社会=暗記という常識はもう古い!知識だけでは通用しない社会の問題(麻布中学校の社会の入試問題より)
01 中学校受験の社会はもう暗記科目とはいえない
これまでの記事ではどうしても英語や数学、国語に関する記事が多くなってしまいましたが、実は、社会についても保護者の方にも知ってほしい問題があります。とりわけ、昨今の社会(中学入試、高校入試はもちろん、大学の世界史や日本史、地理なども)の入試試験は、保護者の皆様が抱いていたような暗記科目ではなくなってきています。昨年の共通テストの世界史の問題などは高度な読解力がなければ解けないような問題が数問あり、世界史を教えている私もパズルゲームを解くような論理的思考能力を駆使しなければ解けないような問題もありました。従来のように単純に世界史の知識を問うているというより、資料文をいかに論理的思考力のもと批判的検証し、適切に読み解いていくかという高度な能力が求められていました。
共通テストの例を挙げてしまったので、「そりゃあ、最近文科省は共通テストで、色々試行錯誤したり、問題の傾向を変えているから、まあ、そういうこともあるんじゃない」と思われるかもしれません。しかし、実は、こうした共通テストの変化というのは、高校入試や中学入試の問題に大きく影響を与えます。結局のところ、日本において、最終学歴たる大学入試にいかに臨めるかを当然高校も中学も考えて、自校の教育方針や校風に合う、そして可能性を秘めた生徒を探しているわけだから、当然そうなります。なので、「社会=暗記科目」はもう×であり、社会が暗記で済んでいたのは、もう20年くらい前の古い常識であり、現在の入試には「社会=暗記」というのは、もう通用しないと言って良いでしょう。そして、この傾向は中学受験における中堅校以上で顕著に現れてきています。
02 麻布中学校の2022年の社会のテーマは「日本で外国人の権利は守られているか?」
その代表例として、今回は御三家の一角、麻布中学校の社会の過去問を紹介したく思います。数ある中学入試の中でも、社会の入試が、殆ど評論文あるいは説明文のような問題(その分、国語の問題では、説明文が省かれ、小説文からの問題のみとなっています)となって、およそ小学生に本当に答えられるのか大人でも回答するのにかなり苦労する論理的思考力や資料を整理する編集力、自分の意見を主張する表現力が求められています。2022年のテーマは「日本で外国人の権利は守られているのか?」です。
どうでしょうか?もうテーマからして丸暗記の社会の知識では対応できそうにない雰囲気が伝わってくるのと、同時に、かなり現代的な問題へ積極的に切り込んでいる同校の姿勢が伺われませんでしょうか。解説についてはまた別の記事でご紹介させて頂きますが、一部の知識問題以外に関しては、正直、正解はありません。まさに、正解のないVUCAの時代を生き抜くのに必要な力を問うている良問です。
保護者様各位で小学生のお子さまがいるご家庭だけではなく、中学生や高校生のお子さまがいらっしゃるご家庭でも、ぜひご家庭でお話し合いして頂きたく思います。高校入試の社会対策だけではなく、国語の作文や記述対策、推薦入試の作文対策になりますし、大学受験の国語や小論文、世界史や日本史、地理の論述対策となります。お子さまの論理的思考能力や知的好奇心、情報編集力を向上させることは間違えないでしょう。
それでは、同校の過去問を下記へ掲載します。
ーー麻布中学校「社会」2022年よりーー
次の文章を読み、 5ページから9ページの問いに答えなさい。
日本人と外国人の区分け
「コンビニエンスストアの店員さんって外国人が多いなあ」と思ったことはありませんか。街を見わたしてみましょう。ラ ーメン屋さんや牛丼屋さんでも外国人が働いています。実はみなさんが生まれたころと比べると、日本で働いている外国人は倍以上に増えているのです。ところで「外国人」とはどういう人を指すのでしょうか。
(ア)国籍法という法律によると、両親のうち少なくともどちらかが日本国籍を持っていれば日本人として登録されます。また希望して日本国籍を取得した人も日本人です。そして日本国籍を持たない人が外国人です。肌の色や日本語を話すことができるかは関係ありません。外国人が日本に入国するとき、法律にもとづいて入国の審査がおこなわれ、(イ) 滞在の許可がおります。観光ではなく中長期にわたって滞在する外国人には、「在留カー ド」という身分証明書が発行され、それをいつも持っていることが義務づけられています。下の表 1 を見てください。「出入国管理法及び難民認定法」という法律によると、中長期にわたって日本に滞在する外国人はこのように区分けされています。このような区分けができたことには、H本が歩んだ経済や外交の歴史が大きくかかわっています。時代をおってみながら、日本の外国人受け入れの問題について考えてみたいと思います。
特別永住者 | 在日韓国•朝鮮人など |
永住者 | 日本政府から永住許可がおりた人 |
