プラトン

それでは次にソクラテスの継承者プラトンについて紹介していきたいと思います。プラトンとソクラテスは非常に連続的であり、それはソクラテスが書物を残さず、プラトンが対話編として彼の思想を残したということから分かる様に、どこまでがソクラテスの思想でどこからがプラトンの思想なのか判別しがたい点を含んでいます。とはいえ、主に中期以降のプラトンの西洋思想、学問、文化全般への影響は比類ないものであり、後世の19世紀から20世紀にかけて活躍したホワイトヘッドがその著『過程と実在』で「西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない」と言ったことはあまりにも有名でしょう。その反面、プラトンは、ヨーロッパ的知性の最大の代表者として、現代思想による批判も根強いことも有名です。プラトンの思想は、仮象としての現実世界とこれに対する真実在としてのイデアの世界、真善美のイデアの実在性や霊魂の不滅を説くプラトニズムとして、現代思想において、とりわけニーチェを源流とする思想家たちに手ひどく批判されています。ヨーロッパ哲学における絶対的な「真理」主義、禁欲主義と道徳主義、理性と普遍性への過大な信仰、といった形而上学の期限をなす人物として、ニーチェ以後もハイデガーやデリダらに痛烈に批判を受けています。現代思想において賛否両論のあるプラトンではありますが、逆に言えば、現代においても批判され得る対象として未だに最前線に君臨し続けている哲学者の中の哲学者ともいえる偉大な存在であることは逆にこのような事情が証明しているとも言えるでしょう。そこで、プラトンについて改めて西洋哲学史という流れの中ではありますが、少し詳しく追っていきたいと思います。

プラトンはBC427年~BC347年に活躍した哲学者です。プラトンというのは、諸説はあるものの、肩幅の広い人を意味しており、古代オリンピックと並ぶ古代ギリシアの四大競技会の一つであるイストミア大祭でレスリングの試合に出場した折に、レスリングの師匠であるアルゴスのアリストンに名付けられたと言われています。現代の研究者は一般にプラトンの古代オリンピックへの出場経験や優勝経験を疑問視する声もあるものの、古代リンピック(オリュンピア大祭)とネメア大祭でレスリングの種目で優勝されたと伝えられております。まさに、オリンピック選手であったとかオリンピックで優勝したというかとははっきりと言えないまでも、まさに文武両道を地で行く哲学者であったのは間違いないでしょう。

プラトンは、アテナイ最後の王コドロスの血を引く一族の息子として、貴族の名門の過程に生まれました。20歳のときにソクラテスと出会い、哲学に強く惹かれましたが、最初は政治家を志していたと伝えられています。これは彼の社会的地位からしごく当然のことであったかもしれません。ところが、当時の政治情勢は青年プラトンの理想と期待を裏切らずにいられないものでした。スパルタを盟主とするペロポネソス同盟とアテナイを盟主とするデロス同盟との間に発生したペロポネソス戦争にアテナイは敗れ、アテナイは共和制が崩壊し、スパルタの指導のもとに三十人政権が発足し、専制横暴な恐怖政治を行いました。この政権は僅か九か月で打倒されましたが、復活した共和政権のもとでは、ペロポネソス戦争敗戦の原因となったアルキビアデスや三十人政権の指導者の一人であったクリティアスがソクラテスの弟子でもあったことからその政治的影響を受けて刑死するという事態もあり、プラトンは現実の政治に失望し、政治家への道を断念するに至ります。ソクラテスが刑死した際、プラトンは病気を理由に一時アテナイを離れており、メガラのエウクレイデスのもとに滞在していたといわれています。生前のソクラテスを対話編という形で再現しようと考えに至ったのはこのエウクレイデスのもとにおいて考案されたと言われています。数年を旅で過ごした後、前期の対話編と呼ばれるもののほとんどすべてを集中的に書き上げ、その後BC387年にプラトンはシケリアのシュラクサイに旅行し、僭主ディオニュシオス一世の宮殿を訪ね、ディオンと知り合います。ディオンは、ディオニュシオス一世の義弟であると共に娘婿でした。この出会いは後にプラトンが政治に関与する遠因となります。

プラトンは、その後、イタリアのタラスにあるピュタゴラス学派の数学者アルキッタスの学校を訪問し、自らも学園を創始しようとアカデメイアを創立します。アカデメイアは創立してからも長く存在し、紀元後529年に当時の東ローマ皇帝ユスティニアヌス一世によって閉鎖が命じられるまで約九百十四年長きに渡って開校し続けます。約先年近い歴史ある学校となったわけですね。日本の大学の歴史どころの長さではありません。これはかつて存在した大学の中で最も長く続いた大学であり、現在に至るまでこれ以上の歴史を有する大学は存在しません。アカデメイアにおいて、プラトンは、数学を重視し、「幾何学を知らざる者、ここより中に入るべからず」という看板を学童に掲げていたと言われています。また、プラトンは学園では、口頭で講義することを重視し、書くことは「美しい遊び」(プラトン『パイドロス』)であったに過ぎないといわれるほどでした。この学園創立の前後に後述するイデア論が鮮明に現れた中期の対話編群を著作したと言われています。

それから二十年近くが過ぎ、プラトンが老境の域に達し始めた頃、かつてシュラクサイで出会ったディオンの要請により、ディオニュシオス二世の教育のために渡航します。かねてよりプラトンは「哲学者が王となるか、王たる者が哲学を学ぶかしない限り、国家の悲惨は救われない」という信念を抱いていたので、自らの理想を実現しようと試みます。

「真の哲学の代表者が国家において支配者となるか、もしくは国家における統治権の所有者が、神の摂理によって真の哲学を真剣に従事することを決心するまでは、人類がその苦悩から解放されることはないだろうと、私は断言する」(プラトン『第七書簡』)

しかし、周辺の流言飛語により、ディオンはやがて追放され、プラトンも城壁内に軟禁状態に置かれることになります。シュラクサイとカルタゴの戦争に乗じて、帰国の合意をとりつけ、なんとかアテナイに帰還したプラトンでしたが、5年ほど経ち、ディオニュシオス2世自身と、追放中のディオンの双方から、再度哲学教育を強く要請されたことで、66歳頃、3回目のシケリア旅行を決行する(紀元前361年-紀元前360年)。しかしディオンの財産処分に関する嘘をつかれて逗留を余儀なくされた挙句、敵視されて城外に追い出されるなど散々な目に遭い、結局このときもプラトンはなすところはなく、アテナイへ逃げ帰る羽目になってしまいます。ちなみに、ちょうどその頃、紀元前367年にアリストテレスがアカデメイアに入学しています。

