民法編(大人のための法律講座:中学受験や高校受験、大学受験にも役立つ)1
01 私権の内容・講師の制約(民法1条)
民法の基本原則といえば、3つあり、(1)所有権絶対の原則(2)私的自治の原則(3)過失責任の原則、と呼ばれます。所有権絶対の原則は、個人の所有権は絶対的であり、国家といえども干渉できないとする原則です。フランス革命の頃から民法上もっとも重要な概念とされてきましたし、ナポレオン法典などでも有名ですね。歴史学的に見れば、憲法よりも古くから重視されて存在していた権利となります。次に、私的自治の原則というのは昨今でいえばリベラリズムの問題とも関連することで、人は自由な意思により法律関係を形成できるという原則をいいます。この原則は、民法の債権法の分野で重視されていますが、国家から干渉を受けずに、私人間(個人同士)で自由に契約を結び、活動できるということですね。最後に過失責任の原則というのは、故意又は過失がなければ損害賠償責任を負わないという原則をいいます。これは、個人が社会活動を行う上で、仮に他人に損害を与えても、故意(わざと)又は過失(責められるべきうっかりミス)があった場合にのみ損害賠償責任を負えばよいという考えです。
では、民法の大前提はこれくらいにしておいて、条文を概覧しながら、民法を学んでいきましょう。まず、民法第1条から見てみましょう。民法の最初の1条にはこう記載されています。
「民法1条 私権は、公共の福祉に適合しなければならない。②権利の講師及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。③権利の濫用は、これを許さない」
とあります。先程民法の大原則で触れましたように、民法は私的自治を重視していますが、だからといって無制限に重視しているわけでは当然ありません。たとえば、覚醒剤をたくさん密造してそれを他人に売買しても、それは社会全体の利益を害します。ここでいう社会全体の利益というのが「公共の福祉」となり、民法は冒頭で、私権の内容及び行使は公共の福祉(社会全体の利益)と調和しなければならないと定めているわけですね。
次に、信義誠実の原則(信義則)について触れられています。信義則というのは、具体的事情において、人は相手方の信頼を裏切らないように行動しなければならないという原則です。信義則は、本来、民法の債権法(特に契約法)を支配する原則でしたが、現在では、社会的接触関係に立ち、特別な権利義務で結ばれている者の間に広く適用されます。この信義則の原則というのは、(1)法律行為の解釈の基準となるほか、(2)社会的接触関係に立つ者同士の法律関係を具体化する、(3)制定法の欠陥を補うといった機能があります。具体例でいえば、長期間の権利不行使により、相手方においてその権利はもはや行使されないと信頼すべき正当の事由があった場合、その後に行使することが信義誠実の原則に反して認められなくなるということがあります。
これは最判昭和30年11月22日に「権利の行使は、信義誠実にこれをなすことを要し、その濫用の許されないことはいうまでもないので、解除権を有するものが、久しきに亘りこれを行使せず、相手方においてその権利はもはや行使せられないものと信頼すべき正当の事由を有するに至つたため、その後にこれを行使することが信義誠実に反すると認められるような特段の事由がある場合には、もはや右解除は許されないものと解するのを相当とする。ところで、本件において所論解除権が久しきに亘り行使せられなかったことは、正に論旨のいうとおりであるが、しかし原審判示の一切の事実関係を考慮すると、いまだ相手方たる上告人において右解除権がもはや行使せられないものと信頼すべき正当の事由を有し、本件解除権の行使が信義誠実に反するものと認むべき特段の事由があつたとは認めることができない。それ故、原審が本件解除を有効と判断したのは正当であつて、原判決には所論の違法はない。」(最高裁判所判例集)
という形で最高裁で権利執行の原則としていわれるものです。法律は権利の上に眠る者を守らないというのは、まさにこれに該当するわけですね。
次に、権利濫用の禁止についてですが、これは外形的(見た目には)権利行使のようにみえるが、具体的事情において権利の社会性に反し、権利行使の効果が認められないものをいいます。権利濫用の判断基準ですが、権利濫用の有無は、(1)権利を行使する者の主観だけではなく、(2)権利行使によって権利者が得ようとする利益とそれによって他人や社会に与える不利益とを客観的に比較して判断しなければならない(利益衡量説)とされます。前者の利益が小さく、後者の不利益が大きいほど、その権利主張は権利濫用とされやすくなります。これに加えて、権利者の「害意」の程度も考慮するものです。