定住者 | 日本政府から一定期間の日本滞在許可がおりた人(住み続け
る場合は定期的な更新手続きが必要) |
資格別の在留者 | 日本政府から技能実習、特定技能、研究、留学、研修などの
資格での滞在許可がおりた人 |
難民 | 自国での迫害を逃のがれて来た人のうち日本政府が認定した人 |
表1 中長期滞在の外国人の区分け(「出入国管理法及び難民認定法」よリ作成)
植民地支配と特別永住者(1890 年代~ 1950 年代前半)
表1 の特別永住者という立場がつくられたことは、日本がおこなった植民地支配や太平洋戦争とその後の混乱と関係しています。日本は日消戦争の後に(あ)を植民地とし、続いて1910 年に朝鮮半島を植民地としました。ウ.植民地にいた人は「日本人」として登録され、力仕事をするために日本列島に移り住んだ人も多くいました。戦後、日本はアメリカ合衆国(以下、アメリカ)を中心とする連合国軍の占領下で植民地を手ばなし、これらの人びとのあつかいはあいまいになりました。1951 年に日本が(い)平和条約を結び、独立国としての立場を回復する一方で、朝鮮戦争などの混乱が生じたこともあり、その後の国籍登録の問題はより複雑になりました。数十年にわたって日本でくらした人や、日本で生まれた人は、日本での生活を簡単に捨てられません。結果として、(エ)特別に日本に住むことを認められた外国人という立場をつくることになりました。これが特別永住者です。特別永住者として登録されている人は、何世代にもわたって日本でくらしているものの、日本国籍を持っている人とまったく同じ権利があるわけではありません。
経済成長と外国人労働者 (1950 年代後半~1990 年代)
日本は 1950 年代後半から 1960 年代にかけて、高度経済成長の時期をむかえました。(オ) 高度経済成長期には、外国人労働者は多くありませんでしたが、その後、 少しずつ日本で働く人も増えていきました。1980 年代後半から 1990 年代にかけてイランという国から日本に来る人が増えました。当時のイランは革命や戦争による混乱が深刻でした。日本はイランから観光目的で来る人の入国審査を厳しくしていなかったので、生活ができなくなったイラ ンの人たちは観光目的で来てそのまま働くようになりました。ちょうどそのころ、 日本は好景気で、都市部を中心に労働力が不足したので、このような人が不法滞在者だとわかっていても扉う企業があったのです。不法滞在者の増加を受け、日本政府は外国人労働者全体の取りしまりを強化するとともに、10 年以上日本でくらした外国人には永住資格をあたえることにしました。これが永住者です。同じく 1980 年代から 1990 年代にかけ、不足する労働力を補う存在として注目されたのが「日系人」と呼ばれる人たちで、H本政府はこれらの人たちの入国基準をゆるめました。日系人とは、日本から海外に移民として渡り、その国の国籍を得た人や、その子孫を指します。戦前、(力)日本政府は海外に移民を積極的に送り出しました。日本からブラジルヘの移民も急増し、現地で生まれ育った人も増えていきました。最も急増した時期に渡った人たちの孫は現在、40歳前後の年齢になっています。現地で生まれ育った人は日系ブラジル人と呼ばれています。日本政府が日系ブラジル人の入国基準をゆるめたところ、ブラジルでは貧困や治安の悪さが深刻な課題でした。そのため、おじいさんやおばあさんの故郷で働くことに明るい未来を期待した人たちも少なくありませんでした。こうして日本にやって来た日系人には、 10 年以上くらしているという条件をみたしていなくても、定住の許可があたえられました。これが定住者です。永住者も定住者も日本の労働力不足を背景に制度がととのえられていった結果つくられたものでした。
日本の難民政策 (1970 年代~1990 年代)
永住者や定住者として登録されるような外国人労働者が日本で増え始めたころ、 もう つ、別の立場の外国人が日本にやってきました。これが難民です。政治的な一 混乱などで自分の国でくらすことが危険になり、やむなく国外に逃げた人を難民と いいます。みなさんも「同時多発テロ事件」後のアメリカが、 ( う )という国を攻撃し、周辺国へ多くの人が逃れて難民となったことを知っているでしょう。
日本が難民を受け人れたきっかけはベトナム戦争が終わった 1970 年代後半でした。東南アジアの 部の国では政治が混乱し、身の危険を感じた人たちが助けをもとめて国外に逃げたのです。この人たちをインドシナ難民といいます。このとき日本は国際的な圧力もあり、インドシナ難民を受け入れました。その後 1981 年に、 国際社会で定められていた難民に関する条約を日本も結びました。難民として認定されれば、基本的には定住者と同じような資格があたえられます。ただし、条約を結んでからの(キ)日本政府の難民に対する姿勢は消極的です。
労働力不足の中で (2000 年代以降)