紀元前360年以降プラトンはもはや外の世界とは関わることを辞め、執筆に専念するようになります。後期の対話編とされる一群の著作はこの時期の作品です。アカデメイア設立やシェラクサイ渡航などに関わることなどもあって、後期の対話編は前期・中期の作品よりかなり年代的な隔たりを持って執筆されました。そして、紀元前347年に、80歳の高齢でプラトンは没します。生涯独身であり、哲学に捧げた一生でした。

著作

プラトンの対話編は大きく、前期、中期、後期に分けられる。

前期:『小ヒッピアス』『ラケス』『カルミデス』『イオン』『プロタゴラス』『ソクラテスの弁明』『ゴルギアス』『メノン』『リュシス』など

中期:『饗宴』『パイドン』『国家(ポリティア)』『パイドロス』など

後期:『テアイテトス』『パルメニデス』『ティマイオス』『クリティアス』『法律』『第七書簡』など

イデア論

プラトンの思想と言えば、何を置いてもイデア論はまず上げられるでしょう。まず、プラトンのイデア論の概要を抑えてみましょう。プラトンの師ソクラテスは、あらゆる行為に共通の「勇気」や「正義」「善」とは何かを問い続けましたが、それが何かを述べることはありませんでした。そこで、プラトンはその答えとしてイデアという思想を考え出しました。勇気とは何かの答えは勇気のイデアであり、正義とは何かの答えは正義のイデアであるというわけです。

もちろん、いきなりイデアと言われても読者諸氏も戸惑われると思います。そもそも、「イデア」というのは「観る(イエイン)」という同士の受け身形で、わかりやすく言うと「観られたもの」「観られた真の姿」といった意味を含んでいます。とはいえ、このイデアは肉眼の目に見えるわけではないので、精神の目で見ていることになります。一つわかりやすい例をあげれば「三角形」について考えてみるとわかりやすいでしょう。

三角形の和は内角の和が180度と決まれています。しかし、この世に性格に180度の三角形など存在するでしょうか。実際に作図したりしても、どこから曲がっていたり、ずれていたりするかと思います。同様に直線についてもどうでしょうか。直線とは二点間における幅(面積)を持たない直線です。どんなに立派な物差しを使っても幅のない直線は描けませんし、どこかねじ曲がっているでしょう。この世に真の三角形も直線も存在しませんが、イデアとして、理想の三角形や直線は考えられるものとして純然に存在しているわけです。このことを言い換えれば、私たちが三角形と考えているものは、単に三角形とみなおしうるものに過ぎないということです。しかし、しかし、何故か我々はそういう観たことがない三角形や直線をイメージし理解することが出来きるのでしょうか。ここに目に見えるものではないにしろ、ほんとうの三角形(三角形そのもの)がどこかにあるという考え方が成り立つわけですね。これがイデアという発想の基本です。

このことをもっと平たく言うと『唯脳論』で昔一躍ヒットした養老孟司の言葉が思い出されますね。

「では、直線はどこにあるのか。脳の中である。そこにもそんなものが存在しないとすれば、ヒトが直線を思いつくはずがない。どこかに直線がなければならない。だから脳の中に存在する他はない。」(養老孟司『唯脳論』)

で端的に表現されていますが、プラトンは、もちろん、全てを脳に還元するという考えは採っていないものの、かなり近しい発想を持っていたといえそうですね。もちろん、プラトンは頭の中にこうしたイデアがあるとはいっておりませんので、その点はご注意くださいませ。また、こうした理解や完全な三角形を用いた説明にも難点はあります。哲学者の納富信留はこう語っています。

「現代でも哲学の歴史において、『イデア』などという超越的存在は必要ない、哲学者が頭の中で作りだした抽象物だ、そう言われてきました。(中略)イデアを持ち出す必要などない、この世界を不必要に二重化するだけだ、アリストテレスもそう批判しました。彼はプラトンやプラトン主義者が『離在させた』(アリストテレス『形而上学』)という言い方で批判を加えました。現代でも『イデア論』に対して、同じような見方が色待っています。学校で先生が苦労して『イデア論』を説明しようとして、よく三角形の例を持ち出します。私たちが描いたり目にしたりする三角形はどれも正確ではないが、理念的な三角形は完全なはずだ、それがイデアだと。(中略)たしかに数学的対象はイデア論においてとても重要です。しかし、数学という学問が完全な三角形を想定して理論を展開しているとして、それはどうせ人間が具体的な事物から抽象した結果であり、頭の中に持つ観念に過ぎないのだ、そんな疑問は賢い生徒ならだれでも抱きます。アリストテレスは、数学をまさにそんな抽象的存在だとして、実在性を否定しました。私は、イデアを語ろうとして三角形を例に持ち出すのは、適切ではないと思っています。『イデア』は普遍者についての一般的な理論などではありません。一つひとつの現実を見据えて問題に向き合う、哲学の実践です。そして、言葉を語る私たち自身の変容です。したがって、どの場面で、どうイデアという存在を考え語っていくか、それが決定的に重要です。繊細な精神を描いた論じ方は、イデアの真意を損ないます」(納富信留『プラトンとの哲学 対話編をよむ』)

イデアという言葉は、ヨーロッパ語の系譜とで言うと、観念(イデア)や理念(イデー)という言葉の起源になっているわけです。イデアやイデー(理念)という言葉の起源になっているのがプラトンは、養老孟司さんと違って、ただ私たちの頭の中にあるだけのものとは考えなかったんですね。プラトンは、まずイデアが先にあって、それから私たちの頭の中に浮かんでくると考えたわけです。プラトンのイデア論が確立されたと言われる中期の対話編『パイドン』では次のように語られています。

