生きる目的や意味や価値が問題にされて来たことを示すものであろう。たとえそれがあまり深い反省や思索をこめて用いられて来たものではないにせよ、日本人がただ漫然と生の流れにながされて来たのではないことがうかがえる。辞書によると生きがいとは「世に生きているだけの効力、生きているしあわせ、利益、効験」などとある。これを英、独、仏などの外国語に訳そうとすると、「生きるに価する」とか、「生きる意味または意味のある」などとするほかはないらしい。こうした論理的、哲学的概念にくらべると、生きがいということばにはいかにも日本語らしいあいまいさと、それゆえの余韻とふくらみがある。それは日本人の心理の非合理生、直観性をよくあらわしているとともに、人間の感じる生きがいというものの、ひとくちにいは言い切れない複雑なニュアンスを、かえってよく表現しているのかも知れない。フランス語でいう存在理由(レーゾン・デートル)とあまりちがわないかも知れないが、生きがいというと表現にはもっと具体的、生活的なふくみがあるから、むしろ生存理由raison de vivre, raison d’existenceといったほうがよさそうに思える。(中略)生きがいを感じる心にはいろいろな要素がまざりあっている。これをもしざっと感情的なものと理性的なもののふたつに分けるならば、生きがい感の形成にはどちらが重要であろうか。りっぱな社会的地位につき円満な家庭を持っているひとが、理くつの上では自分の存在意義を大いにみとめながら、心の深いところでは生きがいが感じられなくて悩むことがある。パスカルのいうとおり心情には理性とはまたべつの道理があるからである。なんといっても生きがいについていちばん正直なものは感情であろう。もし心のなかにすべてを圧倒するような、強い、いきいきとしたよろこびが「腹の底から」、すなわち存在の根底から沸きあがったとしたら、これこそ生きがい感の最もそぼくな形のものと考えてよかろう。このよろこびは時には思いがけない場合にほとばしり出て、本人をおどろかせることがある。自分の求める生きがいは何かということが、これによって初めて本人にはっきりすることもある。理くつは大ていあとからつくようで、先に理くつが経っても感情は必ずしもそれについて行かない。ゆえにあるひとに真のよろこびをもたらすものこそ、そのひとの生きがいとなりうるものであるといえる。(中略)岡潔にとっって研究こそ最大の生きがいであることはうたがいもないが、その生きがい感はすでに幼時に経験された純粋なよろこびと同質のものであるという。とすると、この種のよろこびは未分化な生命にもすでに宿っているもので、伸びゆく生命の本質的な様相のひとつなのだと思われる。みどり児はべつにそばにだれが見ていなくとも、そしてとくにこれというきっかけがなくとも、うれしくてたまらなさそうに、歌のようなものをさえずり、手足をばたつかせ、一人で笑っている。ただ生きていることがたのしくてたまらないから声をあげて笑っているようにみえる。あの全身からほとばしり出るような笑いは発展しつつある生命の、もっとも潑剌とした表現であり、表情であるといえよう。ウォーコップにいわせると、人間の活動の中で、真のよろこびをもたらすものは目的、効用、必要、理由などと関係ない「それ自らのための活動」であるという。たしかに何か利益や効果を目標とした活動よりも、ただ「やりたいからやる」ことのほうがいきいきとしたよろこびを生む。金のためのアルバイトばかりやることを余儀なくされているひとは、金のためではない仕事、金にならない仕事をする自由にどんなにあこがれることであろう。

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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