パルメニデス

パルメニデス(Parmenides、前6世紀後半)はエレア生まれの哲学者で『自然について』という著書を書きました。そこでは、パルメニデスは女神から真理の認識に至るべき正しい道と誤りの道との二つの道を啓示されることが述べられています。この二つの道とは真理の道と俗見の道であり、前者があるものをあるものとして、あらぬものをあらぬものとして捉え、後者があるものをあらぬものとしたり、あらぬものをあるものと捉える道であるとされます。さらにまた、前者が真理(主に矛盾律)にしたがって、必然的なことを確信するのに対して、後者は、事物のその時々の偶然的な外観に感覚的に惑わされて矛盾したことをいう愚衆の見解とされました。したがって、ここでの考察ではあるもの(to eon)のみが対象となるのであり、それのみが合理的に思惟されうるとされるわけです。また、あらぬもの(to me eon)は、まったく無いのである以上、理性的に認識しようがなく、合理的に思惟することも語ることもできないわけです。このように、真に実在するものはあるもののみであると考えられました。

ここで、注目すべきことは、パルメニデスがあるものを、ある特殊な物質によって表現するのではなく、それを論理的な無矛盾性(矛盾律)によって説明しようとしていることです。後の論理学の用語を用いれば、同一律と矛盾律とをもって、あるものの必然的な存在性が語られたといえるでしょう。こうして、論理による合理的な認識の対象のみが、すなわちあるもののみが真の実在とされ、他のなにものもなく、あるものを分かつ空虚なるものもなく、さらにまたあるものがあらぬものへ、あらぬものがあるものへといった変化も一切認められないということに考えられることになったわけです。

さて、ここでパルメニデスの語ったあるものについて少し纏めてみましょう。それは、主に四つの事柄に分類できそうです。まず一つ目は、あるものは不生不滅にして、無始無終にして、過去-現在-未来の区別も無い端的に永遠の実在であり、全一にして唯一者である、ということです。二つ目は、あるものは分かつことのできないもの、すべて一様に同質的で充実したものであり、空虚の無い全きものとして、不壊不可侵であるということ。三つ目は、あるものは緊密な統一体として不変にて不動であり、動くための空虚もなければ、生成消滅もありえない、ということです。そして、最後四つ目は、あるものは中心からどの方向に対しても均衡の取れた限界あるものにして、一塊の美しい丸い球のようである、ということです。最後の四番目はこれまで話して来たことからは少し想像がつかないかもしれませんが、パルメニデスはあるものをある種の球体として捉えていたのです。この意味では、論理性を重視しつつも、パルメニデスもまた最後には矢張り物質的存在を想定していたということでしょうか。パルメニデスについてはこれぐらいにしておきますが、以後西洋の歴史においてパルメニデスの思惟というのは、重大な影響を及ぼしつづけていくことになります。本来ならば、ソクラテス以前の哲学者中もっとも重要な哲学者ともいえるようなパルメニデスをこのように乱雑に取り扱うのはいささか心苦しいのですが、紙幅の都合上これぐらいにしておきます。

【原典からの引用紹介】

「いまこそ わたしは汝に語ろう。汝はこの言葉を聞いて心に留めよ。

まことに 探究の道として考えうるのは ただこれらのみ。

そのひとつ すなわち、「ある」そして「あらぬことは不可能」の道は、 説得(ペイトー)の女神の道である。――それは真理に従うものであるから――。

他のひとつ すなわち、「あらぬ」そして「あらぬことが必然」の道は、 この道は まったく知りえぬ道であることを 汝に告げておく。

そのわけは あらぬものを汝は知ることもできず――それはなしえぬこと――、また 言うこともできぬからである。」(断片 2)

「ここに現われてはいないが、しかし知性には牢固として現存するもの」(断片4)

「しかしつぎには 死すべき人間どもが なにひとつ弁え知らぬまま、 双つの頭をもちながら 彷徨い歩く道を禁ずる。(中略)彼らには、「ある」と「あらぬ」が同じであり かつ同じでないとみなされる。」(断片6)

「理(ロゴス)に従うことによって」(断片7)