ソクラテス「では、知恵の獲得そのことに関してはどうだ。肉体は邪魔なのか、そうではないのか。もしもヒトがこの研究において肉体を協力者として伴うならば、たとえば僕はこういうことを言っているのだ。いったい、観ることや聞くことは人々になんらかの真実を教えるのか。それとも、これらのことについてなら、詩人たちでさえ我々にいつも語りかけているのではないか。我々はなにも正確なことも見もしなければ聞きもしない、と。もしも肉体的な諸感覚のうちで、これらの二つの感覚が正確でなければ明晰でもないとすれば、他の諸感覚がそうである可能性は殆どないだろう、なぜなら、他の諸感覚はすべてこの二感覚よりも劣っているのだから。それとも、君はそう思わないかね」

シミアス:「その通りです」

ソクラテス:「では、魂はいつ真理に触れるのか。なぜなら、肉体と協同してなにかを考察しようと試みれば、そのときには、魂は肉体によってすっかり欺かされてしまうのは、明らかだからだ。」

シミアス:「あなたのいわれることは、真実です」

ソクラテス:「したがって、もしも存在するものの中にかが魂に明らかになる場所がどこかにあるとすれば、それは思考においてではなかろうか」

シミアス:「そうです」

ソクラテス:「ところで、おそらく、思考がもっとも見事に働くときは、これらの諸間隔のどんなものも、聴覚も、視覚も、苦痛も、何らかの快楽も魂を悩ますことがなく、魂が、肉体と別れを告げてできるだけ自分自身となり、可能な限り肉体と交わらず接触もせずに、真実性を希求するときである。」

シミアス:「その通りです」

ソクラテス:「したがって、ここでもまた、哲学者の魂は肉体を最高度に侮蔑し、肉体から逃亡し、まったく自分自身だけになろうと努力するのではないか。

シミアス:「そのように思われます」

ソクラテス:「では、シミアス、次の点についてはどうだ。われわれは、なにか正義そのものが存在するというのかね。それとも、言わないのかね。」

シミアス:「ゼウスに賭けていいます。」

ソクラテス:「さらにまた、善や美は」

シミアス:「もちろんです」

ソクラテス:「では、今までに、こういうもののなにかを君は目で見たことがあるか」

シミアス:「けっして、ありません」

ソクラテス:「では、君は目以外の他の肉体的な感覚によって、それらを把握したことがあるか。僕はすべてのものごとについて語っているのだ、たとえば、大きさ、健康、力、一言で言えば、他の全てのこういうものごとの本質、それぞれのものごとが正にそれであるところのもの、について語っているのである。一体、これらのもののもっとも真実な姿が肉体を通して見られるだろうか、それともこういう事業なのではないか。我々のうち誰にもせよ、自分が考察する物事について、そのもの自体をもっとも十分にそしてもっとも厳密に思考しようと準備する者が、それぞれのものを知ることにもっとも接近するのではないか」

シミアス:「まったく、その通りです」

ソクラテス:「それでは、このことをもっとも純粋に成し遂げるヒトは、以下に述べるようなヒトではなかろうか。その人はできるだけ思惟そのものによってそれぞれのものに向かい、思惟する働きの中で視覚を付け加えることもなく、他のいかなる感覚も引きずり込んでしこうと一緒にすることもなく、純粋な思惟それ自体のみを用いて、存在するもののそれぞれについて純粋なそのもの自体を追求しようと努力するヒトである。その人は、できるだけ目や耳やいわば全肉体から解放されている人である。なぜなら肉体は魂を惑わし、魂が肉体と交われば、肉体は魂が真理と知恵を獲得することを許さない、と考えるからである、シミアス、もし誰か真実性に到達する人があるとすれば、それはこの人ではないか。」

シミアス:「ソクラテス、あなたはなんと見事に真実を語られたことでしょう」とシミアスは言いましいた。

(プラトン『パイドン』)

プラトンの著作は、先述したとおり基本的にソクラテスを主人公にして書かれているので、一体どこまでがソクラテスの思想であり、どこからがプラトンの思想であるかは見分けるのは難しいものですが、一般的にこの『パイドン』が書かれた中期の対話編以降はプラトン独自の思想といわれています。今引用した部分は、死刑を求刑されたソクラテスが弟子との会話の場面で、死を恐れる弟子たちへそれは違うよとソクラテスが語っている場面です。哲学とは死の練習であるとソクラテスが考えていたことはソクラテスの箇所で説明しましたが、ここにはさらに発展して肉体からの魂の離脱、不死にして永遠なるものへの憧れが表されています。ふつうの人にとっては死を忌むべきものであり、また恐ろしいものですよね。だが、ソクラテスは死を恐れなかった。それは単にソクラテスが剛毅な人であったということではなくて、ソクラテスにとっては死とは魂が肉体から解放されることに他ならなかったからです。哲学者の一番の関心事である「真理」の認識のためには、むしろ肉体に煩わされない方が好ましいのであり、人は純粋に思惟することによって「真理」の認識に近づき、人間の魂のもっとも純粋な状態は、肉体から切り離された状態、すなわち死にあると考えてたわけです。

このことは、肉体から魂の離脱を尊び、不死にして永遠成る者への憧れが重視されているわけですね。そして、純粋な思惟によって認識されるのが「正しさ」そのもの、「善」そのもの、といったイデアであるわけです。同じく『パイドン』にはこうも書かれています。

ソクラテス:「われわれは、なにか等しさが有る、と多分言うだろうね。僕が言うのは、ある木が別の木に等しいとか、ある石が別の石に等しいとか、その他のそんなような等しい事物のことではなく、これらすべてのものとは別のなにか、「等しさそのもの」のことである。われわれは、そういうなにかが有ると言おうか、それとも、ないと言おうか」

シミアス:「もちろん、誓って、文句なしに、有るといいましょう」

ソクラテス:「そして、われわれは等しさそのものがなんで有るかを、知っているのか」
シミアス:「はい、たしかに」

ソクラテス:「では、どこからそれについての知識を得たのだろうか。われわれは今し方話していた事柄からではないだろうか。つまり、木材や石材や他のそういうものが互いに等しいのを見て、これらから、これらとは異なるもの等しさそのものをわれわれは考えついたのではないか。それとも、君には等しさそのものがこれらの等しい事物と異なる、とは見えないかね。では、次のようにもかんがえてみたまえ。等しい石材とか等しい木材とかが、特に、同じものでありながあ、ある人には等しく見え、他の人には見えない、ということがあるのではないか」