権利濫用の効果としては、(1)原則として、権利の行使としての効果が与えられません。権利濫用にあたる場合は権利行使としての本来が認められないというだけで、権利自体は否定されていません。たとえば、宇奈月温泉事件という有名なケースでは、所有権に基づく妨害排除請求権の行使が認められないだけで、所有権侵害を理由として損害賠償請求権(709条)を行使することはできるとされました。所有権そのものは奪われていないわけです。
宇奈月温泉事件とは、「山県の黒部渓谷にある宇奈月温泉は、大正の頃、Aが30万円もの巨費を投じて泉源から全長約7.5㎞に及ぶ引湯管(当時は木管)を敷設し、温泉営業が開始されたが、後にY鉄道会社に温泉経営が引き継がれた。ところが、この引湯管は、Cが所有する112坪の土地(以下、「本件土地」という)の一部(急傾斜地で2坪ほど)をかすめていた。その後、本件土地は、CからBに譲渡されさらにXがこれを買い受けて所有するに至った。Xは、Yに対して、土地の不法占拠を理由に、引湯管を撤去するか、これができないときは周辺のX所有地(荒地)と合わせて約3,000坪を時価の数十倍で買取るよう求めた。Yがこの要求を拒否したため、Xは、引湯管の撤去を求めて訴えを提起した。なお、AはCから本件土地の利用権限を取得していたようであり、またBもXも、このことを知っていた形跡があった。 第1審・原審ともY勝訴。特に、原審は、引湯管の撤去・迂回は、莫大な費用を要し、仮に迂回させれば湯温の低下や工事中断による減収ひいては宇奈月集落の衰退を招くことから事実上不可能であり、しかも本件土地の価値は二束三文である上、BやXは引湯管の存在を知っていたことを認定して、Xの主張は実質的にみて権利濫用であるとした。 これに対して、Xは、「個人主義的体系ニ基ク財産制度ニ於テハ、所有権ハ絶対的ニ且排他的ニ総括支配力ヲ有シ使用収益処分ノ作用ヲ有スルコト論ヲ俟タス」などと主張して、上告した事例です(大判昭10年10月5日)。
簡単にいえば、温泉営業をするにあたって本来自分が所有していな土地の一部を引湯管(温泉の湯を引く管)を通すのに使っていたことに着目した人が、うちの土地を勝手に使うな、使うなら、時価の数十倍の代金で買い取れ、と、かなり厄介な人がいたわけですね。まあ、よくもまあ、そのことを見付けたなあ、と思いますし、その目利きはある意味大したものなのですが、悪質な感じは否めないと思います。そこで、最高裁は、「利者の害意(主観面)に加え、権利行使により権利者が得ようとする利益とそれによってもたらされる相手方や社会の不利益とを比較衡量すべきこと(客観面)の2つの要件を明示し、これらを充足すると権利濫用として権利行使自体が否定されるという法理」をもって、原告の訴えを上告棄却したわけですね。
権利濫用法理は、権利行使も不法行為になりうるとした判例(大判大8・3・3民録25輯356頁=信玄公旗掛松事件)も有名です。他にも、板付飛行場事件(最判昭和40年3月9日)も有名で、判例では「被上告人が明渡義務を履行することによって蒙る損害と上告人らが明渡によって得る利益を比較検討するとき、右土地の明渡を求める上告人らの本訴請求は、権利の濫用として到底認容し得ない」としています。こうした個別の事件が気になる方は是非事件名でググってみてください。
また、例外的に、その濫用が甚だしいときは権利が剥奪されることもあります。たとえば家庭裁判所による親権の剥奪です(834条)。この場合は、権利そのものを失うことになります。さらに、権利行使の範囲の逸脱により他人に損害を与えた場合は、損害賠償責任(709条)を負うこともあります。
02 各種の能力
法律行為というのは、(1)権利能力(2)意思能力(3)行為能力などの能力が備わっていないと、法律行為は完全に有効にはなりません。まず、権利能力についてですが、権利能力とは権利義務の主体となりえる資格をいい、法人格ともいいます。たとえば、人は売買契約の売主・買主になることができますが、犬や猫は売買契約の売主・買主となることはできないというわけです。まあ、この辺は当たり前かな、という感じですね。更に権利能力者には、自然人だけではなく、法人(自然人以外で法人格を有するもの)も認められます。いわゆる会社とかのことですね。
そして、この権利能力の始期・終期について、自然人の権利能力は、出生に始まり(3条1項)、死亡によって終了します。また、法人の権利能力は、設立の登記に始まり(一般法人法22条、163条)、清算の終了により終了します(一般法人法207条)。まあ、人は生まれたら権利を持ち死んだら権利能力を失うわけですね。これと同様に法人は、会社の設立登記と共に始まり、会社が潰れて畳むことになればなくなるというだけです。