「道について 語る言葉としてなお残されているのはただひとつ 「ある」ということ。この道にはきわめて多くのしるしがある。すなわち あるものは不生にして不滅であること。なぜなら それは(ひとつの)総体としてあり、不動で終りなきものであるから。それはあったことなく あるだろうこともない、それは全体としてあるもの、 一つのもの、連続するものとして 今 あるのだから。」(断片8)

「ここで 私は 汝への信ずべき言葉と真理についての思索を終ろう。これよりのちは、汝は死すべき者どもの思惑を学ぶがよい、 わが言葉の実なき欺瞞の構成に耳傾けて。」(断片8)

ゼノン

ゼノンは師パルメニデスより25歳ほど若く、師と同じ都市エレアに生まれます。彼の人 生は半ば伝説的で、反政府運動の結果、僭主に捕まり激しい拷問を受けましたが、自分の舌をかみきり、死ぬまで仲間を裏切りませんでした(この辺の逸話は『物語ギリシア哲学史』や岩波の初期ギリシア断片集の編者山本光雄の哲学者の逸話ばかりを収めた本などに詳しいです)。

何しろ、哲学から引き出せる最大の利点はなにか、と問われたのに対して「死に対する軽蔑だ」と一言答えたという人物です。ある種ソクラテスが哲学を死の練習と捉えたことの先取りをしているわけですね。まあ、フォールゾクラティカーの中で一番格好良い男であり、いわゆる強き哲学者の象徴のような人物です(そこらのひ弱い学者先生とはまったく違います)。というのも、彼とヘラクレイトスの二人こそ哲 学者のイメージに強く影響を与えた人物は他にいないぐらいです。

まあ、彼の人となりについてはこれぐらいにしておきましょう。それでは、さっそく彼の哲学について説明していきたいですが、彼の哲学というのは別に独自にはなく、ようは師パルメニデスの哲学を全面的に受けついていると思って良いでしょう(専門 的なことはまた別だろうが)。ただし、実際の彼が説いたものは極めて独創的で哲学 史上これほど有名なものはないくらいよく知られています。

それは、いわゆるアキレウスと亀の喩話でも知られるパラドックスの数々です。ゼノ ンは師の教えの正しさを証明するために師の教えに反するとどうなるかをこうしたパラドックスによって証明しようとしたわけです(このことからゼノンはディアレクティケーの創始者ともいわれる)。そして、その眼目は特に「(存在の)多(様性)」の否定にありました。

さて、さっそく引用でも見てみましょう。ちなみに、例の如くフォールゾクラティカーたちの引用というのは(直接原典が残っていないので)断片でしかありません(つまり、 他の人が引用あるいは解釈しているものを孫引きしてくるわけです)。ちなみに、すべて山本光雄の『初期ギリシア断片集』から取っています。

(ゼノンの目的) 「真実を言えば、この論文はパルメニデスの説を愚弄して、もし(一切が)一であるとするならば、その説は多くの不合理や矛盾を帰結としてゆるさなければならなくなる、という者に対するパルメニデスの説の一種の擁護なのだ。だから実に、この論文は多の存在を肯定する者に逆説を食らわし、かつ同じ愚弄を、しかももっと沢山に、応酬してやるのだ。」(Plat.Parm.128c)

(一粒の粟) 「彼(ゼノン)は云った”私に答えてくれたまえ。プロタゴラスくん。一粒の粟が、あるいは一粒の千分の一の粟が下に落ちたときに音を立てるだろうか”相手が”たてない”と答えたので、彼は更に云った”では一メジムノス[約12ガロン]の粟が下に落ちた場合に音を立てるだろうか”で、相手が”一メジムノスの粟なら音を立てる”と答 えたので、ゼノンは云った”それなら、どうだ、一メジムノスの粟と一粒の粟、或は 一粒の粟の千分の一の粟との間にはある割合があるのではなかね”で、相手は ”ある”と答えたので、ゼノンは云った”では、どうだ、その音にも相互の間に同じ割 合があるのではなかろうか。というのは、音を立てるものに応じて音もあるのだから。 このことが事実このようであるとすれば、もし一メジムノスの粟が音を立てるなら、 一粒の粟も千分の一の粟も音を立てることになろう”と言った」(Simplic.Phys.1108. 18)