シミアス:「はい、たしかにあります」

ソクラテス:「ではどうだ。等しさそのものが不等であると君に見えたり、等性が不等性であると見えたりしたことが、かつて1度でもあるか」

シミアス:「けっしてそんなことはありません」

ソクラテス:「そうすると、これらの等しい事物と等しさそのものとは同一ではないのだ」

シミアス:「けっして私には同一と思われません、ソクラテス」

ソクラテス:「だが、確かに、これらの等しい事物から-これらはかの等しさそのものとは異なるにもかかわらず-君はかの等しさそのものの知識を考えついたのであり、獲得したのだね」

シミアス:「あなたの仰ることは、まったく本当です」

ソクラテス:「その場合、かの思いつかれたものは、その機縁となった事物に似ているか似ていないかのどちらかだね」

シミアス:「その通りです」

ソクラテス:「だが、それはどちらでもかまわない。君がなにかあるものを見ながら、この見たことをきっかけにして、なにか別のもんを考えつくならば、それが似ていようが似ていまいが、そこに必ず想起が起こったのだ」

シミアス:「まったくその通りです」

ソクラテス:「ではどうだ。木材とかわれわれが今しがた語った色々な等しい事物について、われわれはなにか次のようなことを経験するのではないか。それらの事物は、まさに等しさそのものと同じように、等しくあると、われわれには見えるだろうか。それとも、等しさそのもののようにあるという点では、なにか、かのものより不足しているのだろうか、いないだろうか」

シミアス:「非常に不足しています」

ソクラテス:「では、われわれは次のことに同意するだろうね。誰かが何かを見て、自分が現に見ているこのものは存在するもののうちのなかで別のものになろうと望んでいるが、不足していて、かのもののようにはなれず、より劣ったものである、ということに気づくとき、多分このことに気づいた者は、かのものを必ず予め見たことがあるのではなければならない。かのものとは、かれが現に見ているものが、それに比べれば似ているが、より劣っていると、言われているもののことだ」

シミアス:「どうしてもそうでなければなりません」

ソクラテス:「では、どうだ。ちょうどそのようなことを、われわれもまた、等しい事物と等しさそのものとについて、経験しているのか、いないのか」

シミアス:「経験していますとも」

ソクラテス:「そうすると、われわれはかの時よりも以前に等しさそのものを予め知っていたのでなければならない。かの時とは、われわれが最初に等しい事物を見て、これらのすべては等しさそのもののように有りたいと望みながらも、不足していると気づいたときのことだ」

シミアス:「その通りです」

ソクラテス:「しかし、また、次の点についてもわれわれは同意しているのだ。われわれが等しさそのものを考えついたり、考えつきうるのは、等しい事物をみたり、それらに触れたり、それらについてなにか他の感覚をもったり、する以外に出所はない、という点だ。これらすべての感覚は同じ次元のものとして、僕は使っているのだが」

シミアス:「そうです。同じ次元のものです、ソクラテス。少なくとも、この議論が明らかにしようとしている点に関する限りでは」

ソクラテス:「しかし、もちろん、感覚のうちにあるすべての等しさがかの等しさそのものに憧れながら、それに不足している、ということを考えつくのは、まさに感覚をきっかけにしてでなければならない。それとも、どう言おうか」

シミアス:「そのようにしか言えません」

ソクラテス:「それなら、われわれが見たり、聞いたり、その他の感覚を働かせ始めたりする以前に、われわれは等しさそのものがなんで有るかについての知識をどこかで得てしまったのでなければならない。われわれは、感覚に基づく等しい事物をかのものに遡って関連付けて、このようなもんはすべてかのもののように有りたいと望みながら、かのものより劣っていると、考えようとしたのだから」

シミアス:「すでに述べられたことから、それは必然です。ソクラテス」

ソクラテス:「さて、われわれは生まれるとすぐに、見たり、聞いたり、その他の諸感覚を用いたりしたのではないか」

シミアス:「その通りです」

ソクラテス:「だが、われわれの主張では、それらの感覚を用いる以前に、われわれは等しさの知識を得ていたのでなければならなかった」

シミアス:「そうです」

ソクラテス:「それなら、思うに、生まれる以前に、われわれはその知識を得ていたのでなければならない」

シミアス:「そう思われます」

ソクラテス:「そうすると、もしもわれわれが生まれる前に知識を得て、その知識を持ったまま生まれてきたのだとすれば、われわれは、生まれる以前にも生まれてからすぐにでも『等しさ』や『より大』や『より小』ばかりではなく、このようなものの全てを知っていたことになる。なぜなら、われわれの現在の議論は『等しさ』についてばかりではなく、『美そのもの』『善そのもの』、『正義』『敬虔』などにも同様に関わるからだ。そして、いつも言っているように、対話の議論において問うたり答えたりしながら、われわれが『まさにそのもの』という刻印を押すすべてのものに、関わっているのだから。したがって、われわれはこれらのすべてについて、生まれる前に知識を得ていたのでなければならない」

シミアス:「そうです」

ソクラテス:「そして、その知識を獲得していつもそれを忘れないでいるならば、われわれは常に知りながら生まれてきて、生涯を通じて知り続けているのでなければならない。なぜなら、知るということは、何かについて知識を獲得した者がそれを保持して失わないということなのだから。それとも、シミアス、知識の喪失をわれわれは忘却というのではないか」

シミアス:「まったくすです。ソクラテス」

ソクラテス:「だが、これに対して思うに、もしもわれわれが生まれる前に知識を獲得しながら、生まれるや否やそれを失ったとするならば、そして、後にその知識の対象について感覚を用いながら以前に持っていたかの知識を再び把握するのだとすれば、われわれが『学ぶこと』と呼んでいる事柄は、もともと自分のものであった知識を再把握することではなかろうか。そして、これが想起することである、といえば、われわれの言い方は正しいだろうね」

シミアス:「たしかに」

ソクラテス:「なぜなら、次のことは、すでにあり得ることが明らかになったのだからね。つまり、なにかを見たり、聞いたり、何か他の感覚を用いて、知覚しながら、これを機縁にしてすっかり忘れていたなにか他のものを考えつく、ということは。このものとかのもんとが似ていても似ていなくても、関係がありさえすれば、そういうことが起こるのだ。したがって、今しがた言ったように、二つに一つである。われわれは皆それらの知識の対象を知りながら生まれてきて、生涯を通じて知り続けるか、それとも、後になって、われわれが学ぶと言っている人々はそれらを想起しているのに他ならず、学習とは想起である、ということになるか、そのどちらかだ」

