共通テストで満点を取る政治経済(大学入試や高校入試対策)(10)
第2編 第1章 経済社会の変容と経済のしくみ
⑥資金の循環と金融機関のはたらき
ポイント
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金融はどのようにおこなわれているのだろうか。
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通貨にはどのような種類があるのだろうか。
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金融政策にはどのようなものがあるのだろうか。
資金の流れ
資金には,二つの流れがある。一つは,財・サービスの対価としての流れである。この場合,通貨が財・サービスの交換のなかだちをしている。もう一つは,家計から企業や政府への貸借としての流れである。この場合,家計は所得から支出した残りを貯蓄するが,その貯蓄は,最終的に資金を必要とする企業や政府に流れる。
また,政府は,支出(歳出)が収入(歳入)を上回る場合,公債を発行して家計の貯蓄を借り入れる。
貨幣には,財やサービスの価値をあらわす価値尺度,財・サービスの交換のなかだちをする交換手段,価値を保持しておくための価値貯蔵などの機能がある。
流通している貨幣のことを通貨といい,その流通量を通貨供給量(マネーサプライ)という。今日では,通貨は広く現金通貨と預金通貨に分けられる。日本の現金通貨は,日本銀行が発行する日本銀行券(紙幣)と,政府が発行する硬貨とに分かれる。預金通貨は,普通預金や,小切手によって随時引き出すことのできる当座預金などで,銀行の信用創造によって創出されて決済手段として利用でき,現金通貨に近い性質をもつ。
金融市場のしくみ
資金を必要とする者と資金に余裕のある者との間でおこなわれる資金の融通が金融であり,それがおこなわれる場を金融市場という。
金融には,企業が株式や社債を発行して,証券会社が間に立って資金を調達する直接金融と,銀行などの金融機関を通じて資金を調達する間接金融とがある。また,企業の調達した資金のうち,株式発行や社内留保などによるものを自己資本,社債や借り入れによるものを他人資本とよぶ。
銀行と信用創造
銀行は,預金を受け入れると,その一部を預金準備金として保有し,残りを貸し出す。貸し出された資金は,いったん借り入れた者の当座預金に預け入れられ,取り引きに際して,借り入れた者の支払いにあてられる。この場合,支払いは,代金を受け取る側が指定する銀行に,当座預金として振りこまれるのが普通である。すると,その振りこみを受けた銀行は,これをもとに貸し出しをおこなう。この行為が繰り返されると,銀行は全体として,最初の預金額の何倍もの貸し出しをおこなうことになる。
このように,銀行が全体として当初の預金額を上回る貸し出しをおこなうことによって預金を創出することを,信用創造という。信用創造の大きさは,預金準備率の大きさによって決定されるので,中央銀行による預金準備率の操作は,貨幣の供給に重要な意味をもつ。
通貨制度
通貨の発行制度には,金本位制度と管理通貨制度がある。かつて,金本位制度の下で,中央銀行は,金の保有量に応じて,金との自由な交換を保証した兌換紙幣を発行していた。この制度の下では,貨幣の価値は安定的であったが,景気の動向に応じて通貨量を増減させることが困難であるという欠点があった。
1929年に世界恐慌が起こると,各国の政府が積極的に景気回復策をとった。そのため,各国は,金本位制度をやめて管理通貨制度①を採用するようになった。この制度では,中央銀行の金保有量に制約されることなく通貨を発行することができる。これにより,政策的に有効需要を増減させ,景気変動をある程度安定的に導くことができるようになった。こうした政策の背景には,ケインズの理論があった。実際,第二次世界大戦後は,恐慌を回避することができている。ただし,管理通貨制度の下で経済成長策をとると,通貨発行量が増大しがちで,インフレーションを引き起こしやすいという側面もある。
日本銀行
国家の金融の中枢を占め,通貨供給の源泉となり,金融政策を実施する銀行を中央銀行という。日本の中央銀行は日本銀行である。
