歴史学とはなにか?ー東大・京大・早慶上智を狙う人のための歴史学

01 歴史学とはなにか?

「パパ、歴史は何の役に立つの。さあ、僕に説明してちょうだい」。このように、私の近親のある少年が、2~3年前のこと、歴史家である父親に尋ねていた。読者がこれから読まれようとするこの本について私の言いたいことは、この本が私の返答であるということである」。これは20世紀を代表するフランスの歴史家マルク・ブロックの文章です。第二次世界大戦のさなか、彼はナチス・ドイツに抵抗する「レジスタンス」運動に参加しつつ、この問いかけに答えるための思索を重ねました。歴史の意義は人々を楽しめることにあるのか、それとも、何か実用的な意義があるのか、それともないのか。

思索の軌跡は、彼がドイツ軍に捕らえられ銃殺され、さらに第二次世界大戦が終わった後に、未完の遺書として刊行されることとなります。わたしたちは、ブロックがこの文章を記してから半世紀以上経った今、そしてブロックが生活したフランスから遠く離れた日本で生活しています。では、私たちに歴史は役に立つのでしょうか。仮に役に立つとして、それは一体何の役に立つのでしょうか。つまり、歴史に効き目はあるのか、あるとすればそれは何なのか、ということです。

確かに、私たちは日常生活の中で、時々歴史に想いを巡らせます。「そういえば、来年は会社が創立して5周年目だ」とか、新聞で「●●学校は今年で100周年を迎える」とかそういう記事を見つけた時、「そういえば当時は・・・」と感慨にふけることがあるでしょう。確かに私たちの生活を歴史はどこかで繋がっています。しかし、私たちの過去である歴史を対象にする科学を「歴史学」と呼ぶとすれば、歴史学の事情はかなり違ってきます。歴史学は必要か、意義はあるのか、役に立つのか、と聞かれて「はい」と答えられる人はどれくらいいるでしょうか。というよりも、そもそも日常生活野中で、歴史学に触れる機会を持っている人がどらくらいいるでしょうか。むしろ、歴史学と言われてもピンとこないと感じる人の方が多いはずです。

確かに、学校で、歴史や公民、社会や歴史総合、世界史探求、日本史探究を授業は受けているでしょう。しかし、それがなんで勉強する必要があるのか、あるいは何の役に立つのか。そこまで考えている生徒は少ないと思います。仮に改めて考えてみると、マルク・ブロックが挙げた例と同じく「なんで歴史を勉強しなくちゃいけないのか?それは何の役に立つのか?そもそも歴史って何なのか?」と思ってしまう生徒もいると思います。しかし、日本の小学校や中学校、高校でこのようなラディカルな質問が出されることはほぼないでしょうし、学校の授業中にそういう質問をすることは難しいでしょう。

しかし、私塾を営んでいる私などは、このマルク・ブロックが受けたような質問を度々受けることがあります。「先生、何で歴史(日本史、世界史)を勉強する必要があるんですか?」と。そう言われて、受験で志望校に合格すること以外に意味があるかのような説明、たとえば歴史的意義のような説明をして、簡単に納得する生徒はまずいません。そもそも歴史的意義とは何なのでしょうか。歴史上の出来事やその経緯などを知っておくと、様々な場面で役立つことはあります。いわゆる「教訓としての歴史像」というものですね。過去の過ちを教訓として今生かすということです。

「歴史は過去に関する学問」であるということが時々言われている。私たちの考えるところによると、こういういい方は適切ではない。というのは、まず第一に、過去がそのままで科学の対象となることができるという考え方がおかしいからである。我々と同時代のものではなかったという共通の正確しか持たない現象を、あらかじめその上澄みを移そうとしないで、どうして合理的知識の素材となすことができるだろうか。その反対に、現在の状態における宇宙の全体的科学を、人は考えることができようか。

確かに歴史叙述の発端においては、古い年代記録者たちは、このような懸念にほとんど煩わされていなかった。

続き

このような教訓としての歴史がある程度処世術として役に立つという意味は比較的理解しやすいものですが、たとえば、高校の歴史の教科書には、なぜ膨大な史実と年号が詰め込まれ、それを暗記するする必要があるといえるかは理解しがたいかと思います。教科書は、年号付きの史実が時代順かつ地域別に並べられた年表を文章化しているものにしか見えないという問題です。実際、受験問題をクリアするには、それらを丸暗記してもかなりの程度試験問題には通じると思います。

