共通テストや記述試験で満点をとる日本史講義(目次)

0 日本史を学ぶ際の心構え

0-1 日本史は暗記だけでは通じない

日本史について、山川の『新日本史』をベースにしながら、学んでいきましょう。日本史は世界史と違って「日本だけ」ということから「狭い知識」や「細かい知識」ばかり追求すると思われがちですが、その範囲が狭い一方、世界史のように「この時代にこういうことが起きた」という「What」だけではなく、「なぜそうなったのか?」「どういう背景でそういう出来事が起きたのか」という「Why」や「How」を聞くといった論理的思考を問う問題が出題されます。

*大学受験のためのワンポイントアドバイス:暗記が好き得意という方こそ、一般に暗記偏重とイメージされがちな日本史より逆に世界史が向いています。

世界史が、各国史の縦や横のつながりを重視するのであるのに対して、日本史では、「なぜ乙巳の変が起きたのか?」だとか「いかにして天藤原氏は摂関体制を築きあげていったのか?」という「理由」や「背景」を問う問題が多くなります。つまり、年号や出来事も大切なことは大切なのですが、単に過去の歴史を丸暗記するのではなく、つねに「なぜ?」「どうやって?」という視点を持ち、歴史を学んでいく必要があります。とりわけ、国立大学の前期試験や難関私大の記述問題ではその点を聞いてくることが多いです。なので、日本史を学ぶときは、つねに「なぜ」「どうして」ということを意識しながら学んでいきましょう。

といっても、こう私が言っても「本当かよ?」と疑われるかもしれませんので、実際の問題を紹介しましょう。東京大学の2002年の前期試験の過去問より例題を紹介します。

第一問:平安時代に日本に伝来し広まった密教や浄土宗は信仰は、人々にどのように受け入れられていったか。10世紀以降平安時代末に至るまでの、朝廷・貴族と、地方の有力者の受容の在り方について、7行以内で説明しなさい。なお、解答は下に示した語句を一度用い、使用した語句には必ず下線を引きなさい。

阿弥陀堂 加持祈祷 聖(ひじり) 寄木造

東京大学「日本史」2002年より。

では、『日本史用語集』(山川出版)で、単純に用語を調べてみましょう。はたして、用語集の知識で解けるのかどうか。

まず、阿弥陀堂とは「阿弥陀仏を安置する堂。信者は、堂内で西方極楽浄土を心に思い描く観想念仏を行った。ふつうの形式は3~5間の方形の堂で、鳳凰堂・金色堂など。いまひとつは九体阿弥陀仏像を安置する長方形の九体堂で、藤原道長の建てた法成寺(ほうじょうじ)にも無量寿院という九体堂があった。」で、加持祈祷とは「加持は加護の意。祈祷は呪文をとなえ神仏に祈ること。密教で手に印を結び(印契)、鈷(こ)を用い、口には真言(陀羅尼)をとなええ仏力の加護を祈る儀式。これによって除災招福などの現世利益(この世での仏の恵み)を期待した。」です。聖(ひじり)とは、「寺院に所属しない民間の布教僧。上人・聖人・沙弥ともいう。高野山に隠遁した高野聖。諸国を遊行した遊行聖などが有名。」とあります。最後の語句、寄木造は「平安中期以降の仏像の彫刻法。2材以上の材木を寄せあわせ、多くの工人で部分を製作し、全体をまとめる技法。一木造に対する語。」です。

これで日本史用語はすべて皆さんも理解したことになりますが、密教や浄土宗の信仰が人々にどのように受け入れられたのか。用語を知っていてもなんともいえませんね。朝廷・貴族や有力者の受容の在り方についてもわかりません。「密教や浄土宗」がいかにして(How)人々に受け入れられたのか。そしてそれは「なぜなのか」(Why)。そして、それがいかようにして(How)、「朝廷・貴族や有力者」に受け入れられていったのか。またそれはなぜか(Why)を聞かれているわけです。間違っても歴史用語の知識の有無を聞かれているわけではないことはわかってもらえると思います。もちろん、上にあげた用語集レベルのことを書いて点数がゼロということはないでしょうが、ほとんど加点してもらえないでしょう。なにしろ、質問に答えていないわけですから。