日本銀行の機能には三つある。第一は,日本唯一の発券銀行として日本銀行券を発行すること。第二は,銀行の銀行として,都市銀行を中心とする金融機関に対して,手形再割り引き・貸し付け・国債や手形の売買(売りオペレーション・買いオペレーション)などをおこなうこと。そして第三は,政府の銀行として,国庫金の出納などをおこなうことである。
日本銀行券の供給は,政府取り引きと民間金融機関取り引きの二つの経路を通じておこなわれる。したがって,財政支出が財政収入を超過するときや国際収支が黒字のとき,あるいは買いオペレーションがおこなわれたときや市中金融機関への貸し出しが増えたときなどには,通貨量が増大する。
金融政策
日本銀行は,通貨供給量を調節して通貨価値の安定や国の経済成長の健全な発展に寄与している。そのために金融政策を実施するが,そのおもなものとして,次の三つをあげることができる。
第一は,公開市場操作(オープン・マーケット・オペレーション)である。これは,日本銀行が,金融市場で国債や手形などの有価証券を売買することによって,直接的に通貨量を調節するものであり,日常的に利用される。
第二は,政策金利操作である。日本銀行がこれまでの公定歩合操作をやめ,コールレート(銀行間で短期資金を融通しあう際の金利)を政策金利として操作することにより,通貨量を調節する。
第三は,預金準備率操作(支払い準備率操作)である。市中銀行は受け入れた預金のうち,一定割合(預金準備率)を日本銀行に預けることになっている。そこで,預金準備率を適宜変更して,通貨量を直接的に調節しようとするものである。ただし,この操作がおこなわれる頻度は低い。
金融の自由化
1990年代に入ると,バブル経済が崩壊し,金融機関の巨額な不良債権②問題は,国民の金融秩序に対する信頼を失墜させた。預金保険機構③によって預金者保護を図るとともに,早期に不良債権を処理することによって金融システムの信頼を回復することが求められるようになった。
一方で国際競争が激しくなったこともあり,1990年代後半から,金利や業務内容の自由化を一気に進め,国際競争力を強化する改革が本格的に実施された(日本版金融ビッグバン④)。銀行・証券・保険の相互参入が認められ,外国為替業務が自由化されるなど,金融市場をいっそう活性化させることをめざした改革が実施されている。
【注】
①管理通貨制度 日本では,1942(昭和17)年から管理通貨制度が採用された。管理通貨制度とは,中央銀行が金・銀などの保有量とは関係なく,通貨を発行できる制度である。この制度の下では,通貨は政府の信用によって支えられる信用貨幣であり,金・銀などとの交換が保証されない不換紙幣である。
②不良債権 返済が滞っていたり,返済の見込みがたたない債権のことをいう。不況が進み,担保物件の価値が下がると,不良債権は膨張する。不良債権をかかえる銀行は貸し出しに消極的になる。そのため,企業は融資を受けることができず,倒産する場合もある。
③預金保険機構 預金者の保護を図るため,預金保険法に基づいて1971年に設立された認可法人。政府・日本銀行・民間金融機関が共同で出資している。金融機関が経営破綻して預金者に払い戻しができなくなった場合,預金者1人につき元本1,000万円とその利息を破綻した金融機関に代わって払い戻しをする。これをペイオフという。ペイオフは,2002年4月より定期預金などに適用されたが,普通預金などは2005年4月より適用された。
④日本版金融ビッグバン 1986年,イギリスのサッチャー首相がロンドンの証券市場で本格的な規制緩和を実施した際,これを宇宙大爆発に擬して「ビッグバン」と名づけた。日本でもこれにならって,1996年から始められた。
⑦物価の動き
ポイント
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インフレ,デフレとは何だろうか。
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インフレやデフレは,国民生活にどんな影響を及ぼすだろうか。
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物価安定のためには,どのような施策が考えられるだろうか。
インフレとデフレ
国民生活に関係の深い問題として物価問題がある。一般的に,物価①が持続的に上昇することをインフレーション(インフレ)という。逆に,物価が持続的に下落することをデフレーション(デフレ)という。
