ソクラテス以前の哲学者
タレス
さて、最初の哲学者と評されるタレスについて話したいと思います。ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』という本には、82名のギリシアの哲学者が登場するのが、そのトップバッターもタレスです。もっとも、その頃は哲学なんていう言葉自体がまだありませんでしたので(注1)、彼を哲学者と言うのは適切な言葉ではなく、彼は正確には自然学者(自然探求者)でした。もちろん、タレスを哲学者の始祖とする意見に異論は多くありますが、ここでソクラテス以前の哲学者についてあれこれいうのは詮無きことだと思いますので、一般的な理解としてタレスを最初の哲学者として取り上げていきたいと思います。
さて、タレスは、一般にイオニア自然学派の一人とされています。紀元前6世紀に始まる小アジアのイオニアの植民都市ミレトスで活躍した人々のことを意味しています。そういう訳で、哲学史的には彼をはじめとして哲学(Philosophia:ギリシア語)と言う言葉を、ソクラテスが用いるまでの間の哲学者(自然学者)達のことを「フォールゾクラティカー(ソクラテス以前の人々)」と呼称します。ちなみに、このフォールゾクラティカーと言う言葉は、H・ディールズと言う学者が、この時期の哲学者達の文章を編纂した際の書物の題名から取られています。
では、タレスについての解説に入っていきたいですが、このタレスと言う人物は、紀元前624~546年頃の人物でミレトス(今のトルコの西海岸)に居た人物で、上述したとおりイオニア(ミレトス)学派の祖と評される人物です。但し、彼の直接の記述(書物)は残されておらず、歴史学者ヘシオドスや哲学者プロクロス、そして、大哲学者アリストテレス等の書物の記述から彼を推測するしかありません。
それでは、具体的にタレスの業績や思想について触れてみますが、大まかに言って彼の業績には三つの事があげられます。先ず一つ目についてですが、それは哲学者ポロクロスの書物に記されていることなのですが、彼はエジプトで測地学(測量学と言っても間違えではない)を学んだ後、その実践的な実用的技術を幾何学として抽象的な学問に仕立て上げたと言うことです。元々、エジプトはナイル川の氾濫によって文明を営んできましたから、測地学の発展は著しかったのですが、タレスが登場するまではそれが学問として純粋に研究されたりすることはなく、あくまでも実用的な技術に過ぎなかったのです。そこへタレスが来て、はじめて幾何学と言う学問を定立し、そこから、彼はさまざまな発見をし、幾何学の大古の基礎を築きあげました。
そして、二つ目は、彼が紀元前585年に実際に起こった日食を予告したことです。こんな風に言うと、何やら怪しい予言者のようですが、そうではなく、この事は、彼がそれまで航海の舵を取るための利便的な実用的技術であった星学を遠い将来の天体の動きを予測できる天文学に仕立て直したことを意味します。ところで、この事は、当時の人々には大変印象的だったらしく、歴史学者ヘロドトスの他、ディオゲネス・ラエルティオスと言う歴史学者の書物や哲学者クセノパネス(西洋哲学史講義第五回目参照)の書物にもこのタレスの日食予言の出来事が記述されたりしています。
こうしたタレスの見聞には、有名なエピソードもあります。それは、有るときタレスが人に「学問を幾らやっても何の役にも立たないではないか」と笑われたことがありました。すると、タレスは、天文学の知識を活かして、ある年天文学的にオリーブの豊作が告げられていることを知ると、近在の村里からオリーブの実を搾って油を作る圧搾機を、オリーブの花が咲く前に全部買い占めてしまいました。そして、オリーブが大豊作になったときに、みんながタレスに圧搾機を借りにきたため、彼は大もうけをしました。タレスは学問が象牙の塔にこもるだけのものではなく、実学としても役立つことを見事実践してみせたわけですね。
最後は、これが一番重要なのですが、タレスが「質料(ヒューレー、材料、マテリア)に属する原理のみを、すべての原理と考え、水(ヒドール)を持ってその原理(元素)」とした事です。ちなみにこの場合の原理の事を哲学史的には万物の根源、すなわち「アルケー」と呼び、始まりとか起源を意味します。このことは後の万学の祖アリストテレスの『形而上学』にこう記されていることに由来します。
「タレスはあの智恵の愛求(哲学)の始祖であるが、『水』(ヒドール)がそれだと言っている。それ故に大地も水の上にあると唱えた。そして、かれがこの見解を抱くに至ったのは、おそらく、すべてのものの養分が水気のあるものであり、熱そのものさえもこれから生じまたこれによって生存しているのを見てであろう。しかるに、すべてのものがそれから生成するというところのそれこそ、すべてのものの原理(アルケー)だから、というのであろう。たしかにこうした理由でこの見解を抱くに至ったのであろうが、さらにまた、すべてのものの種子は水気のある自然性(フィシス)をもち、そして水こそは水気のあるものにとってその自然の原理であるという理由からであろう。」(アリストテレス『形而上学』)
このタレスの見解が画期的だったのが、万物の始原について言及したというそのことよりも、というのは、万物の始原については、それ以前に詩人ヘシオドスがタレスより二百年ほど前に『テオゴニア(神統記)』という詩編にて万物の根源を混沌(カオス)から始めて、大地(ガイア)、奈落(タルタロス)、愛欲(エロス)などの生成を語り、万物の由来を明らかにしているのですが、万物の始原(アルケー)について必定の定めとして語ったということが大事だったわけです。つまり、ヘシオドスのように神話として遠い昔のことを話しているのではなく、現にあるすべてのものが自ら生成してき、そしてやがて水へと分解され還元されなければならないということを語っているわけですね。そのような生成と崩壊の間に現在があるわけですから、人はなんとも確かめようともない昔の物語と違い、現にものが何から成っており、ものは分解すれば何になるかをめいめい各人で考えることができる。タレスはそのような各人の思考に訴えて、果たして万物が水から成っているかどうかを万人の討議に委ねているわけです。