シミアス:「まったく、その通りです、ソクラテス」

(プラトン『パイドン』)

少し長すぎる引用でしたが、プラトンの著作自体にぜひ触れて頂きたいのもあって、敢えて長く引用しました。要約すると、プラトンは、ここで「等しさ」のイデアについて、こう説明しているわけです。たとえば、ここに等しく見える材木が二本あるとします。私はこの二本の材木を見て、「等しい」と思ったとします。だが、この「等しさ」はどこからやってくるのでしょうか。感覚でしょうか。しかし、別の人が別の位置から見たとき、この二本の材木は等しくないと見えるかもしれません。となると、この「等しさ」そのものは感覚の中には含まれていないことになりますね。もう少し別の分かりやすいたとえを使ってみましょう。

私たちは「等しい(同じ)」であるという言葉を、様々な場面で使うかと思います。①佐藤さんも同じ人間だ。②佐藤さんも私も同じく、東京の出身だ。③あの人(佐藤さん)はさっき見た人と同じ人物です。いずれの場合にも「等しい」ですが、「等しさ」の度合いは異なります。①の場合、「人間」という同じ類に属することが言われています。②では、「等しさ(同じ)」の範囲が少し狭められて、同じ人間であるということに留まらず、出身も同じであるということが言われています。そして、③においては、「等しさ(同じ)」の度合いはさらに強まって同一人物であることがいわれています。①~③で「等しさ」の度合いが違いますが、いずれの場合にも完全な「等しさ」というのは見いだされません。③の場合は同一人物であるのだから、完全に「等しい」のではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、この場合でも「あの人」と「さっき見た人」では時間も場所も異なり、完全に同一ではありません。このように、現実に存在する「等しさ」は、それぞれ度合いが異なる上に、完全な「等しさ」というものはどこにもありません。感覚的はさまざまに違うものをおしなべて「等しい」ものとして認識する限り、「等しさ」そのものが予め存在していなければならないだろう、ということが、「等しさ」のイデアの意味であるわけです。私たちは大きさや色が違っても、「同じ車」という言葉で名指しします。ポルシェもメルセデスもワゴンRも全て、「車」です。それは私たちがそこに大きさや色や内容が違えども「同一の」もの、つまり「等しさ」を見ているからだというわけですね。この「等しさ」というのは、ここの事物のうちにあるわけではなく、概念という枠組みとして、私たちの認識の仕組みの中にあるわけですね。さらに、ここからプラトンの想起説が登場します。私たちは二つの材木をどのようにして「等しい」と考えるようになるのでしょうか。それは、私たちがこの二本材木の関係を「等しさ」と比べているからだとプラトンは言います。この二本の材木が「等しい」とか「等しくない」といっているとき、私たちは「等しさ」のイデアを想起(アナムネシア)しているとプラトンは考えるわけです。分かりやすく説明すると、人間の魂はかつてイデアの世界に住んでいましたが、この世では肉体という牢獄に閉じ込められていて、かの世界のイデアを想い出す(想起する)ことが難しくなっているという話です。これも分かりやすいたとえを話しましょう。私たちは野に咲く花を見て美しいと感じます。ですが、いくら花を観察してみても、あるいは花の成分を分析してみても、美を構成している要素を抽出することはできません。美しさそのものは花の中にはないのです。確かに、現代の偉大な文芸評論家であった小林秀雄は「美しい『花』がある、『花』の美しさという様なものはない。」(小林秀雄『無常という事』)と喝破しました。プラトンの言っていることは、これとは違いますが、どちらにせよ、花の美しさというのは、花の性質ではないということは同じでしょう。では、美は幻想なのでしょうか。そう考えることもできるでしょう。ですが、プラトンは、美は存在しているのだ、と考えます。しかし、美は花という物の性質ではないのですから、美が存在するとすれば、物とは離れたところでしかあり得ません。これが美のイデアということになるのです。さらに議論は続きます。

ソクラテス:「あの実在そのもの〔作者註:イデアのこと〕は、常に同じように自己同一を保つのか。それとも、時に応じて変化するのか。『等しさそのもの』、『美そのもの』、なんであれ正にそのもの自体、正にそれで有るところのものは、いかなる変化であるにせよ、変化なるものを受け入れることはまさかあるまいね。いや、これらのそれぞれの『正にそれで有るところのもの』は、単一の形相であり、それ自身だけで有るのだから、常に同じように自己同一を保ち、いかなる時にも、いかなる仕方においても、けっして、いかなる変化をも受け入れないのではないか」

ケベス:「そうです、同じように自己同一を保つことは必然です、ソクラテス」

ソクラテス:「それでは、多くの美しいものについてはどうだろうか。たとえば、美しい人間とか、美しい馬とか、美しい上衣とか、他の何であれそうしたものについては。あるいは、多くの等しいものとか、あの『ものそのもの』と同じ名で呼ばれるすべてのものについてはどうだろうか。果たして、これらのものは自己同一を保つのか。それとも、あの『ものそのもの』とはまったく反対に、これらのものは自分自身に対しても相互の間でもいかなる時にもいわば決して同じ在り方を保つことはないのか」

ケベス:「その通りです、それらのものはけっして同じ在り方を保ちません」

ソクラテス:「ところで、そういう事物には、君は手で触ることもできるし、目で見ることもできるし、他のいろいろな感覚で感覚することもできるだろう。だが、同じ在り方を保つものについては、思惟の働き以外の他のいかなる能力によっても、これを捉えることはできないだろう。これらのものは不可視であり、目に見えるものではない。そうではないか」