インフレになると,貨幣の購買力が低下し,貨幣価値が低落する。したがって,インフレは,債務の負担を軽くする反面,勤労者の実質賃金の低下や預貯金の目減りをまねく。生活保護世帯や年金受給者のような,所得が増えにくい人たちの生活も打撃を受ける。また,土地などの資産価値が上昇する結果,資産をもつ人ともたない人との間の所得格差を拡大する原因ともなる。
一方,デフレは,供給に対し需要が不足することから生じる。また,海外からの安い原材料や商品の輸入も一因となる。デフレは物価の下落を意味し,生活が楽になるという見方もあるが,所得の減少により,負債などが生活に重くのしかかるなど,生活を苦しくすることが多い。
インフレやデフレが起こる原因の一つは,需要と供給の間に不均衡(需給ギャップ)が生じることである。通貨の過剰発行や有効需要の増大がもたらすインフレをディマンド・プル・インフレといい,賃金や原燃料価格の上昇など,主としてコストの上昇が要因となって引き起こされるインフレをコスト・プッシュ・インフレという。
物価安定の施策
物価の変動は国民生活にも影響を及ぼす。したがって,物価の安定を図りながら経済成長を維持していくことが大切であり,そのためには次のような施策が必要となる。
第一は,有効需要の大きさを適正な水準に保つことである。そのためには,財政政策や金融政策が随時おこなわれる必要がある。第二は,通貨供給量を適切に保つことである。貨幣数量説②に基づくならば,通貨供給量の過剰こそが物価上昇の原因とされ,中央銀行による的確な通貨管理が重要である。第三は,規制緩和や独占禁止政策によって,企業間の適正な競争を維持し,企業の生産性を高めることである。特に,市場の独占は,価格の下方硬直性をまねきやすいので,公正取引委員会などの厳正な監視が求められる。また,賃金の上昇率と生産性の上昇率のバランスを保つことや,為替相場の不用意な乱高下を防ぐことも大切である。
【注】
①物価 消費者物価は,家計支出の中で重要度が高く,価格変動を代表するもので,かつ,継続調査が可能なものを調査対象(584品目,2006年10月現在)としている。総務省統計局で指数を調査・発表する。企業物価は,原料や中間製品などの第1次卸売価格の動きをもとに日本銀行調査統計局で指数を作成する。調査対象品目は2006年10月現在,1,425品目である。2003年1月より卸売物価は企業物価に名称を変更した。
②貨幣数量説 中央銀行が通貨供給量を増加しすぎると,物価が上昇するという説。現在,フリードマン(1912~2006)を代表とする学派に継承されている。
⑧日本経済の歩み
ポイント
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第二次世界大戦後の日本経済は,戦後復興期,高度経済成長期,安定成長期,バブルの発生とその崩壊期という4つの時期に区分できる。それぞれの時期の特徴は何だろうか。
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現在の日本経済の課題とは何だろうか。
高度経済成長
日本は,第二次世界大戦によって,200万人あまりの尊い生命と国富の約4分の1を失った。しかし,戦後,財閥の解体(1945年),農地改革(1945年),労働運動の公認(1946年)という一連の経済民主化政策によって,その後の経済発展の基礎が築かれた。傾斜生産方式①(1946年),ドッジ・ライン②の実施(1949年),朝鮮特需(1950年)などにより戦後の混乱期を乗りこえた日本は,1960年,国民所得倍増計画を発表した。その後,石油危機(1973年)が起こる頃まで,実質経済成長率が年平均10%をこえる高度経済成長をとげた。高度経済成長を可能にした要因として,活発な民間設備投資,それを資金面から支えた国民の高い貯蓄率,良質で豊富な労働力などがあげられる。1968年,日本のGNPは,ついに資本主義国で第2位になった。
この間に第1次産業の割合が低下し,第2次・第3次産業の割合が増加し,いわゆる産業構造の高度化も進んだ。また,1961年には国民皆保険・国民皆年金制度が実現し,社会保障の面でも充実が図られた。
しかし,急激な経済発展は,農業問題,中小企業問題,公害問題,消費者問題,都市問題など,さまざまな社会問題を引き起こした。そこで,農業基本法(1961年),中小企業基本法(1963年),公害対策基本法(1967年),消費者保護基本法(1968年)などが制定され,政府は市場が解決できないこれらの問題に対処してきた。特に公害問題は,汚染者負担の原則(PPP)の下で,企業の無過失責任制が確立され,その後,改善の方向に向かった。