しかし、2022年4月から、これまでの世界史Aや日本史Aに置き換わって生まれた必修科目とされた「歴史総合」の学習指導要綱には次のように書いてあります。

目標(1)近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え、現代的な諸課題の形成に関わる近現代の歴史を理解するとともに、諸資料から歴史に関する様々な情報を適切かつ効果的に調べまとめる技能を身に付けるようにする。

目標(2)近現代の歴史の変化に関わる事象の意味や意義、特色などを、時期や年代、推移、比較、相互の関連や現在とのつながりなどに着目して、概念などを活用して多面的・多角的に考察したり、歴史に見られる課題を把握し解決を視野に入れて構想したりする力や、考察、構想したことを効果的に説明したり、それらを基に議論したりする力を養う。

目標(3)近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に追求、解決しようとする態度を養うとともに、多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される日本国民としての自覚、我が国の歴史に対する愛情、他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。

これらの文言からも窺えるように「歴史総合」はかなりアクチュアルな目的をもった科目ということになります。では、そんな「歴史総合」における歴史記述を確認してみましょう。

「大航海時代」以降に「大西洋世界」が形成され、またアジア貿易も始まったことで、ヨーロッパの海外交易には大きな変化が生じた。変化の第1が、それまでもっとも活発な商業地域であった地中海貿易圏の比重がしだいに下がっていったことであり、かわって北西ヨーロッパ、とくに海軍力がすぐれたオランダとイギリスが新たに台頭した。第2が、北東ヨーロッパ地域が北西ヨーロッパへの穀物供給地へと変化したことであり、穀物の安定した生産のため、領主による農民の統制が強化された。こうした違いは、その後の東西ヨーロッパのたどった道の違いの一要因となった。ヨーロッパと南北アメリカやアジアとの貿易は、各国の民間商人と政府の共同作業としておこなわれた。その際に各国の政府がとった政策が重商主義である。その内容は、貿易特許をもつ会社を設立して保護し、外国の産品の輸入に高い関税をかけ、また自国や植民地の貿易から他国の船を排除するなど、排他的な経済圏を成立させようとするものであった。重商主義のもと、17~18世紀のヨーロッパ海外交易は際立った成長をみせ、当時のヨーロッパ経済の花形となった。しかし、こうした重商主義体制の枠組みの中から、まったく新しい経済の仕組みが生まれ、19世紀には重商主義体制を崩していく。それが産業革命であり、この結果、工業がヨーロッパ経済の主役の地位を占めることになる。産業革命は18世紀末のイギリスに始まるが、原因・結果ともに世界史的な視点からみる必要がある。「大航海時代」にインド航路が開けると、華やかな模様のインド産綿織物が輸入されるようになり、17世紀のイギリスで人気商品となった。このため、従来の主要工業であった毛織物業が打撃を受け、18世紀初めにはインド産綿織物の輸入が禁止されるに至った。しかし、綿織物の人気が衰えず、原料の綿花をインドから輸入して国内で綿織物をつくろうとする動きが生まれた。また、イギリスは広大な海外市場も獲得した。とくに七年戦争後には、武器や綿織物など本国の工業製品をアフリカ西部に輸出し、そこで奴隷を買ってカリブ海や北アメリカ大陸南部のプランテーションに送り込み、砂糖やタバコなどプランテーションの産品を持ち帰って本国で消費したり、ヨーロッパ諸国に再輸出したりするかたちの三角貿易を大規模に展開するようになった。(『歴史総合』山川出版)

少し引用が長くなってしまいましたが、これは19世紀前半の欧米の社会変化で非常に重要な産業革命について記述している箇所です。そして、この産業革命と共に、重要な市民革命が紹介されます。