ケベス:「あなたの仰ることはまったく真実です」

ソクラテス:「では、よければ、存在するものに二つの種類を立てようか。一方には目に見えるものを、他方には目に見えないものを」

ケベス:「立てましょう」

ソクラテス:「そして、目に見えないものは杖に同一の在り方を保ち、目に見えるものは決して同一の在り方を保たない、と」

ケベス:「その点もまた、そう決めましょう」

ソクラテス:「さあ、では。(中略)我々自身の一部分は肉体であり、他の部分は魂である、そうではないか」

ケベス:「そうです」

ソクラテス:「それでは、肉体は、今挙げた二つの種類のどちらにより似ていてより新縁性がある、とわれわれは言おうか」

ケベス:「目に見えるものに新縁性があることは、万人に明らかです」

ソクラテス:「では、魂はどうか。目に見えるものか、目に見えないものか」

ケベス:「少なくとも、人間によっては見えません、ソクラテス」

ソクラテス:「しかし、われわれとしては、目に見えるとか見えないということを、人間の本性にとってのこととして話したいのだね。それとも、君はなにか他の者にとってのこと、と思っているのか」

ケベス:「人間の本性にとってです」

ソクラテス:「では、魂についてなんと言おうか。目に見えるものか、目に見えないものか」

ケベス:「目に見えないものです」

ソクラテス:「では、魂は不可視だね」

ケベス:「そうです」

ソクラテス:「それなら、魂は肉体より不可視なものに似ているのであり、他方、肉体は目に見えるものにより似ているのだ」

ケベス:「まったく、そうでなければなりません、ソクラテス」

(プラトン『パイドン』)

プラトンは、この考え方を推し進めてプラトンは魂の不死という思想にまで話を進めていきます。先の想起説(アナムネーシス)からこの魂の不死は必然的に導かれることになります。イデアはどこからやってくるのか。感覚は不完全で、不確かなものです。しかし、私たちは生まれるやいなや感覚し始めています。しかし、イデアを想起することはできます。これは現世における私たちの生が感覚の束縛を逃れ得ないものとするならば、私たちは生まれる以前から想起せざるを得ないということになるわけです。すなわち、われわれがこの世で学び知ることはすべて、魂がこの世に生を受ける前にかの世ですでに得ていた知識を想起することであるとプラトンは考えるのです。かの世とは、通常、死と呼ばれるときに、魂が身体と別れて行き着くところであり、また通常、誕生と呼ばれるときに、魂がそこから身体にやってくるところです。魂が身体に宿るとき、魂は知っていたもの(イデア)をいったん忘却するのであるが、われわれが成長するに応じてその時々に学び知ることはこの忘却したもの(イデア)を想起することに他ならないと考えているわけですね。

では、なぜこうしたイデアを知る必要があるのでしょうか。その都度、その場で美しいものを的確に判断できれば十分ではないだろうかとも思えます。しかし、これには時代的な背景もありました。プラトンが善や美についてこのような議論を展開する以前、ソフィストたちによって相対主義的な議論が盛んになっていたのです。たとえば、ある人が美しいと思った男性を、別の人は「趣味が悪い」と思うかも知れません。あるいは、お金持ちなることはいいことだと考える人もいれば、金儲けなどいやしいことだ、と考える人もいるでしょう。自然が自然法則によって貫かれているのに対して、人間や社会に関する事柄、とりわけ美や善などについては絶対的なことはない、そうソフィストたちは論じていました。イギリスの哲学者ロイドはプラトンがなぜイデアを真なる存在とし、現実の世界から独立したイデア界を考え出したかについて「疑うことができない一つの要因は、『道徳とはその本性において単なる約束事にほかならず、なんら本来的客観的根拠を持ってはいない』という見解を持つ者たちに対して彼〔筆者註:プラトンのこと〕が答える必要に迫られていた」(ロイド『アリストテレス』)と解釈しています。プラトンがイデアを持ち出し、これこそが真の実在であるとみなした大きな理由として、ソフィストの議論に対抗し善や美に客観的な根拠を与えたかったわけですね。本当に美しくて善いものを認識しているからこそ、実際に美しくて善いものを根拠づけられるのです。こうした認識なくしては、特定の仕方でたまたま美しいということはあるかおしれませんが、条件抜きに美しいということはありえなくなってしまいます。絶対的な尺度がなければここの美しく見えているものが本当に美しいかどうかわからず、かといって感覚を通じて得られる情報はその都度変化しており、現在の自分にとって特定の時や場所に依存して伝えられる限定したものにすぎなくなってしあいます。それが他の人にも実際に美しいかどうかは分からず、現在を超えて未来に妥当する情報かどうかもわかりません。本当のところを知らずして、ぼやけた尺度しか持っていないならば、どうして的確に判断できるのか、それが問題だったわけです。イデアによって、つまり時間や場所や関係や視点に依存することのない完全な尺度を知っていて始めて本当にそうなのか判断できるようになるとプラトンは考えたわけです。もちろん、イデアはこの世界の中で特定の人や物に現れるようなものではありませんが、理想としてあるようなものではあります。そうした理想があると想定してそれを明晰に知ろうと前進していくのがイデアの探求であったわけです。

洞窟の比喩と善のイデア

さて、このようにイデアの世界が魂のふるさとであるならば、なぜ人は生まれたときからイデアの世界を忘れているのでしょうか。プラトンは、これを洞窟の比喩を使って説明します。

ソクラテス:「地下にある洞窟状の住まいのなかにいる人間たちを思い描いてもらおう。光明のあるほうへ向かって長い奥行きをもった入り口が洞窟の幅いっぱいに開いている。人間たちはこの住まいのなかで、子供のときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかり見ることになって、縛めのやめに、頭を後ろへめぐらすこともできないのだ〔図のabを参照〕。彼らの上方はるかのところに、火(i)が燃えていて、その光が彼らのうしろから照らしている。この火と、この囚人たちのあいだに、ひとつの道(ef)が上のほうについていて、その道に沿って低い壁のようなもの(gh)が、しつらえてあるとしよう。それはちょうど、人形遣いの前に衝立が置かれてあって、その上から操り人形を出して見せるのと、同じぐあいになっている」

グラウコン:「思い描いています」

ソクラテス:「ではさらに、その壁に沿ってあらゆる種類の道具だとか、石や木やその他いろいろの材料で作った、人間およびそのほかの動物の像などが壁の上に差し上げられながら、人々がそれらを運んで行くものと、そう思い描いてくれたまえ。運んで行く人々のなかには、当然声を出す者もいるし、黙っている者もいる」

