私大や国公立前期試験で8割取るための世界史~大学受験・高校受験・中学受験にも役立つ(15)

第6章 内陸アジア世界・東アジア世界の展開

3 モンゴルの大帝国

  • モンゴル帝国の成立と解体

モンゴル高原ではウイグル滅亡後,諸部族の多くは遼(契丹)に服属していた。12世紀初めに遼がほろびると,諸部族のあいだで統合の動きが強まった。そうしたなか高原東北部で勢力をのばしたテムジンは,1206年のクリルタイ①で遊牧民の君主であるハンとなり,チンギス=ハンと称して諸部族を統一し,大モンゴル国を形成した。彼の騎馬軍は西トルキスタン・イラン方面のホラズム(ホラズム=シャー朝)を倒し,さらにその軍は西夏をほろぼした。彼の死後即位したオゴタイは金をほろぼし,カラコルムに都を建設した。一方バトゥのひきいる西征軍は東欧に侵入し,ワールシュタットの戦いでドイツ・ポーランド連合軍を破った。また西アジアではフラグがバグダードを占領してアッバース朝をほろぼした。

その結果13世紀なかばまでに,モンゴルの支配は,中国北部からロシア・イランにまで広がり,世界史上最大の帝国となった。この大領土のなかに,イラン・イラク方面のイル=ハン国,南ロシアのキプチャク=ハン国,中央アジアのチャガタイ=ハン国など,チンギス=ハンの子孫がおさめる地方政権がのちに成立し,それらが大ハンのもとにゆるやかに連合していた。しかしそれら諸勢力のあいだでは,大ハン位をめぐる相続争いもしばしばおこった。

相続争いをへて即位した第5代ハンのフビライは,自分の勢力の強い東方すなわち中国に支配の重心を移し,大都(現在の北京)を都とした。さらに国名を中国風にと称し,南宋をほろぼして中国全土を支配した。彼の時代,元はチベットや高麗を属国とし,日本・ベトナム・チャンパー・ビルマ・ジャワにも遠征軍をおくった。その遠征の多くは失敗したが,元の進出はアジア各地に大きな社会的変動をもたらした。

しかし14世紀にはいると天災が続き,モンゴル支配下の各地で政権が動揺した。チャガタイ=ハン国ではティムールが台頭して,中央アジアから西アジアに広がる広大な帝国を樹立した。キプチャク=ハン国支配下のロシアでもモスクワ大公国が台頭し,15世紀にはモンゴルの支配から自立した。中国でも元の統治がゆらぎ,交鈔という紙幣の濫発や専売制の強化によって経済が混乱し,飢饉もかさなって民衆の生活が苦しくなった。やがて14世紀なかば白蓮教徒②による紅巾の乱がおこり,そのなかから出た明の軍勢によって,元は中国を追われてモンゴル高原にしりぞいた(北元)。

  • モンゴル時代の東西交流と社会

モンゴル帝国は当初から交通路の安全確保につとめ,駅伝制を整備した。その結果,東アジアからヨーロッパにいたる陸上貿易がさかんとなった。海上貿易も発展し,杭州・泉州・広州などの港市が繁栄した。元代には大運河が補修され,長江下流から大都にいたる海路も発達した。モンゴル帝国の成立により陸路と海路の交通路が連結され,ヒトや文化の交流がよりさかんになった。当時十字軍をおこしていたローマ教皇やフランス王は,イスラーム地域を征服したモンゴル勢力に接近しようと使節をおくった。13世紀末には修道士モンテ=コルヴィノが大都に派遣され,中国ではじめてカトリックが布教された。また元を訪れたマルコ=ポーロは,その見聞を『世界の記述』(『東方見聞録』)にまとめた。

モンゴル帝国ではムスリム商人が活躍しており,キプチャク=ハン国やイル=ハン国などのモンゴル君主はイスラームに改宗した。また当時,中国を訪れた人々にイスラーム教徒が多かったため,中国にもイスラーム教が広まった。彼らの学問の影響をうけて郭守敬がつくった授時暦は,のち日本にもとりいれられた(江戸時代の貞享暦)。反対に,元からは西方に中国絵画が伝えられ,それがイランで発達した細密画(ミニアチュール)に大きな影響をあたえた。

