保護者が知っておくべき令和の中学受験

01 中学受験ブームがやってきた

昨年のことです。小学校の卒業式が迫っている二月上旬、都内武蔵野地域在住の小学校六年生の少女(仮にA子さんとしましょう)が、通学する小学校からその姿を突如消してしまったという話を耳にしました。「また今年もそんなことが繰り返されるのか。かわいそうな子だな」、私は思わずつぶやいてしまいました。私は、武蔵野市エリアで中学校受験の指導に取り組んでいますが、こうした話は決して珍しい話ではありません。さて、このA子さんの話を私に教えてくれたのは、中学入試(中学受験)を終えたばかりの「旧塾生」の女の子でした(仮にB子さんとしておきましょう)。「消えた」A子さんは武蔵野個別指導塾には通っていませんでしたが、この子のエピソードは何ヶ月も前から仄聞していました。中学入試直前期に、A子さんとの付き合いに困ったB子さんから、私は度々相談を受けていたからです。「ねえ、B子は○○中学校が第一志望校でしょう?私もそうなんだよね」。小学校のクラスメイトのA子さんに、突然そう話しかけられたB子さんはびっくりしたそうです。A子さんの言うとおり、B子さんの第一志望は○○中学校でしたから。A子さんとB子さんでは通っている進学塾も違えば、志望校の話など小学校の中で話をしたことがないのに、どこで漏れたのでしょうか。それ以来、A子さんは、B子さんに志望校や、模擬試験の結果などを執拗に探ってくるようになったのです。 そんなA子さんとのやり取りに疲弊したB子さんは、私のところに相談にやってきたのでした。私はこう回答しました。「人間関係がもつれると面倒だから、こう返答するといいよ。『小学校では絶対に受験のことを話さないという指示が塾から出ているから詳しくは言えない」と」。その後、A子さんがB子さんに対して、中学受験のあれこれを質問攻めにすることはなくなりましたが、その代わりに「マウンティング」が始まりました。「私、この前の模擬試験で○○中学校の合格可能性80%が出た」「私、志望校別クラスでかなり上の位置にいるんだよね」「滑り止めは○○中学と□□中学かな」。そう話しかけられたB子さんはひたすら聞き役に徹しました。私との約束を守って自分自身の情報については目して語らないという態度を貫いたそうです。「とにかく、あの時間は苦痛でした」とB子さんは当時を振り返り話します。話を冒頭の出来事に戻しましょう。なぜA子さんは小学校からその姿を消したのでしょうか。それは、A子さんは第一志望校のみならず、受験した学校のことごとく不合格になってしまったからだそうです。実は、このA子さんが「標的」にしていたのはB子さんだけではありませんでした。聞けば、小学校の同級生たちに自分の志望校や成績などを言いふらしていたそうです。だからこそ、友人たちの前に顔を出せなくなってしまったのでしょう。