このように、タレスが水を世界の原理(元素)とした事は世界史等でも有名な話で、皆さんも既にご存知の事かも知れませんが、哲学史的には、タレスが水を持って原理として事が重要なのではありません。確かに、タレスが水をその原理としたのには上記のような理由があることで、それなりの意義(と言っても、アリストテレスの「形而上学」にあるように多分にオリエントの世界生成神話の影響を受けているのだろうが)がありますが、今日的な意義があるとはいえないでしょう。
また、今日では人間の身体の約七割が水であることや地球上の生命の根源が水であることも判明していますが、そう考えるとタレスの考えた万物の根源、アルケーは水であるという見解は素朴な実在論主義者と小馬鹿に出来ない側面はあると思います。私もアルケーが水だなんて正直最初はがっくりしたものですが、よくよく考えると意外に奥深い者があるようにも思えます。少し曲解であるかもしれませんが、日本の後生の鴨長明の『方丈記』の「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」という言葉を彷彿させる面もあるのではないでしょうか。まあ、意味内容的にはこの後に紹介することになるヘラクレイトスというべきかもしれませんが、水を物事の理の基底として捉えている点において類似しているといっても言い過ぎではないように思えます。
でも、ここで何が一番重要なのかといえば、繰り返しになりますが、アルケーが水であるという、そのことではなく、そもそもミュトスといわれる神話による世界説明ではなく、さらに、ただ自然現象を記述したり、予測するのではなく、自然現象全体に渡る統一的な原理を求めたと言う事が重要です。つまり、物事の説明のためにはじめて理性的根拠を提示しようとしたと言う事ですね。これがこれまでの神話的解釈や宗教と大きく違う点です。それも、単なる仕事や日曜大工のコツのようなものではなく、世界の根源について理性的に考えようとしたことが、人類史的には非常に意義深いことだと思います。したがって、その結果がどうであれ、彼こそがはじめて自然全体の多様性の中に統一性を求め、存在するものの全体を主題化し、それを一つの原理(第一原理)から把握しようとした事は哲学史的に重要な意義があると思われます。
注1)フィロソフィーという言葉の前には、フィロソフェイン(philosophein)という動詞がありました。ヘロドトスの『歴史』が伝えるところによると、紀元前7世紀後半頃に活躍したアテナイの賢人ソロンが諸国を旅していた際に知を愛しつつ多くの国々を旅していたことに由来すると言われています。
少し詳しく説明しましょう。〈知を愛する(フィロソフェイン philosophein)〉とは,古代ギリシアにおいて、はじめ、世間ならびに人生についての知恵を愛し求めるという意であった。それは、この言葉の文献上の初出とされるヘロドトスの《歴史》(1 巻 30 節)が伝えるギリシアの賢者ソロン(前 7 世紀後半~前 6 世紀前半)の場合である。ソロンは、多くの国々を“知を愛し求めつつ”旅行し視察し遍歴したといわれる。ソロンにとって、人生上,世間上の知恵とは、神々を畏敬し人間の有限性をわきまえるということであった。次いで前 6 世紀後半以降、ピタゴラス学派において、〈愛知〉は,名利を離れて知を愛求するという意に深められたようである。
これらの考えを受けて,前 5 世紀後半のソクラテス,およびその弟子プラトンの段階に至って,ギリシアにおける〈愛知〉の意味はほぼ確定した。ソクラテスおよびプラトンによれば、人間にとってたいせつなこと最も尊いことは、単に生きることではなく,むしろよく生きることである。その場合の〈よさ〉とは何であるか。これを求めることが〈フィロソフィア(愛知)〉である。個人の栄達や富貴、また国家の強盛や栄光は、個人や国家を真に幸福にさせるものではない。それらのものは、個人の所有するものであり,国家の所有するものではあるが,決して個人そのものでも,国家そのものでもない。真実の知恵は、個人そのもの国家そのものが、真によくあることを目ざすものでなければならぬ、と。それは今日の言葉でいえば、個人や国家共同体の、精神的主体性の〈よさ〉が求められたということである。
〈よさ〉とは,あるべき姿,すなわち善美であること(カロカガティア)であるが,プラトンにおいて,善や美は,〈イデア idea〉あるいは〈エイドス eidos〉とせられた。イデアあるいはエイドスとは,ともに〈見る idein〉という動詞に由来し,〈見られたもの〉を,したがって見られたものの〈かたち(形)〉,あるいは〈すがた(相)〉を意味する。それは,ものの真実の在りよう,在るべき姿を意味する。生成し消滅し流転する多様の存在からなる感性的世界を超えて,不変恒常の〈真実有(ウシア ousia=実体)〉であるイデアが求められ,このイデアとしての善や美を仰ぎ見ながらわれわれの魂を善美にととのえ,またこの世を善く美しく調和あるものとすることが,プラトンにおける〈愛知(哲学)〉の究極の目標であった。アリストテレスが求めたものもまた,真実有としての〈エイドス(形相)〉の探究であった。このようなギリシアの哲学は,やがて紀元後のローマ時代に,キリスト教がその教理を形成する際に有力な手がかりとなり,教理の中へ採り入れられた。このことによってキリスト教は,ユダヤ民族の一分派宗教であることを超えて,普遍的国際的な宗教となるに至った。こうしてギリシアにおける知への愛=哲学は,キリスト教の一神論によって改釈され,唯一最高の神が有する知への愛となるに至ったのである。