モンゴル支配下の広大な地域では,多様な言語がもちいられていた。モンゴル語を表記するために考案されたパスパ文字はあまり普及せず,ウイグル文字でモンゴル語を表記することがふつうとなった。

官僚統治の長い伝統をもつ中国を支配するにあたって,元は中国の官僚制度を採用し,一方で色目人と総称される中央アジア・西アジア出身者③を財務官僚に登用した。また元は支配下の地域に対して比較的放任的な態度をとったので,中国では大土地所有がすすみ,庶民の文化がより発展した。その背景には,元代は実務的な能力が重視されたため,儒学につうじた士大夫は政治の世界では活躍する機会が少なく,演芸などに作品や台本を提供するようになったことがあった。文学作品のなかでも,戯曲は元曲とよばれて有名で,『西廂記』『琵琶記』などがその代表作として知られる。

①モンゴル部族の有力者が集まり,重要事項を決定した会議。

②白蓮教は仏教系の宗教結社で,苦しい生活を救世主である弥勒仏が救ってくれるという信仰をもち,元末や清代中期に反乱をおこした。

③そのほか金の支配下にあった人々は漢人,南宋の支配下にあった人々は南人と総称された。

【人物コラム】

▼チンギス=ハン 1162ころ~1227

右手に血のかたまりをにぎってうまれてきたという言い伝えをもつチンギス=ハンは,父が殺した敵の名をとってテムジンと名づけられた。父が毒殺されたため,苦しい少年時代をすごした。犬をこわがるような子どもであったというが,しだいに「目に火あり,面に光あり」と称される精悍な青年に成長した。

▼マルコ=ポーロ 1254~1324

ヴェネツィア出身の商人。父や叔父とともに大都を訪れた。イル=ハン国にとつぐ姫とともに海路で中国を出発し,帰国した。その後ジェノヴァとの戦争に際し捕虜となり,獄中で『世界の記述』を口述した。ただし,モンゴル帝国や元の史料に彼の名はない。

【地図・図版】

▼モンゴル帝室の系図(数字は大ハン位即位の順)

▼モンゴル帝国の最大領域

【写真キャプション】

▼ワールシュタットの戦い

軽装騎兵を中心とするモンゴル軍(左)が,重装騎兵を中心とするドイツ・ポーランド軍(右)を破ったといわれる。この戦いはポーランドのリーグニッツでおこなわれたが,「死体の山」という意味のワールシュタットとよばれるようになった。

▼交鈔

フビライの発行した紙幣である至元通行宝鈔。

▼モンゴル時代の牌子(通行証)

木製や金属製など材質にこまかく差をつけた,モンゴル帝国の通行証。漢字(右)やウイグル文字(左)で,所有者の安全を保障することがハンの命としてしるされており,帝国内の移動を容易にした。

▼元の天文台

1279年ころ洛陽近郊にたてられた巨大な天文台。太陽がつくる影の長さをはかって夏至・冬至・1太陽年を算出した。

▼パスパ

パスパは,フビライにまねかれて元を訪れたチベット仏教の指導者。パスパとは「聖者」の意。彼がつくったパスパ文字は,横書きのウイグル文字を縦書きにするなど工夫したが,普及しなかった。

第7章 アジア諸地域の繁栄

1 東アジア世界の動向

  • 明の統一

元末の紅巾の乱のなかからあらわれた朱元璋は,長江下流域の穀倉地帯をおさえ,1368年皇帝(洪武帝)に即位し,南京を都に明朝をたてた。元の帝室はモンゴル高原にしりぞき(北元),88年にはフビライの直系子孫は断絶した。

洪武帝は,六部を監督していた中書省を廃止して,皇帝がすべて直接決定する体制をつくり,唐の律令にならって明律・明令などの法を制定し,朱子学を官学とした。また租税台帳(賦役黄冊)や土地台帳(魚鱗図冊)を整備し,農民に対しては,110戸を1単位として徴税や治安維持などの責任を交替で担当させる里甲制を導入し,農村のすみずみまで統制をおよぼした。さらに儒教的な教訓である六諭を定め,秩序の安定をはかった。軍事面では,兵農一致の衛所制①を編制し,モンゴルに対する防衛のため,自分の息子たちを王として北方に配置した。沿岸部においては,海禁政策をとって民間人の海上交易を許さず,朝貢貿易のみを認めた。