(アキレスと亀) 「・・・もっとものろい走者でも決してもっとも速い走者によって追いつかれることはな いだろう。というのは前者がそこから出発した地点へ追っ手は先ず到達しなければ ならない、従って足ののろい走者でも常に幾らか先に進んでいなければならない から」(Aristot,phys.Z9.293.b14)

他にもゼノンは有名な「飛ばない矢」の喩話などもしています。これは、矢が飛ぶとしたならば、その矢は二点間の真ん中を通らなければいけないはずですが、更にそこに行くまでにはそこまでの真ん中を通らなければなりません。こうしてそうした 議論を積み重ねて行くと矢は「無限の点」を通過しなければならず、無限を通過し終えることはないのであるから矢は飛ばない、という結論を導き出すわけです。もちろん、ゼノンはこうしたことを信じていたのではなく、一種の詭弁として語っているわけですが、論理的に考えると運動や存在の多様性を認めると論理矛盾に陥るということでゼノンはパルメニデスの主張を逆に根拠づけようとしたわけですね。

メリッソス

ゼノンと同じくパルメニデスの徒とされる。しかし、彼だけはパルメニデスやゼノンと異なり、小アジア沿岸冲のサモス島に生まれている。彼がどのようにしてパルメニデス(の思想)と出会ったのかなどについては一切不明である。彼の生涯についてはサモス海軍を指揮してアテナイの艦隊を撃破したことが伝えられている。

メリッソスの思想はほぼパルメニデスの思想を踏襲しているのであるが、ただ一点だけ彼とは異なる点があり、その点が重要でしょう。というのは、パルメニデスにとって「あるもの」は限界によって限られている球体のようなものであったが、メリッソスはまさにこの点を批判するのです。なぜならば、それがもし限界付けられているのであれば、何ものかがその限界の外に想定されてしまうからです。そして、そうした何ものかの存在を認めるなら「あるもの」は一つではなくなってしまうわけです。

したがって、メリッソスにとって「あるもの」が「一」であるためには「あるもの」は空間的に無限でなければならない。と同時に、この「あるもの」は時間的にも無限である。生成も消滅も有り得ない以上、「あるもの」は始まりもなく終りもない時間的にも無限のものでなければならないからです。

ところで、このメリッソスにおいてはじめて「空虚(kenon)」が明確に概念化され、これがしっかりと否定されています(「いかなる空虚も存在しない。空虚はあらぬものだから。あらぬものはありえないのだ(断片7)」)。これによってパルメニデスの運動否定の説はより確固たるものへとなりました。このように見てみると彼の説は現代のビックバン仮説などに対するわれわれの素朴な疑問などを彷彿させてくれるのではないでしょうか。つまり、「ビックバンがあったとしてそれじゃあそれ以前は何があったの?」であるとか「宇宙の外は何があるの?」といった素朴な疑問です。それでは、以下彼の断片を見てみましょう(断片の番号はすべてDiels-Kranz,Die Fragmente der Vorsokratikerの指定による)。

「あったものは何であれ、つねにあったし、またつねにあるだろう。なぜなら、もしそれが生じたのであるなら生じる前には、それはあらぬものでなければならぬことになるからだ。だが、それがあらぬものであったとすれば、あらぬものから何かが生じてくることはまったく不可能で在るからだ」(断片一)

「だがそれ(あるもの)が永遠にあるように、それの大きさもまた永遠に無限でなければならない」(断片3)

「始めと終りを持つものは、何であれ決して永遠でも無限でもない」(断片4)

「それゆえ、もし空虚がないなら、それは充実したものでなければならない。それゆえ、それが充実しているなら、それは動かない」(断片10)

エンペドクレス

エンペドレクス(Empedokles AC495-435)です。エンペドクレス以前にパルメニデスとヘラクレイトスという人物がいました。そして、前者は世界を「不変不動」と捉えたのに対して、後者は世界を「生成流転」として捉えました。両論真っ二つに対立するわけですが、両方ともそれなりの説得力をもっていたわけです。