02 よその子と比べたがる母親

私がB子さんの相談に乗っていた中学入試直前期、その同時期に私はこの「消えてしまった」A子さんの母親についても、B子さんの母親から愚痴を聞かされていました。B子さんの母親によると、驚くことにA子さんの母親も、自分の娘と全く同じような振る舞いをしていたというのです。周囲の保護者に子どもの勉強の話をするだけに留まらず、同級生たちの受験校の「詮索」まで行っていました。A子さんの母親は多くのママ友たちから「要注意人物の烙印を押され、周囲から少しずつ距離を置かれたそうです」。A子さんの母親の口癖は「○○さんの子と比べて、うちの子は~」というものでした。私はこの話を聞いて、A子さんが何故他人の受験に干渉したり、マウントを取ろうとしたのか、その理由が推察できました。これは憶測ではありますが、A子さんは母親に「○○ちゃんと比べて、あなたの偏差値は低いんじゃないの」とか「いいわねえ。○○ちゃんは優秀で」そんなことばを常日頃浴びせられていたのではないかと思います。中学入試(中学受験)本番に向けて懸命に学習に励んでいても、そんな風に母親から来る日も来る日も否定され続けた子は、いつしか「自己肯定感」が抱けなくなってしまいます。だからこそ、そのぽっかり空いた「穴」を無理やり塞ごうとして、B子さんたち同級生に無意識に「マウント」をとってしまったのでしょう。実際にそうであれば、A子さんは被害者であり、このような事態に至ってしまった元凶は母親であったことになります。A子さんが、卒業間近になって小学校から「消えた」という話を耳にして、「かわいそうな子だな」という想いを私が抱いたのは、こういう理由からです。 さて、ここまで私は1つの失言をしています。軽佻浮薄な物言いと評しても良いかも知れません。それはどこかおわかりになりますか。それは「元凶は母親」だと決めつけている点です。A子さんを巡るこの一連の出来事における諸悪の根源は「母親」にあるのでしょうか。そうとは限りません。中学校受験に無理解な「父親」が原因かもしれませんし、母親が「養父母」から孫の受験に対するプレッシャーを受けていたこともあったかもしれません。あるいは、中学入試(中学受験)が迫ってきて周囲の「ママ友」たちからの色々な噂話に翻弄されたからかもしれません。進学塾の担当講師の不適切なアドバイスが元になっているかもしれません。そして、それらの「元凶」にも、それらを生むまた別の「元凶」がきっとあるのです。こう考えると、A子さんの事例に於ける犯人捜しはあまり意味をなしません。ただし、はっきりといえることが1つだけあります。それはA子さんの母親は間違いなく「中学受験」という世界に飲み込まれてしまった結果、こんな事態を招いてしまったのです。  

03 第一志望合格は三人に一人もいない

首都圏の中学受験は1月から始まります。1月には埼玉県や千葉県の私立中学校、そして、東京に入試会場を設ける「地方校」の入試が行われます。都内の受験生たちは「事前練習」としてこれらの学校の入試に挑みます。例えば、埼玉県の栄東、浦和明の星女子、千葉県の渋谷教育学園幕張、市川をはじめ、これらの中学入試(中学受験)にはそれぞれ数千人規模の中学受験生が集まるのです。そして、2月1日から5日、6日頃まで東京都・神奈川県にある私立中学校の入試が集中的に行われます。二月中旬になると、終わったばかりの中学入試(中学受験)結果について、小学校の「ママ友ネットワーク」の中で「実名付き」で色々な噂が飛び交うことになります。「○○さんのお兄ちゃん、○○塾に通って、難関校の武蔵中学に合格したみたい!」「○○くんのお姉さんなんて、小学校五年生から○○塾に通い始めて、女子御三家の女子学院に受かったんだって。すごいわねえ」と。そういえば、最近は、勤務先の会社内などで、男女問わず同僚の子どもの中学受験の噂話に花を咲かせるところも多いそうでえす。ただし、この手の「風説」については一歩立ち止まって考えてほしいと思います。中学受験で「上手くいった」話ばかりが飛び交っているように感じられませんか?

近年の首都圏の中学入試(中学受験)は受験者数が増加の一途を辿っています。その主たる原因としては、「大学入試改革」や「大学入試定員厳格化による首都圏私立大学の難化に対する不安」「教育意識の高い都心部の児童数の増加傾向」にあるかもしれません。実際、2015年度以降、中学受験者数は増加の一途を辿っており、2020年の中学入試(中学受験)では、一都三県の私立中学校の募集定員総数を上回る受験者が詰めかけるようになりました。中学受験はいまや「学校を選ぶ時代」ではなく「学校から選ばれる時代」に変わったと言えるでしょう。実際、首都圏の中学受験生で第一志望校の合格切符が得られるのは「三人に一人」もいないのではないかといわれています。

話を戻しましょう。これほど激戦の中学入試(中学受験)が終わった後で、なぜ「成功譚」ばかりが伝わってくるのでしょうか?それは簡単な理由です。中学受験に失敗してしまったと感じている親子は口をつぐむからです。たとえ、そのご家庭の「失敗」に誰かが勘づいたとしても、「○○さんのお嬢さん、中学入試(中学受験)で「全敗」なんだって!」などと他者へ声高に伝える人はいないでしょう。そんな発言をしたら、周囲からその人間性を疑われることになりますよね。つまり、中学受験というのは、「成功例」ばかりが流布されやすい。そういう性質を持つ世界なのです。だから、我が子が中学受験の道を選択すれば、間違いなくハッピーエンドが待ち受けていると信じ込んでしまう保護者が多いのです。繰り返しますが、第一志望校合格にたどり着けるのは「三人に一人」もいないのです。換言すれば、「三人に二人」以上は熱望する学校から不合格をを突きつけられ、涙を流しています。中学受験とはかくも厳しい選抜が行われる世界なのです。