洪武帝の死後,第2代建文帝が諸王の弱体化をはかると,北平(北京)に本拠をおいていた燕王が挙兵し(靖難の役),帝位についた(永楽帝)。彼は都を北京に移してみずから軍をひきいてモンゴル高原に遠征し,南ではベトナムを一時占領した。またイスラーム教徒の宦官鄭和に命じて,アフリカ沿岸にまでいたる大規模な南海遠征をおこなわせるなど,積極的な対外政策をおこなった。

  • 明の隣接諸国

明を中心とする朝貢貿易は,東アジアからインド洋にいたる広い範囲でおこなわれた。とくに15世紀初め中山王によって統一された琉球(現在の沖縄)は,海上交易の要となった。14世紀末に成立したマラッカも鄭和の遠征をきっかけに成長し,東南アジア最大の貿易拠点となった。

日本では鎌倉幕府が倒れたのち南北朝が対立したが,1392年足利氏が南北朝を統一した。混乱の時代には幕府の統制が弱まっていたため,朝鮮や中国の沿岸部を日本の海賊を意味する倭寇②が襲撃していたが,足利義満が明から「日本国王」に封じられ勘合貿易がはじまると,襲撃は一時的におさまった。

朝鮮半島では,李成桂が高麗を倒して1392年に王位につき,朝鮮王朝をたてて漢城(現在のソウル)に都をおいた。15世紀前半の世宗のときには,金属活字による出版や訓民正音(ハングル)の制定など,文化的な事業がさかんにおこなわれた。しかし16世紀以降国内では,両班といわれる有力な家柄が官職を独占し,特権をもつようになった。彼らは党派を組んで対立をくりかえしたので,国力を弱める原因となった。

明軍を撃退して独立したベトナムの黎朝も明と朝貢関係を結び,国内支配をかためた。北方のモンゴル諸部族は明にしばしば侵入し,15世紀なかばには,西北モンゴルのオイラト③が明の正統帝をとらえ(土木の変),北京を包囲した。このころから明はモンゴルの侵入にそなえ,北方の長城を改修するなど守勢に転じた。

  • 商業の活発化と朝貢体制の動揺

16世紀,大航海時代の世界的な商業の活発化によって,東南アジアでは,現地勢力やヨーロッパ勢力が貿易の利益をめぐって争いをくりひろげた。これらの勢力は,明の権威にたよらず朝貢体制にも加わらなかったので,明による統制はゆらいだ。一方,16世紀なかばには北虜南倭とよばれる,北方のモンゴル,東南海岸の倭寇の活動が激化して明を苦しめていたが,それは朝貢体制に不満をもつ人々が,明の貿易制限を打破しようとする動きであった。

このような状況に直面して,明は貿易統制政策を続けることができず,モンゴルとの交易場をつくり,海禁をゆるめて民間人の海外貿易も許した。また当時,日本の銀,ついでアメリカ大陸の銀が大量に中国に流入するようになった。

  • 明の社会と文化

国際商業の活発化は中国国内の商工業の発展をうながした。長江下流域では綿織物業などで家内制手工業がさかんになり,原料となる綿花や養蚕に必要な桑の栽培が普及した。このため,長江中流域があらたな穀倉地帯となった。また江西省の景徳鎮に代表される陶磁器も生産をのばし,生糸とともに,世界に輸出される代表的な商品となった。

商業の発展にともない,山西商人(新安)商人などが全国的な活動をおこない,同郷出身者や同業者の互助をはかって会館や公所がつくられた。銀の流入を背景に,16世紀には,各種の税をまとめて銀でおさめさせる一条鞭法が導入された。また木版印刷による書物の出版も急増し,『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』などの小説や,『本草綱目』(李時珍著),『農政全書』(徐光啓編),『天工開物』(宋応星著)などの実用書が多数出版された。そうした実学への興味の高まりの背景には,布教のため中国を訪れたマテオ=リッチらイエズス会宣教師の活動があった。儒学では,王守仁(王陽明)が善良な心のままに実践をおこなう(知行合一)ことを主張した(陽明学)。