表1には、資格別に在留許可がおりた人たちについても示されていますが、ここ ではとくに技能実習と特定技能という資格に注目してみましょう。(ク)2000年代以降、日本の労働力不足はより深刻になり、不景気のために安い賃金で働く労働力を求める声が大きくなりました。しかし、外国人の移住が増えることに慎重な姿勢をとってきた日本政府は、外国人労働者を積極的に受け入れるとは言いませんでした。そこで考え出されたのが技能実習という資格でした。日本で仕事の技能を身につけて、自分の国に帰ったときにいかしてもらおうという国際貢献の名目で外国人労働者の受け入れが広がりました。しかし、実態は短期の低賃金労働でした。滞在期間も最長で5年までに制限され、家族を日本に呼ぶこともできませんでした。2018 年、特定技能という資格がつくられて、滞在期間がのび、働くことができる仕事の種類は多様化しました。ケ. 仕事によっては、技能実習で来た人も特定技能に切りかえて滞在を更新することができるようになりました。一見、日本で働きたい外国人にとってはよい方向に変わったように見えますが、これも日本の都合であることにかわりはありません。また、難民についても、申請中の人が働くことを認める制度ができたかと思うと、数年後には廃止され、政府の都合でその制度が二転三転していることは事実です。難民として保護を求めた人たちにとって困難な状況が続いています。このような状況で働く外国人労働者の問題は深刻です。とくに、日本人があまり希望しない安い賃金の仕事は外国人労働者でまかなえばよい、という考え方は問題でしょう。また、日本で働く以上、日本語の習得が必要になりますが、日本語を学ぶために借金をすることが多く、その借金を返さなければならないので途中で帰国することはできません。ましてや、難民認定を申請している最中の人は仕事をすることもできず、日本語を学ぶ機会もなく、強制送還されてしまうかもしれないという不安の中での生活を強いられています。
外国人と日本社会
外国人が移住することに消極的だった日本ですが、気がつけば今の日本には多くの外国人が住んでいます。「コンビニエンスストアは24時間営業していてもらいたい」「お弁当は安いほうがいい」「宅配便は決まった時間にきちんと届けてもらいたい」「新聞は毎朝毎夕決まった時間に配達してほしい」など、当たり前のように考えている便利な生活のために、外国人労働者の存在は欠かせません。しかし、日本人は、日本にやって来た外国人と対等な関係をつくることができているのでしょうか。外国人の権利が日本でどれほど保障されているのでしょうか。特別永住者が日本人と同じ権利を持っていないことを知らない人も多くいます。また、永住者、定住者、特定技能、難民などの立場の人をきちんと移民としてむか
えることには、治安の悪化などを理由に根強い抵抗があります。そのため、日本でくらしていくためのサポートは二の次になっていました。(コ)こうした人たちのサポートは今でもボランティアに頼っている部分が大きく、その問題点も指摘されているのです。日本で生まれた外国人の子どもたちも増え、日本で亡くなる外国人も増えています。にもかかわらず、外国にルーツを持つだけで差別されたり、椒袴にあう事件が起きたりするなど、外国人がくらしやすい社会とはほど遠いのが現状です。人間は機械ではありません。(サ)ある作家が「われわれは労働力を呼んだが、やって来たのは人間だった」という言葉を残していますが、これは今の日本がかかえる問題をよくあらわした言葉ではないでしょうか。
問1 空欄(あ)(い)(う)にあてはまる語句を答えなさい。
問2 本文にあるイランとブラジルについて、それぞれの国の一を地図Ⅰのあ~かから1つずつ選び、記号で答えなさい。
問3 下線部アについて。日本の国籍法では、子どもの国籍登録は、日本人から生まれたことを重視しています。一方、アメリカは自国で生まれたことを重視しています。日本とアメリカの両方の国籍を持つことができる例を、次に示すあ~ えからすべて選び、記号で答えなさい。なお、例で示されている「子ども」は未成年を指します。
あ 両親が日本国籍で、アメリカで生まれた子ども
い 父がアメリカ国籍、母が日本国籍で、アメリカで生まれた子ども
う 母がアメリカ国籍、父が日本国籍で、アメリカで生まれた子ども
え 両親がアメリカ国籍で、日本で生まれた子ども
問4 下線部イについて。江戸時代には幕府の鎖国政策のため、外国と日本を自由に行き来することは禁じられました。しかし、オランダと中国の貿易船は、幕府の支配地である長崎だけに滞在し、出入りを認められていました。
(1)オランダと中国の貿易船だけが出入りを認められたのはなぜですか。説明しなさい。
(2)幕府の支配地である長崎だけに貿易船の出入りが認められたのはなぜですか。説明しなさい。
問5 下線部ウについて。図Ⅰの政権演説会の案内に「ハングル」が記されているのはなぜですか。説明しなさい。
図Ⅰ 1930年福岡県若松市(現在の北九州市)の