04 中学受験ブームを経験した保護者世代

2020年以降首都圏中学入試(中学受験)は一層激化して言っていることは述べましたが、かつて「中学受験ブーム」と形容された時代がありました。今から約30年前、1990年前後の頃です。この時期は、小・中学校の学習指導要領が改訂され、そこに盛り込まれた新学力観への賛否が渦巻いたり、大学入試センター試験が新規導入されたり、公立中学校でいわゆる「偏差値追放」(偏差値による進路指導や業者テストの禁止)が起こったりしたときでした。当時の小学生の保護者たちは、揺れ動く公教育に対して不信感を抱いたのでしょう。その結果として、首都圏において私立中学入試に挑む子どもたちの数が激増したのです。このとき中学入試(中学受験)を志した「子どもたち」は今は40歳前半、そう、今の小学生の保護者世代に当たります。自身も中学受験をした経験があるなら、我が子も同じルートを歩ませたいと考える保護者が多いのは当然のことでしょう。実際、私の塾に通う子どもの保護者様と面談する中で、「私は小学校四年生から中学受験塾に通い始めて、○○中学校に進学したのです」などという話を聞く機会も少なくありません。

また、付け加えるならば、当時小学生だった「保護者世代」に対して中学受験を勧めたのが、今の小学生の祖父母たちです。かつて、我が子に中学受験という選択肢を用意した経験を持つ祖父母たちなのですから、孫の中学受験に理解があるだけではなく、その教育費について惜しみない援助を差し伸べる傾向にあります。2013年の税制改正において創設された「直系尊属から教育資金の一括贈与を受けた場合の贈与税の非課税」の制度もそれに拍車をかけているのでしょう。このような背景もあり、今の「中学受験ブーム」が創出されたこと考えます。

05 昭和と令和で序列が激変

保護者世代にとっても身近な「中学受験」。自身の実体験に基づいて、我が子に勉強面だけではなく、進路のアドバイスなどもdけいそうなものですよね。しかし、この点については注意を払う必要があります。保護者世代が経験した「昭和(あるいは平成初期)の中学受験」と我が子が経験する「令和の中学受験」では、さまざまな側面で変化が生まれているのです。とりわけ私立中学校の序列は当時と大分様相が違います。たとえば、次に挙げる5つの男子校を「偏差値レベル」の高い順に並べ替えてください。

巣鴨、暁星、海城、武蔵、麻布

ちなみに、保護者世代が中学受験に挑んだ当時(1985年)の四谷大塚(大規模な模擬試験を主催している大手進学塾)の偏差値一覧に基づいて五校を並べ替えると、「武蔵⇒麻布⇒巣鴨⇒暁星⇒海城」の順番となります。それでは、最新の四谷大塚の偏差値一覧ではこれらの序列がどうなるのでしょうか。正解は、「麻布⇒武蔵/海城⇒巣鴨⇒暁星」です。どうでしょうか?びっくりされた方もいるでしょう。保護者世代の受験事情と今の子どもたちのそれは、がらりと様相を変えているということは、この例に触れただけでも理解できるのではないでしょうか。すなわち、親のイメージする「私立中高一貫校の序列」が今は通用しなくなっているのですね。保護者世代からすれば「聞いたことがない」学校がいまだ大人気を博していることもありますし、かつては名門校といわれた学校が今や受験生集めに四苦八苦をしているなんていうケースもあります。次の図をご覧ください。これは1985年と2020年の首都圏中学入試偏差値上位校の一覧表を男女別に掲載した物です。