こうしてイギリスが国力をのばしていった一方で、18~19世紀の西洋世界は、アメリカ独立革命とフランス革命およびナポレオンのヨーロッパ支配によって、大きな変化を経験することになった。「大航海時代」以降、北アメリカ大陸のうち、現在のアメリカ合衆国およびカナダ地域では、大西洋沿岸部を中心にイギリス・フランス・オランダが競って植民地を築き、その後オランダが脱落してイギリス・フランスの争いとなった。フランス領は広大だったが人口では圧倒的に劣勢であり、七年戦争で敗れてイギリス領に編入された。イギリス植民地は18世紀に人口が急増し、北東部では林業・漁業に加えて海運業が発達した。南東部では黒人奴隷を用いたプランテーションでタバコや米が栽培され、ヨーロッパやほかの北アメリカ植民地に輸出された。こうしてイギリスの北アメリカ植民地は、七年戦争後には本国の約3分の1の経済規模をもつまでに成長したが、産業の違いに加えて、宗派構成や人種構成の違いなど、かなりの内的な差異を抱えていた。イギリスの北アメリカ植民地は遠距離にあったため、本国による統制は、重商主義のもとでの貿易規制を除くと弱かった。しかし、七年戦争後の財政赤字に対応するために本国政府が植民地に直接に課税すると(印紙法)、植民地は本国議会に議員を送っていなかったため、「代表なくして課税なし」とのスローガンを掲げて抵抗した。課税は撤回されたが対立は続き、本国が重要な貿易品であった中国茶の販売権を東インド会社に独占させると、一部の植民地の人々は運び込まれた茶を船から強奪し、港に廃棄した(ボストン茶会事件)。これに対して、本国政府が港を軍事封鎖する強行姿勢に出たため、植民地側は各植民地の代表からなる大陸会議を設置して抗議した。1775年に偶発的に戦闘が始まると、植民地側は翌76年に独立宣言を発し、連合軍を組織してワシントンを総司令官に任じた。独立戦争は長期化したが、フランスやスペイン・オランダからの援軍や、ロシアやスウェーデンがイギリス海軍の活動に抵抗する動きをみせたこともあってイギリスは孤立し、植民地側が勝利して1783年にアメリカ合衆国として独立が承認され、イギリス国王との絆を断って共和制を発足させた。(中略)アメリカの独立は、イギリスにとっては豊かな植民地の喪失を意味した。同時に、身分制および君主制のもとにあったヨーロッパ諸国にとっては、自由や平等といった普遍的な理想を掲げる国家が誕生したことは衝撃であり、これらの理想は、つづくフランス革命をはじめとするヨーロッパ諸国の革命でもとなえらえることになった。(前掲書)

アメリカ独立革命とフランス革命はしばしば市民革命の典型とみなされています。つまり、産業革命市民革命という二つの革命は、これまでも多くの歴史学の研究の対象となり、その解釈をめぐってさまざまな論争が繰り広げられてきました。山川出版の『歴史総合』のテキストのもう一つ『わたしたちの歴史』には、産業革命と市民革命の意義について下記のようにまとめられています。

産業革命により、機械を使用して商品を生産する機械制工場生産が成立した。これは、産業の中心が農業から工業へと移ったことを意味した。この過程で、工場を経営する産業資本家と工場で賃金をもらって働く賃金労働者という2つの社会階層があらわれた。(中略)ヨーロッパでは17世紀に、国家や社会のあり方についての考察が進み、近代自然法の思想が生まれた。この思想から、国家の起源を自由で平等な個人同士が自発的に取り結ぶ契約に求めるという社会契約説が生まれた。やがて、社会契約説は身分制社会や君主(国家)の圧政に対する抵抗の根拠となり、18世紀後半から19世紀半ばにかけて、いわゆる市民革命と呼ばれるできごとが各地でおこった。(中略)フランス革命で、国家統合の中心であった国王を処刑した革命政府は、「自由・平等・友愛」のもとに個人を団結させることで、新たな国民の形成をめざした。この過程で、標準的なフランス語の普及が試みられるとともに、平等な立場の人々によって構成される国民軍に国防などを担わせるため、徴兵制が定められた。フランス革命の混乱を収束させてナポレオンは、徴兵制による軍隊を率いてヨーロッパの広い地域を征服した。このことは、人々が国家への帰属意識をもって1つにまとまることが強国の基本であるという印章をヨーロッパの人々に強く与えた。こうして、同じ集団に属するという意識をもった人々が1つの国家を形成する(国民国家)という考えがヨーロッパやアメリカに普及し、民族の統合や独立によって国民国家を形成しようとする気運が19世紀に高まった。(『わたしたちの歴史』山川出版)

 

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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