市議会議員選挙における政見演説会の案内
(出典有馬学『日本の歴史23帝国の昭和』)
問6 下線部エについて。
(1)図2にあるように在留資格外国人の総数はこの約30年の間で減少した時期があります。 減少の理由を説明した文として最もふさわしいものを次に示すあ~えから1つ選び、 記号で答えなさい。
図2在留資格外国人の総数 と特別永住者の数の変化 (出入国管理庁「出入国管理統計統計表」より作成)
(あ)バブル経済崩壊の影響で減り始めた。
(い)阪神・淡路大震災の影響で減り始めた。
(う)アメリカに始まる世界的な金融危機の影響で減り始めた。
(え)東日本大震災の影響で減り始めた。
(2)図 2 にあるように、 在留資格外国人の総数とはちがい、 特別永住者の数はこの約 30年の間、 減少し続けています。特別永住者の数が減少しているのはなぜだと考えられますか。説明しなさい。
問7 下線部オについて。 高度経済成長の時代 (1950 年代後半~1960 年代)、 都市部を中心に労働力が不足しましたが、1980年代とは異なり、外国人労働者は増えませんでした。労働力はどのようにして補われたと考えられますか。説明しなさい。
問8 下線部力について。
(1)表 2は各国への日本人移民数の変化を示したものです。 ①、 ②、 ③には日本人移民の行き先として、ブラジル、アメリカ(ハワイをのぞく)、ロシア(ソビエト連邦)のどれかがあてはまります。①、②、③にあてはまる国名の組み合わせとして正しいものを、次にに示すあ~かから1つ選び、記号で答えなさい。
表2 日本人移民数の変化(出典岡部牧夫『日本史リブレット56海を渡った日本人』)
(2)日本政府は 1932 年に建国させた満州国に移民を送り出しました。 このとき日本政府が満州国に移民を送り出した目的として正しくないものを、 次に示すあ~おから 1つ選び、 記号で答えなさい。
問9 下線部キについて。 難民の地位に関する条約(通称「難民条約」)をまとめると、 難民とは次のように定義されており、 条約を結んだ国には難民を保護することが求められています。
人種、 宗教、 国籍や政治的な意見を理由に迫害を受けるおそれがあるために他国に逃げた人で、 迫害を受ける以外の理由で逮捕されるような犯罪をおかしていない人
しかし、 日本に逃げて来た人たちの難民審査は厳しく、 問題視されています。 次にあげる資料1は審査のときにきかれる質問内容の一部です。 日本政府がこ のような質問をすることは、 難民を保護するという点から見たときにどのような問題があると考えられますか。 質問 3~5から 1 つを選び、 その質問の問題点を説明しなさい。
- 迫害のおそれを感じたのはいつからですか。根拠を具体的に答えてください。
- あなたが帰国すると、どのようなことになるか、具体的に答えてください。
- あなたが国にいたとき、上記の理由、その他の理由で逮捕されたリ、その他身体の自由を奪われたり暴行などを受けたことがありますか。
- あなたは、あなたの国に敵対する組織に属したり、敵対する意見を表明したりしたことはありますか。
- 現在、生活費用は何によってまかなっていますか。
- もともと住んでいた国に日本から送金をしたことがありますか。
(資料1 難民審査のときにきかれる質問の内容)
問10 下線部クについて。図 3は、 愛知県、 高知県、 東京都の産業別外国人労働者の割合を示したものです。図3の①と②にあてはまる都県名を答えなさい。
問11 下線部ケについて。 特定技能という制度によって外国人労働者の滞在期間をのばすことができるようになりました。 この制度ができた理由の一つには、 企業が新しい外国人労働者を招くよりも、 すでに働いている人の滞在期間の延長を希望したことがあげられます。 次にあげる資料2は、 特定技能の対象になった仕事の一部です。企業が滞在期間の延長を希望したのはなぜだと考えられますか。これらの仕事の特徴を参考にしながら説明しなさい。
問12 下線部コについて。日本政府が正式に移民を受け入れようとせず、行政が外国人の支援をおこなわないと、日本に不慣れな外国人の支援はボランティアの人たちに依存することになります。その場合、外国人の支援活動にはどのような不都合が生じると考えられますか。2つあげて説明しなさい。
問13 下線部サについて。日本に働きに来た外国人とその家族の人権を守るために は、どのような政策や活動が必要だと考えられますか。君が考える政策や活 動の内容とそれが必要である理由を、80~100字で説明しなさい。なお、句読点も1字分とします。
ぜひ、保護者の皆さんも、ご家庭でお子さまと一緒に考えてみてください。きっと良い刺激になること間違いなしです。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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