それでは、そのあたりのHowやWhyを見ていくために、『詳説日本史』(山川出版)の記載のところを読んでみましょう。

平安遷都から9世紀末頃までの文化を、嵯峨・清和天皇の時の年号から弘仁・貞観文化と呼ぶ。この時代には、平安京において貴族を中心とした文化が発展した。文芸を中心として国家の隆盛をめざす文章経国の思想が広まり、宮廷では漢文学が発展し、仏教では新たに伝えられた天台宗・真言宗が広まり密教がさかんになった。嵯峨天皇は、唐風を重んじ、平安宮の殿舎に唐風の名称をつけたほか、唐風の儀礼を受け入れて宮廷の儀式を整えた。また、文学・学問に長じた文人貴族を政治に登用して国家の経営に参画させる方針をとった。(省略)奈良時代後半には、仏教が政治に深く介入して弊害もあったことから、桓武天皇の長岡京・平安京への遷都では南都奈良の大寺院が新京に移転することはなく、桓武天皇や嵯峨天皇は最澄・空海らの新しい仏教を支持した。(中略)最澄の開いた草庵に始まる比叡山延暦寺は、やがて仏教教学の中心となっていくとともに、平安京の王城鎮護の寺院とされた。浄土教の源信や鎌倉新仏教の開祖たちは、多くここで学んでいる。(中略)また、空海が嵯峨天皇から賜った平安京の教王護国寺(東寺)も、都にあって密教の根本道場となった。天台宗も最澄ののち、入唐した弟子の円仁、円珍によって本格的に密教が取り入れられた。天台・真言の両宗はともに国家・社会の安泰を祈ったが、加持祈祷によって災いを避け、幸福を追求するという現世利益の面から皇族や貴族たちの支持を集めた。(中略)摂関時代の仏教は、天台・真言の2宗が圧倒的な勢力をもち、祈祷を通じて現世利益を求める貴族と強く結びついた。その一方で神仏習合も進み、仏と日本固有の神々とを結びつける本地垂迹説も生まれた。(中略)現世利益を求めるさまざまな信仰と並んで、現世の不安から逃れようとする浄土教も流行してきた。浄土教は、阿弥陀仏を信仰し、来世において極楽浄土に往生し、そこで悟りを得て苦がなくなることを願う教えである。10世紀半ばには空也が京の市でこれを説き、ついで源信(恵心僧都)が『往生要集』を著して念仏往生の教えを説くと、徐度胸は貴族をはじめ庶民のあいだにも広まった。(中略)浄土教の流行にともない、これに関係した建築・美術作品が数多くつくられた。藤原道長が建立してその壮麗さをうたわれた法成寺は、阿弥陀堂を中心とした大寺であり、その子藤原頼通の建立した平等院鳳凰堂は、阿弥陀堂の代表的な遺構である。その本尊の阿弥陀如来像をつくった仏師定朝は、従来の一木造にかわる寄木造の手法を完成し、末法思想を背景とする仏像の大量需要にこたえた。(中略)貴族と武士や庶民を結んだのは、寺院に所属しない聖や上人などと呼ばれた民間の布教者であって、その浄土教の思想は全国に広がった。奥州藤原氏が建てた平泉の中尊寺金色堂や、陸奥の白水阿弥陀堂、九州豊後の富貴寺大堂など、地方豪族のつくった阿弥陀堂や浄土教美術の秀作が各地に残されている。

『詳説日本史』(山川出版)p.64~p.94

どうでしょうか。これだけ読むとさすがに答えられそうな気はしてきますが、『詳説日本史』にして、実に30ページに及ぶとびとびの記述をつなぎ合わせないと全体像が思い浮かんできません。しかも、中略して関係するところだけを引用したのに、文字数にして1108文字もあります。東大の試験で一行は約30文字ですので、七行という文字数指定だと大体、210文字程度です。かなり圧縮しないと入りませんね。といっても、問題に「10世紀以降」から「平安時代末」までと時代が限定されているので、平安初期から書くのはまずいわけですね。そのあたり絞り、さらに「密教や浄土宗」がいかに「朝廷・貴族」と「地方の有力者」に受容されていたかに絞って書く必要があります。

そういう意味では、「摂関時代(10世紀以降)には、加持祈祷による現世利益を求める貴族と強く結びつき、さらに現世の不安から逃れようとする阿弥陀如来を信仰する浄土教も流行した。浄土教の流行にともない、阿弥陀堂の代表的寺院である平等院鳳凰堂が建立された。その本尊の阿弥陀如来像は、寄木造の手法で造られた。寺院に所属しない聖と呼ばれた民間の布教者により、浄土教の思想は朝廷・貴族だけではなく、地方の有力者をはじめ、全国に広がっていった。」(204文字)。ジャストですね。上の『詳説日本史』の記述で、本問に関係あるところを要約しただけですが、なんとかこれで合格レベルの答案にはなりました。

しかし、これでおしまいかというと、実はそうでもありません。上の回答は、要約しているものの、問題作成者が要求している解答ではありません。どこが欠けているかというと、なぜ密教や浄土宗が朝廷や貴族に受け入れられていったのかが欠けているのです。

「なぜ密教が人々に受け入れられたのか。」「なぜ密教や浄土宗が朝廷・貴族、地方の有力者に受け入れられたのか」を説明しなければなりません。それを理解するには、そもそもそれ以前の背景や前提について理解していないといけません。

まず、「なぜ密教が人々に受け入れられたのか」ですが、それは天武・持統天皇時代に国家仏教政策がとられ、長屋王の変を起こした藤原武智麻呂をはじめとする藤原四兄弟が天然痘でなくなるなど政治が乱れた聖武天皇の時代には鎮護国家として仏教による国家安泰が図られました。そこまでは問題ないのですが、聖武天皇の娘、孝謙天皇(重祚して称徳天皇)の時代に、行き過ぎた仏教政治は道鏡というとんでもない僧侶を生み出すに至り、それは恵美押勝の乱や淡路廃帝ともいわれる淳仁天皇の流罪を招きました。