グラウコン:「奇妙な情景の譬え、奇妙な囚人たちのお話しですね」

ソクラテス:「われわれ自身によく似た囚人たちのね。つまり、第一に、そのような状態に置かれた囚人たちは、自分自身やお互いどうしについて、自分たちの正面にある洞窟の一部(cd)に火の光で投影される影の他に、何か別のものを見たことがあると君は思うかね?」

グラウコン:「いいえ。もし一生涯、頭を動かすことができないように強制されているとしたら、どうしてそのようなことがありましょう」

ソクラテス:「運ばれているいろいろな品物については、どうだろう?この場合も同じではないかね?」

グラウコン:「そのとおりです」

ソクラテス:「そうすると、もし彼らがお互いどうし話し合うことができるとしたら、彼らは、自分たちの口にする事物の名前が、まさに自分たちの目の前を通り過ぎて行くものの名前であると信じるだろうとは思わないかね?」

グラウコン:「そう信じざるをえないでしょう」

ソクラテス:「では、この牢獄において、音もまた彼らの正面から反響して聞こえてくるとしたらどうだろう?〔彼らのうしろを〕通しすぎていく人々の中の誰かが声を出すたびに、彼ら囚人たちは、その声を出しているものが、目の前を通り過ぎていく影以外の何かだと考えると思うかね?」

グラウコン:「いいえ、けっして」

ソクラテス:「こうして、このおうな囚人たちはあらゆる面において、ただもっぱらさまざまの器物の陰だけを、真実のものと認めることになるだろう」

グラウコン:「どうしてもそうならざるをえないでしょう」

ソクラテス:「では考えてくれたまえ。彼らがこうした束縛から解放され、無知を癒やされるということが、そもそもどのようなことであるかを。それは彼らの身の上に、自然本来の状態へ向かって次のようなことが起こる場合に見られることなのだ。彼らの一人が、あるとき縛めを解かれたとしよう。そして急に立ち上がって首をめぐらすようにと、また歩いて火の光のほうを仰ぎ見るようにと、強制されるとしよう。そういったことをするのは、彼にとって、どれも苦痛であろうし、以前には陰だけを見ていたものの実物を見ようとしても、目がくらんでよく見定めることができないだろう。そのとき、ある人が彼に向かって『お前が以前に見ていたのは、愚にもつかぬものだった。しかしいまは、お前は以前より実物に近づいて、もっと実在性のあるもののほうへ向かっているのだから、前よりも正しくものを見ているのだ』と説明するとしたら、彼はいったい何と言うと思うかね?そしてさらにその人が、通り過ぎていく事物のひとつひとつを彼に差し示して、それが何であるかをたずね、むりやりにでも答えさせようとしただどうだろう?彼は困惑して、以前に見ていたもの〔影〕のほうが、いま指し示されているものより真実性があると、そう考えるだろうとは思わないかね?」

グラウコン:「ええ、大いに」

ソクラテス:「それならまた、もし直接火の光そのものを見つめるように強制したとしたら、彼は目が痛くなり、向きかえって、自分がよく見ることのできるもののほうへ逃げようとするのではないか。そして、やっぱりこれらのもののほうが、今指し示されている事物よりも、実際に明確なのだと考えるのではなかろうか?」

グラウコン:「そのとおりです」

ソクラテス:「そこで、もし誰かが彼をその地下の住まいから、粗く急な登り道を力ずくで引っ張って行って、太陽の光の中へと引き出すまで放さないとしたら、彼は苦しがって、引っ張られていくのを嫌がり、そして太陽の光のもとまでやってくると、目はぎらぎらとした輝きでいっぱいになって、いまや真実であると語られるものを何一つとして、見ることができないのではなかろうか?」

グラウコン:「できないでしょう。そんなに急には。」

ソクラテス:「だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというものがどうしても必要だろう。まず最初に影を見れば、いちばん楽に見えるだろうし、次に水にうつる人間その他の映像を見て、後になってから、その実物を直接見るようにすればよい。そして、その後で、天空のうちにあるものや、天空そのものへと目を移すことになるが、これにまず、夜に星や月の光をみるほうが、昼間太陽とその光をみるよりも楽だろう」

グラウコン:「ええ、当然そのはずです」

ソクラテス:「思うにそのようにしていって、最後に、太陽を見ることができるようになるだろう。水その他の太陽本来の居場所ではないところに映ったその映像をではなく、太陽それ自体を、それ自身の場所において直接見て取って、それがいかなるものであるかを観察できるようになるだろう。」

グラウコン:「必ずそうなるでしょう」

(プラトン『ポリテイア(国家)』)

グラウコンが言うとおり、奇妙な情景、奇妙な囚人の話ではありますが、現代風にいえば映画『トゥルーマン・ショー』を思い出してみると分かりやすいかもしれません。プラトンはわれわれの無知、自分が無知だと気づいていないほど無知な状態をこの洞窟の比喩で表現しているわけですが、映画『トゥルーマン・ショー』でも無知の表象としての閉鎖空間が描き出されています。主演はジム・キャリーです。

あらすじです。「トゥルーマン・ショー」という長寿テレビ番組、リアルティーショーがあります。日本でいえば、「あいのり」やお笑い芸人の有吉がブレイクした「進め!電波少年」のヒッチハイクショーのようなものに近いかもしれません。コン番組では、赤ん坊のときにテレビ局にうわれたトゥルーマンの人生を盗み撮りして、かれこれ三十年近く、ただひたすら24時間放映し続けています。映画を観た当時はかなり暇な番組でこんなの誰が見るんかい、と思ったものですが、有吉のブレイクといい、あいのりのブームといい、現代でも「バチェラージャパン」などが人気を博しているように、皆さんこういうの好きなんですよね。私はまったくみないですが。さて、このトゥルーマンが暮らす島は、実は巨大な半球型のドーム内に作られたセットです。住民はみなよい人で、彼は仕事にも家庭にも恵まれ、それなりに幸福に暮らしています。しかし、周りの人々は、両親や妻、親友に至るまでみんな俳優です。それを知らされていないのがトゥルーマンただ一人だけです。