ただ、ここで問題となるのは、「胎児の権利能力」についてです。胎児(出生前の存在)は原則として権利能力を有しません。しかし、例外的に(1)不法行為に基づく損害賠償請求、(2)相続、(3)遺贈の3つの場合には「胎児は・・・既に生まれたものとみなす」と規定されています。これらの例外3つは、出生後の子と出生前の胎児との公平を図る趣旨があります。
たとえば、妻Bと子Cのある夫Aが、Dの自動車に跳ね飛ばされて即死したとします。まあ、法律の話をしていると、こうした悲惨な話が淡々と語られますが、あくまでも事例などで深く考えない方がよいでしょう。さて、この場合は、Dの加害行為は不法行為となり、BとCはDに対して慰謝料を請求できます(709条、711条)。ところが、CがDの加害行為時に胎児であるとすると、Cには権利能力がないから慰謝料を請求できないとなってしまい、それを不公平と考えるわけですね。そこで、民法は例外規定として民法721条をおいて、胎児も慰謝料を請求できるとしているのです。同様の事態は、相続や遺贈の場合でも起きるので、民法886条、965条も置かれています。
また、こうした場合に、「既に生まれたものとみなす」ことの意味についてですが、例外的に胎児に権利能力を認めるとしても、どのような形で処理されるのか問題となります。具体的に言うと、胎児に権利能力が認められるのか、胎児の間に代理人が存在するかが問題となります。判例(大判昭和7年10月6日)で、胎児である間は権利能力がないが、生きて生まれてきた場合にはさかのぼって権利能力者として取り扱われるとしました。「~ならば・・・が発生する」という構成をとることから、停止条件説と呼ばれています。胎児には代理人が存在しないことが特徴で、死産しなかった場合、さかのぼって生まれたものとして権利能力者として取り扱われるというわけです。
また、これには他説もあり、胎児である間も例外3つの場合に限り権利能力を有するが、死産という結果のときはさかのぼってその権利能力として失うとする考え方もあります。これは「~ならば・・・が消滅する」という構成をとることから、解除条件説と呼ばれます。これは胎児に代理人が存在することに特徴があります。理由としては、胎児に帰属すべき権利部分が出生前に確保され、死産のときに限り処理し直すので法律関係が簡明になるからです。次に現在は医学の発達により現在では、死産の確率が極めて低くなってきていることも理由として挙げられます。しかし、その一方で解除条件説では、親権者が法定代理人となり、胎児の財産を浪費等する危険があると批判されることがあります。実際、事例としても、阪神電鉄事件(大判昭和7年10月6日)というものがあり、母親と祖父が父に対する不法行為者と和解して胎児の和解金を独り占めしたという事案があり、判例では母親は胎児の代理人として和解することはできないとして停止条件説をとっています。
次に、意思能力について見てみましょう。意思能力とは、自己の行為の結果を判断するに足りるだけの能力をいいます。意思能力は、自己の行為の結果について判断できる具体的な能力です。意思能力を有する者を意思能力者、欠く者を意思無能力者といいます。意思能力の有無の基準は、具体的な行為や行為者の年齢などから個別具体的に判断されます。判例は大体7歳くらいの精神能力があればよいとしているようです。
また、制限行為能力者の効果という問題があります。民法は、(1)制限行為能力者に保護者をつけて能力不足を補わせるとともに、(2)制限行為能力者がなした単独の法律行為は取り消しうることがあるとしています。この場合、保護者の代理、同意、取消し、追認などがあり得ます。また、意思無能力と制限行為能力の関係についてですが、次のような事例の場合を想定してみましょう。「成年後見人であるAは、精神障害により意思能力を欠く状態で、自己の所有する不動産をBに売却した。Aの保護者である成年後見人Cは、Aの制限行為能力を理由に取り消すほか、意思無能力を理由に無効を主張することができるかが問題となります。
このように制限行為能力者が法律行為をした際に同時に意思能力も欠く場合、制限行為能力者は、制限行為能力による取消しと意思能力による無効のいずれも主張しうるのが問題となりますが、取消しと無効のいずれも主張しうると解します(二重効肯定説)。法律的概念と自然的存在は異なり、無効行為も取消しうると考えることができること。また無効主張を認めた方が時効などの点で表意者にとって有利であるところ、もし二重効を否定すると行為能力者が意思能力を欠くほうが、制限行為能力者が意思能力を欠く場合よりも有利な取扱いを受け不均衡であると考えるからです。
民法編(大人のための法律講座:中学受験や高校受験、大学受験にも役立つ)2
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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