その後、称徳天皇の死後、天武系の天皇は途絶え、天智系の光仁天皇が仏教政治で混乱した律令政治と国家財政の再建を目指し、光仁天皇の後を継いだ桓武天皇はそうした政策を受け継ぎ、長岡京へ遷都します。しかし、遷都の造営を主導した藤原種継が暗殺され、さらに首謀者とされた早良親王は食を断って死に、その怨霊を恐れた桓武天皇は再び遷都を実行し、平安京へ移ります。

しかし、既に橘諸兄による墾田永年私財法の施行により貴族や地方の有力者は私有地を拡大し、初期荘園が形作られるなど、律令体制は崩壊しつつあり、さらに蝦夷征伐や平安京の造営という二大政策で国家財政は破綻寸前に追い込まれ、民衆にとっても大きな負担となりました。

その後、嵯峨・清和天皇の頃、唐風が重んじられる中、密教が唐から伝わります。密教は国家・社会の安泰を図る一方、加持祈祷により災いを避け、幸福を追求するという現世利益の立場をとったため、朝廷や貴族の支持を集めます。その後、朝廷の権力を掌握した藤原家の摂関政治により、栄達富貴も望めない中流貴族が増え、浄土教による来世への希求が支持を集めていきます。こうした中、造寺造仏が隆盛しますが、そのため木材による供給不足が発生し、定朝による寄木造がその問題を解決しました。その後、院政期になると、聖という民間布教者が現れ、彼らは全国へ浄土教を布教していくわけです。

なぜなのかはもうわかりましたね。しかし、文字数が多すぎますので、以下のようにまとめます。「律令体制が崩壊し、政変や疫病が相次ぎ、社会不安が高まっていることを背景に密教や浄土宗は広く受容された。密教や浄土教は加持祈祷による現世利益を追求したため、朝廷・貴族の支持を得て、阿弥陀堂など造寺造仏が流行するも、材料が不足しました。その中で、定朝による寄木造が生まれ、そうした需要を満たしました。院政期に入ると、聖といわれる民間布教者が浄土教を全国へ普及し、朝廷・貴族のみならず、地方の有力者へ広がっていきました。」(208文字)です。

0-2 日本史の漢字は読むのが大変

また、日本史では読めない漢字が頻出します。世界史で学ぶ中国史もかなり読みづらい漢字が登場してきますが、中国史の場合、日本にはなじみない漢字やほぼ当て字みたいな漢字が使われるので意外と覚えやすかったりするのですが、日本史の漢字は古代の豪族の私有民を「部曲」というのですが、日本史を学んだことがない人では絶対に読めないと思います。こういう例を挙げていくと枚挙にいとまがないので、これだけにしておきます(笑。

「部曲」は「ぶきょく」と読んでしまうのではないでしょうか。最近日本語変換のソフトは進歩すさまじく、中国史用語も日本史用語も一発で変換できるので、この記事を書いている筆者は楽なのですが、読み手にとっては「なんて読むんだろう?」と思うか、読み仮名が特殊であることを気づかず、「ぶきょく」と読み進めてしまい、後で恥をかくということがあるかと思います。かといって、漢字で怪しそうなのが出てきたらとりあえずGoogle検索するというのは、正直しんどういかと思いますので、本記事では、「部曲(かきべ)」のように、おそらく読み間違えるか、読めないであろう漢字のみ最低限括弧内でふりがなを書いておきます。ちなみに、漢字の書きに関しては、世界史の中国史よりは楽だと思います。

それでは、宮川による日本史講義を始めていきます。記述にあたっては、高校教科書の鉄板の山川出版社の『詳説日本史』ではなく、記述試験対策などで有効だといわれる山川出版社の『新日本史』を底本にしつつ、漫画や世界史の話も交えながらなるべく楽しく日本史を学べるように記述していきますので、お楽しみください。

*大学受験のためのワンポイントアドバイス:共通テストや国立の前期試験では、用語を覚えていれば解けるという問題は少なく、むしろ前後の流れや日本史という物語を知っている人が点数をとれる出題が多いです。なので、平板な記述の色合いが強い『詳説日本史』では少し物足りないと思います。

下に目次があります。学びたい項目をクリックしてくださいね!

【目次】

日本史講義 更新世と石器文化

日本史講義 縄文時代から弥生時代

日本史講義 弥生時代の始まり

日本史講義 倭の小国と邪馬台国

日本史講義 古墳とヤマト政権

日本史講義 倭の五王とヤマト政権の支配機構

日本史講義 推古朝と飛鳥文化

日本史講義 律令国家への道と白鳳文化

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)7~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)2~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)3~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)4~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)5~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)6~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

大学入試の過去問を通して学ぶ日本(日本史編)~中学受験・高校受験・大学受験にも役立つ

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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