ところで、こうした対立が対立としていつまでもそのまま残されているようじゃ西洋哲学の名折れです。西洋哲学が東洋哲学と一番異なるのは、上述しましたように、その批判精神にあるといっても過言ではないでしょう。東洋哲学が師匠の教えを守ったり、解釈に終始するのに対して、西洋哲学はいきなり師匠の教えを批判して乗り越えようとします。もっとも、エンペドクレスはパルメニデスやヘラクレイトスの直接の弟子ではありませんが、彼らが自らの師匠であったとしても彼はそうした問題を批判的に乗り越えようと取り組んだことでしょう。

さて、エンペドクレスはどのようにして、この対立の克服をはかったのでしょうか?それは「リゾーマタ(rizomata)」という概念によって克服されよう と試みられました。この「リゾーマタ」というのが「根っこ」という程度の 意味ですが、この「根っこ」というのが現代風にいえば「元素」のようなものです。そして、万物の究極の構成要素たるこの「元素」を彼は四つの元素 から捉えました。すなわち、地水火風の四元素です。

これがどうして上で述べられた対立の克服になるかというと、この究極の構 成要素たる「四元素」は「不変不動」の存在です。そして、万物はこのそれ 自体としては不変不動のこの四元素が分離したり混合したりしてさまざまに 構成されていくと考えられたわけです。まあ、今風にいえば、まさに元素と化学変化ですべてを説明しようとしたわけですが、このようにして、上で述べられた両説の調停を行っているわけです。

それだけではありません。四元素が分離したり混合したりするためには、それが分離したり混合するための原因、すなわち「動力因」が必要です。この 動力因をエンペドクレスは「愛(フィリア)と憎しみ(ネイコス)」という 概念で説明しようとしました。まあ、こんな風にいえば、随分とまあ擬人的 であると笑われる方もいらっしゃるかもしれませんが、引力と斥力で説明する近代風のやり方と基本的な発想は何も変わらないことに驚きましょう。

しかも、物事の説明に対して、このように「動力因」というものを打ち据えたのはこのエンペドクレスが哲学史上、ということはすなわち、全学問上、はじめてのことになります。アリストテレスがこの点を高く評価してもいるのも当然のことといえるでしょう。ちなみに、このエンペドクレスはその人生自体も興味深く、彼は魔法使いで あったとか、自分を神と僭称していたとか、「神は死んだ」と高らかに宣言したとか逸話に富んでいます。「神は死んだ」というとニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の下記の一節を思い出す方も多いかと思います。

「かつて神を冒涜することが最大の冒涜だった。だが神は死んだ。だからこの神を冒涜する者たちも死んだ。今やもっとも恐るべきことは、大地を冒涜することだ。極め尽くすことができない者の臓腑を、大地の意義よりも高くあがめることだ。」(ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』)

ニーチェは登場する二千年以上前に神は死んだ、という最初の台詞は既に登場しているわけですね。逆にいうと、神は死んだというニーチェの台詞は別にニーチェの真骨頂でもなんでもないのですが、世間には何故かニーチェの神は死んだ、という言葉だけが一人歩きして、それこそ倫理や世界史の教科書なんかに間違って載ってしまっているわけです。J・S・ミルの言葉を思い出して欲しいですが、教育を鵜呑みにするというのは怖いですねえ。また、このような示唆に富む逸話や思想などから、ドイツの詩人ヘルダーリンやそれこそ本家本元?の哲学者ニーチェがその伝記を描こうとしてとり組んだりもしているのですが、二人とも製作途中に両者とも発狂したりしていることでも有名です。呪われる事でもあるんではないかと思わせるこれまた変わった逸話ですね。

アナクサゴラス

さて、アナクサゴラスですね。まあ、それほど著名な哲学者じゃないんですが、皆さんもご存じの若きソクラテスを熱中させた哲学者として有名でもあります。ソクラテスは系譜でいうとこのアナクサゴラスの孫弟子ぐらいにあたるんですね。で、この哲学者はなにを言ったかというと、ようするに先のエンペドクレスが動力因を憎しみだとか愛だとかいう訳の判らんもんを挙げていたのに対して、このオヤジは「理性( ヌース)」が動力因であると説いたところに意義があったわけです。