首都圏中学入試の偏差値上位校の変遷 《武蔵境駅徒歩30秒》武蔵野個別指導塾

若干画質が荒いですが、1985年時には上位校に少しも入り込んでいなかった新設校の渋谷教育幕張を筆頭に、豊島岡女子学園、神奈川の浅野や千葉の市川、埼玉の浦和明の星などが目に付くのではないでしょうか。また、吉祥女子や頌栄女子学院、広尾学園なども目に付くでしょう。大学受験の偏差値上位校も30年前と今では大きく異なっていますが、中学校受験はそれ以上に激しく乱高下しています。ここで私が言いたいことは、保護者世代の「受験常識」を我が子の中学受験に適用するのは危険であるということです。そして、「昭和の中学受験」から「令和の中学受験」の変化は学校の序列だけではありません。入試問題で問われるその内容にも変化がありますし、中学入試(中学受験)の制度自体にも大きな変動があります。子どもたちの中学受験にとって不可欠な存在である塾のシステムや位置づけもかつてとは様相を異にしています。

06 我が子には「限界」がある

先程、中学入試(中学受験)の噂話で登場するのは「成功譚」ばかりであると申し上げました。これは何も親のネットワーク内だけの話ではありません。書店に足を運ぶと、中学受験関連の書籍が溢れています。「3ヶ月で偏差値を15伸ばした」とか「こうして我が子は逆転合格を果たした」とか、そういう類いの「成功体験」が語られている本がずらりと並んでいます。そんな本に目を通していると、中学受験という道を選択するだけで、我が子の明るい未来が見えてくるような気がしてくるものです。進学塾のパンフレットだって同様です。中学受験で第一志望校を見事に射止めた子どもたちの合格体験談がいくつも掲載されたり、その塾に入ることで子どもたちがいかに効率よく成績を伸ばせたのかというシステムなどが紹介されていたりしますね。さらに、その進学塾の「入塾説明会」に参加したら、講師陣が語る中学受験の「素晴らしい世界」に引き込まれ、思わず目頭が熱くなることもあるでしょう。そんな保護者はこんなことを思うのです。「子どもの可能性は無限大。中学受験を活用することで、我が子の学力を飛躍的に伸ばして志望校に合格させたい」と。我が子が将来どういう道を歩むか、予想は出来ません。そういう意味で「子どもの可能性は無限大」というのはあながち間違えではないでしょう。しかし、です。中学受験でどれだけ「学力が伸びる」のか、我が子が「どのレベルの学校に合格できる」のか、それぞれの子どもたちに「限界」はあるのです。

中学入試(中学受験)はペーパーの試験の合計得点で合否が決まる世界です。そういう意味では、推薦入試が跋扈している高校入試や大学入試と比較すれば「フェアな世界」であると形容することができます。しかし、それでは、ペーパー試験の合格得点が数点足らず、惜しくも志望中学の合格を逃してしまった子どもたちは「頑張って」いなかったのでしょうか。いえ、彼ら彼女らは連日のように塾に通って、学習に励んでいた子たちばかりです。頑張ってきたに決まっているじゃないですか。しかし、その「頑張り」が結果として報われないこともあるのが、中学受験の世界です。模擬試験の偏差値だってそうです。塾通いをすれば「偏差値」はぐんぐん伸びていきそうなものですが、そんな単純にはなかなかいきません。偏差値とは「相対評価」です。周囲の生徒も何もしないわけではなく、同じように塾通いをして、連日猛烈に学習しているわけです。周囲の「がんばり」と自身の「がんばり」が同程度であれば、自身の偏差値は何も変わりません。中学受験は、「六年生の入試本番終了日」までの「期限付き」の世界です。期限付きだからこそ、そこには色々な限界があるのです。甚だ逆説的ではありますが、この「限界」を十分に意識して我が子に接している保護者の子どもは、中学受験勉強に専心する中でぐんぐんと学力を高められるように感じています。一体どれはどういうことでしょうか。

07 結果責任の一端は「親」が負う

「中学受験は親の受験」と言われることがあります。これは「半分は正解で、半分は間違い」といってもよい言葉です。中学受験の勉強の主体は紛れもなく子ども本人です。親が幾ら熱心に声をかけようが、いかなる敏腕講師が指導を受け持とうが、本人に「その気」がなければ新しい知識をスポンジのように吸収していくことは不可能です。某大手塾のキャッチコピーで「やる気スイッチ」という言葉がCMで流れていますが、もしその種のスイッチが子どもたち各人に備わっているのっだとしたら、そのスイッチを周りに居る大人が直接的に押してやることはできません。子ども本人が自ら押すしかないのです。

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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