1973年の第1次石油危機によって日本経済の高度経済成長は終わり,実質経済成長率が約4%の安定成長の時代に入った。しかし,自動車や家電製品などが普及するなど,国民の生活はその後も向上した。また,石油危機をきっかけに,日本の産業構造は,それまでの重厚長大産業から軽薄短小産業へと転換され,経済のソフト化・サービス化が進み,情報などの知識集約型産業が重視されるようになった。
バブル経済とその崩壊
戦後の日本の経済発展は,「政界・官界・財界」が一体となったシステムに負うところが大きい。国際競争力をつけた電機,機械,自動車などの産業はしだいに輸出を伸ばし,1970年代以降,日本の貿易黒字は急速に膨らみ,貿易摩擦を引き起こした。
1985年,G5によるプラザ合意により,円高・ドル安が急速に進み,日本の輸出産業は苦境に立たされた。この円高不況を乗りこえるために大幅な金融緩和がなされ,1980年代後半には「バブル経済」が発生した。日本経済は「いざなぎ景気」につぐ長期の好景気に沸いた。しかし,1990年代に入って,「バブル経済」が崩壊すると,土地・株式などの資産価格が下落したため不良債権問題が発生し,これに有効需要の不足も加わり,1990年代後半からはデフレに苦しむことになった。
グローバリゼーションの波
経済の国際化が進むにつれて,ヒト,モノ,カネが国境をこえて移動するようになった。特に,プラザ合意以後,円高が進んだため,海外旅行をする人が増えた。また,日本企業の中には,貿易摩擦の回避と円高による輸出価格の上昇のため,海外に生産拠点を移し,現地生産を進める企業も現れた。一方,安い労働力を求め,中国や東南アジアへ進出する企業も増加した。こうした事態は,国内の雇用の減少や生産能力の低下をまねき,産業の空洞化をもたらすと指摘する声もある。
一方,国際化の進展により,各国が独自の商慣行や法制度を維持することが困難になり,政府も企業も世界の規格や基準(グローバル・スタンダード)にあわせることが必要だという認識が高まった。そのため,日本でも規制緩和が求められ,政府は,コメ市場の部分開放(1993年),大規模小売店舗法の廃止(2000年)などの法改正を次々とおこなった。
こうして地球的規模の大競争が始まると,日本企業は外国資本との競争に打ち勝つために,よりいっそう効率的な経営をおこなうことが求められるようになった。終身雇用制,年功序列型賃金といった日本的経営は崩れ,リストラ(事業の再構築)がおこなわれるようになった。また,企業集団をこえ,世界的規模の企業合併もおこなわれるようになった。
豊かな社会の創造
20世紀に入り,世界恐慌の中で自由放任政策は限界を示し,人々は政府の役割に大きな期待を抱いた。しかし,その後大きくなりすぎた政府は,財政面からいきづまりをみせるようになった。つまり,市場の失敗への過度の対応が「政府の失敗」をまねいたのである。
近年,規制緩和・市場メカニズムに対する再評価の声が高い。しかし,市場万能主義が恐慌など多くの弊害をともなうことは,19世紀までの歴史が証明している。市場メカニズムの利点を生かし,適度の経済成長を実現させながら,福祉やセーフティネット③の充実に力を注ぐ必要がある。
【注】
①傾斜生産方式 まず石炭,鉄鋼などの基幹産業をたてなおし,順次ほかの産業の復興を図る政策をいう。この政策に必要な資金を日本銀行引き受けの復興金融債券の発行でまかなったため,激しいインフレ(復金インフレ)の要因となった。
②ドッジ・ライン 日本の物価は,第二次世界大戦後の4年間で,約240倍になった。ドッジ・ラインとは,この悪性インフレを収束させるためにとられた,予算の収支均衡,復興金融債券の発行禁止,単一為替レートの確立などの政策をいう。
③セーフティネット もともとは誤って落下した場合に備えて張られている網(安全網)をさす。現在では,労働市場における雇用保険,社会保障,金融市場における預金保険機構など,万が一の場合に備える安全装置の意味でも使われる。
共通テストで満点を取る政治経済(大学入試や高校入試対策)(11)
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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