といっても、「太陽は燃える石である」と喝破したことでも有名なように、彼は基本的に唯物論者でありまして、理性を掲げる観念論者じゃありませんでした。そこが、ソクラテスは「せっかく理性という概念を持ち出してきたのに、結局のところ機械論じゃないか!」と落胆させたゆえんでもありました。とはいえ、経験論を軸に考えていくというのは自然科学の基礎であるわけで、決して軽んじるべきではないと思います。

ところで、アナクサゴラスのアルケーとは何であったか、それについても触れておきましょう。まず、彼は「スペルマタ(種子)」をアルケーと捉えました。そ して、このスペルマタはエンペドクレスのように四つの種類しかないものではなく、かといって現代科学のように113種類だか何種類だか忘れましたが(時々増えるのでもう正確な数はGoogleでも検索しないと分かりかねますが)、そういう有限な数ではなくて、「無数」にあると考えたのです。現代ではスペルマというと精子を意味していますね。いえ、下ネタをいいたいわけではなく、人間の生命の根源を奇しくも捉えていたと考えることができるのではないえしょうか。

さて、万物はこの無数のスペルマタによって構成されてくるわけですが、彼の面白い発想は、一つ一つのモノには全ての種類のスペルマタが含まれていると考えたところにあります。その意味では素粒子論とも繋がってくる先駆的な発想であったともいえるかもしれません。目の前のコップには、すべてのスペルマタが含まれているわけです。そして、目の前のコップと隣にある林檎が異なるのは、その無数のスペルマタのそれぞれの種類の割合によってであると考えたのです。つまり、無数のスペルマタのうち、ある特定の種類のスペルマタの分量の多さによって、物事はその姿を変えてくると考えられたわけです。

レウキッポスとデモクリトス

今回はレウキッポスとデモクリトスの二人ですね。何で今まで一人ずつ扱って きたというのに、急に二人もいっぺんに扱うかというと何も筆者が「面倒くさ くなった」とか、「簡略化しよう」と何気に合理化をはかっているとかいうわけではなくて、レウキッポスが余りにも資料を欠いており(その実在を疑う説 もある)、通常レウキッポスの思想はその弟子デモクリトスと一括して説明さ れるのが通例だからであります。

さて、Vorsokrathikerらしくまた例によって彼らの考えたアルケーを取り上げたいですが、今度のそれは「アトム」です。少なからず予想されていた方がいるかもしれない寒いギャグをいえば、もちろんあの「鉄腕アトム」のことではありません。「アトム」とは「分割されえぬもの」というような意味でして、 要するに、「原子」のことです。多くの現代人が、「原子」と聞くと非常に納得しやすいものがあるかもしれません。古典物理学も何もない時代に自分の観念だけでそうした根源を考えつくと言うことは凄いことですよね。ちなみに、こういうことをいうと古典物理学は実験の精神を重視したいたわけで、観念だけで原子論などを考えても意味がないと仰られる方もいらっしゃるかもしれませんが、ガリレオやニュートンも実は実験出来ないこと(重力や引力)をロジカルに論証したに過ぎないわけで、必ずしも何か実験を繰り返すことだけで彼らの主張が完成したわけではありません。

そして、この「アトム」は今までのエンペドクレスやアナクサゴラスの考えた 元素と違いそれぞれ一つ一つの間に性質上の差異は認められず、ただ形が違う だけとされたのです。そして、多様なもの事物や現象はその「アトム」の配列と位置の違いによってだけ生じてくるものであると考えられました。

ところで、デモクリトスが考えたことの特色というのは何もこの「アトム」だけには限りませんでした。というよりも、哲学史的にはむしろ今から述べることの方がより重要であるかもしれません。それというのは、彼らは「空虚(ケノン)」を認めたのです。というのも、上の「アトム」が運動するためには、 その間に「空間」がなければならない、そしてこの「空間」は何も埋まってない「空虚」でなければならない、と考えたからです。

これは、パルメニデスの「有があり、非有はない」という命題に真っ向から対立するものでもあります。すなわち、「非有」の存在が説かれたわけです。このようにデモクリトスらは「アトム(有)」と同じ程度に「空虚(非有)」に もその存在を認めたことになったのです。

author avatar
ryomiyagawa
早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
1 2 3 4 5 6

7

8 9
PAGE TOP
お電話