  • 明の滅亡

16世紀なかばから明は北虜南倭に苦しんでいたが,さらに豊臣秀吉の朝鮮侵攻に対抗する援軍派遣や女真(のち満州と改称)の侵入などによって,軍事費が増大した。女真とは中国の東北地方で農牧・狩猟を営む民族であったが,1616年にヌルハチがアイシン(満州語で金の意味)を建国し,強大化していた。さらに第2代ホンタイジはモンゴルを支配し,36年皇帝と称して,国号をと改めた。満州人は八つの軍事・行政組織に編成され,それぞれことなる色の旗を標識とした。これを八旗といい,のち領土が拡大するにつれて蒙古八旗や漢軍八旗がつくられ,要地に駐屯した。

一方,明の国内では官僚同士の対立や宦官の横暴によって政治が乱れ,農民は重税で苦しんでいた。そのため各地で反乱がおこり,1644年明は李自成の反乱軍に北京を占領されて滅亡した。

①明は人々を民戸や軍戸などに分類して世襲させた。軍戸に指定されたものは,税を免除され,衛・所などの単位に編制されて軍役に服した。これを衛所制という。

②14世紀の前期倭寇は日本人が主体であったが,16世紀の後期倭寇は中国人も多く加わっていた。

③オイラトとは,元の血統をつぐ韃靼(タタール)と対立していた西方のモンゴル部族集団をさす。

【人物コラム】

▼洪武帝 1328~98

貧農出身で托鉢僧となり,紅巾軍に参加した。その際,スパイと疑われ処刑されそうになったが,あまりにも人相がみにくいので軍の指導者に気に入られ,配下に加えられたという話が伝わっている。このことから,2種伝えられている肖像画のうち,みにくいほう(左)が真実のものではないかと推定される。

▼マテオ=リッチ 1552~1610

イタリア人のイエズス会宣教師。カトリックに改宗した徐光啓とともにエウクレイデスの「ユークリッド幾何学」を漢訳した『幾何原本』を刊行し,中国初の世界地図「坤輿万国全図」を作製した。学生時代の校長が,日本へきて天正遣欧使節のローマ教皇への派遣をすすめたヴァリニャーニであった。

【地図・図版】

▼明代のアジア(15世紀ころ)

【写真キャプション】

▼鄭和

雲南の出身で,侵入してきた明軍により捕虜とされ,燕王につかえることとなった。靖難の役に際して功をたて,本姓の馬にかわり鄭の姓をあたえられた。

▼訓民正音と世宗

訓民正音は母音と子音を組みあわせた表音文字。これを制定した世宗は大王と称され,現在韓国の紙幣のうち1万ウォン札に肖像画が採用されている。

▼倭寇の活動

倭寇は鎧などを身につけない軽装であったため,機動性が高かった。中国側の史料は,おどろきをもって彼らの独特な刀と突進力に言及している。対抗するのに,中国の剣では短すぎ槍では長すぎたためである。『倭寇図巻』より。

▼長城

明代の長城はところどころに,なかに空間がある望楼という塔を設けたため,居住や食料・武器などの貯蔵が可能になった。また巨大化・堅牢化したため,防衛力は著しく高まった。

▼『農政全書』の挿し絵

『農政全書』とは中国古来の農業書を整理・編纂した書。イエズス会宣教師をつうじたヨーロッパに関する情報もしるされている。図は泥田の上を移動しやすくする秧馬という道具。

▼糸くり

『天工開物』にえがかれた糸車。足踏み式で車をまわし,繭から糸をまきとるようになっている。

▼水軍の活躍

豊臣秀吉は領土の拡大をめざして朝鮮に侵攻したが,李舜臣のひきいる朝鮮の水軍は亀甲船をもちいて打撃をあたえた。

▼「坤輿万国全図」

マテオ=リッチが作製した中国最初の世界地図である。図は,江戸時代に仙台藩が模写したもの。

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。

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