放映されているトゥルーマンの人生は、つくりものの番組にはないリアルティがあると大評判になっています。熱心なファンは、一日中テレビに張り付くように見ています。時々、親友のマーロンや妻のメリルがこれ見よがしに商品を宣伝したりもしている違和感があるのですが、トゥルーマンは気づきません。ところが、妻との生活が乾ききった中、素敵な女性ローランと出会うことによって状況は一変します。ローランは虚構の世界に生きる彼を不憫に思って砂浜に連れ出し、ローレンとは役名で本名はシルヴィアであること、“世界”の全ては偽りであることを伝えようとしたのです。トゥルーマンは、こうして自分の人生が偽物なのではないかと疑い始めます。これまで何の疑いも抱いていなかった現実は、もしかしたら本物じゃないのではないか。トゥルーマンは真実を求めて島からの脱出を試みます。何度も挫折したあげく、ついに彼はヨットで海へ出て行きます。しかし、この舞台は巨大な半球状のものですから、当然海の先には限界があり、壁にぶつかってしまいます。そこで、トゥルーマンはこの番組のプロデューサーであるクリストフに出会い真実を聞かされるのです。

映画の話はこれぐらいにしておきますが、プラトンの洞窟の比喩の話はとても意義深いものがあることが分かって頂けたかと思います。私たちは、洞窟の中で影を見させられているだけの囚人に過ぎないとプラトンは喝破するわけですね。プラトンが外の世界で比喩したのはイデアの世界でした。ここでもう一つプラトンの思想の重要な思想「善のイデア」についても触れておきましょう。プラトンはこの洞窟の比喩で外の世界をイデアの世界としていますが、その中に太陽が出てきます。実は、このイデアの世界でも見えるものは太陽によって照らされたものであるわけですね。ここからプラトンは、イデアの中のイデア、善のイデアについて語ります。

ソクラテス:「さあ、君もたずねたまえ、どっちみち君は、確かにそれを1度ならずきたことがあるのだが、いまはそれに気づかないのか、あるいは、またしても、しつこくつかまえて僕を困らせてやろうという魂胆なのか、どちらかなのだ。僕の思うには、きっと後者だろう、げんに君は<善>の実相(イデア)こそ学ぶべき最大のものであるということは、何度も聞いているはずだからね。この善の実相が付け加わってはじめて、正しい事柄もその他の事柄も、有用・有益なものとなるのだ、と。今も君は、ぼくがそのことをいおうとしていることを、だいたい承知しているに違いないのだ。またそれに加えて、われわれはこの善の実相をじゅうぶんに知っていないのだと、ぼくが言うはずだということもね。しかるに、もしわれわれがそれを知っていないとしたら、それなしに他の事柄をたとえどれほどよく知っていたとしても、君も承知のとおり、それはわれわれにとってまったく何の役にもたたなういことになるのであって、それはちょうど、何かあるものを所有していても、善いことがなければ何の足しにもならないのと同じことなのだ。それともどうかね、ありとあらゆるものを所有していても、しかしその所有が善い所有でないとしたら、何かの足しになると君は思うかね?あるいは、善を抜かして他のすべての事柄に知恵を持ちながら、美しいもの、善いものについては何の知恵もないとしたら?

アデイマントス:「ゼウスに誓って、けっして何の足しにもならないと思います。」

(中略)

ソクラテス:「それでは、君は、天空の神々のうちでとくにどの神を、そのことが原因であり、そのことを司る神として上げることができるかね?それの光がわれわれのために、視覚をして最もよく見させるようにさせ、見られるものが最もよく見られるようにするものは、何だろうか?」

グラウコン:「まさにあなたも他の人々も一致してあげるものです。つまりあなたがお尋ねになっているのは、むろん太陽のことでしょうからね」

ソクラテス:「では、その神に対して視覚は本来こういう関係にあるのではないかね?」

グラウコン:「どのような?」

ソクラテス:「視覚それ自身も、またそれがその中に宿るところの、われわれが目と呼ぶものも、そのまま太陽であるわけではない」

グラウコン:「むろんそうではありません」

ソクラテス:「けれども、感覚器官のうちでは、最も太陽に似たものだと思う」

グラウコン:「たしかに」

ソクラテス:「それにまた、目は自分のもつ機能を、太陽から注ぎこまれるようにしてまかなわれながら、所有しているのではないかね?」

グラウコン:「まったくそのとおりです」

ソクラテス:「そして、太陽のほうもまた、それがそのまま視覚であるわけではないが、しかし、視覚の原因であり、視覚そのものによって見られるのではないかね?」

グラウコン:「そのとおりです」

ソクラテス:「それでは、ぼくが善の子供といっていたのは、この太陽のことなのだと理解してくれたまえ。善はこれを自分と類比的なものとして生み出したのだ。すなわち、思惟によって知られる世界において、善が知るものと知られるものに対してもつ関係は、見られる世界において、太陽が見るおのと見られるものに対してもつ関係とちょうど同じなのだ」

(プラトン『ポリテイア(国家)』)

このようにプラトンは、可視的世界の上に燦然と輝くイデアの世界を置き、さらにイデアの世界の源として、現象界において太陽があらゆるものを生成させ認知させるように、善のイデアはイデア界にあって、一切のものを存在させ、認識させう存在と知識の最高原理であると考えたわけです。

では、最終的にこの善のイデアに到達するにはどのような訓練を積んでいけばいいのでしょうか。プラトンは『ポリテイア』で詳細な教育プログラムを用意しています。まず、若いうちに音楽や体育を通じて感情が知性に従うように陶冶され、その後、社会の実際の用務に従事し経験を積みます。それは、魂の三部分説とも呼ばれる考え方に対応しており、魂の三つの部分である欲望と気概と知性を従わせる訓練です。『ポリテイア』では、魂はポリスの三つの社会階層に対応する形で描かれています。すなわち、政治や裁判に従事する守護者の層は知性を、守護者を助け国の防衛に従事する戦士の階層には気概を、農民や職人などの生産者の階級には欲望(節制)を司るものとして挙げています。これは知恵と勇気と節度と正義という四つの卓越性の役割にも応じており、知恵有る人は知性が魂全体を配慮し、支配する働きにおいて優れている人であり、勇気ある人とは、知性の命令に従って審議されたことを遂行できる人です。そして、節度ある人は、知性が気概や欲望を支配すべきで有ることに納得して、三つの部分が協調している人のことです。そして、正義のある人というのは、魂の三つの部分が自分の固有の役割を実行し、他の部分の仕事に余計な手出しをしないような人を意味しました。

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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