私大や国公立前期試験で8割取るための世界史~大学受験・高校受験・中学受験にも役立つ(2)

第1章 オリエントと地中海世界

3 ローマ世界

  • ローマ共和政

前1000年ころ,イタリア半島に南下した古代イタリア人の一派ラテン人によって建設された都市国家がローマである。ローマは前6世紀末に先住民であるエトルリア人の王を追放して共和政となったが,貴族平民の身分差があり,貴族が最高官職のコンスル(執政官)①や元老院の議員などを独占し,支配権をにぎっていた。

しかしギリシアと同様に平民が重装歩兵として国防に重要な役割をはたすようになると,政治への参加を求めて貴族との争いがおこった。まず前5世紀前半に,平民をまもる権限をもつ護民官と平民会のしくみが設けられ,ついで従来の慣習法を文章で書きあらわした十二表法が定められた。さらに,前3世紀前半のホルテンシウス法によって平民会の決議も元老院の許可がなくてもローマの国法となることが定められ,平民と貴族との政治上の権利はほぼ同等となった。

こうして平民にも参政権があたえられたが,元老院の力はいぜん強く,従来の貴族に富裕な平民が加わって新しい支配階層がうまれるなど,ローマ共和政は,貧富の区別なく市民が政治に参加できたギリシアの民主政と大きくことなっていた。

  • 地中海征服とその影響

ローマは平民の重装歩兵の活躍により近隣の都市国家をつぎつぎに征服し,前3世紀前半には全イタリア半島を支配した。ついでローマは,西地中海を支配していたフェニキア人の植民市カルタゴと3回にわたるポエニ戦争をおこした。カルタゴの将軍ハンニバルに苦しめられながらもローマはこの戦いに勝利をおさめ,その後,前2世紀なかばには東地中海にも進出し,地中海世界全体を支配する大国家に発展した。

この征服戦争のあいだに,ローマの社会には深刻な変化が生じていた。長い出征をしいられた中小農民は,農地の荒廃や属州②から安価な穀物が輸入されたことなどで没落し,多くは無産市民としてローマなど大都市に流れこんだ。一方,支配階層は属州からきびしく税をとりたてて莫大な富を手に入れ,農民が手放した土地を買い集めたり,公有地を手に入れるなどして,多くの奴隷を使う大土地所有制(ラティフンディア)をおこなった。このような市民のあいだの経済的格差,とくに中小農民の没落は,共和政の土台を大きくゆるがした。

  • 内乱の1世紀

前2世紀,重装歩兵の中核であった農民の没落による軍事力低下に危機を感じたグラックス兄弟は,あいついで護民官に選ばれると,大土地所有者の土地を没収して貧しい市民に分配しようとした。しかし改革は富裕な人々の反対で失敗し,以後有力な政治家は,自分が保護する私兵による暴力で争うようになった。共和政は機能しなくなり,前1世紀には剣闘士スパルタクスがひきいる奴隷の大反乱などもおこって,「内乱の1世紀」とよばれる混乱は頂点に達した。

このようななか,実力者カエサルはポンペイウス・クラッススと盟約を結んで元老院に対抗し,政権をにぎった(第1回三頭政治)。その後ガリア(現在のフランス地域)遠征の成功によって力をえたカエサルは,ポンペイウスを倒して事実上の独裁者となった。彼は民衆に大きな人気をえたものの,共和派のブルートゥスらによって暗殺された。その後第2回三頭政治③がおこなわれたが,カエサルの養子オクタウィアヌスは,エジプトの女王クレオパトラと結んだアントニウスをアクティウムの海戦で破り,ここに長い内乱はようやくおわりを告げた。

  • ローマ帝国

オクタウィアヌスは,前27年元老院からアウグストゥス(尊厳者)の称号をあたえられた。彼は元老院など共和政の制度はそのまま残し,元首政とよばれる政治体制をたてた。しかし事実上ほぼすべての権力をにぎる独裁政治であったため,これ以後を帝政時代という。

これよりローマの最盛期となった「五賢帝」の時代(96~180年)がおわるまでの約200年間は,繁栄と平和が続いた(「ローマの平和」)。ローマ風の都市が各地に建設され④,3世紀には帝国の全自由人にローマ市民権があたえられた。ローマは地中海世界を一体化させた世界帝国となり,商業活動も繁栄し,季節風貿易によって中国・東南アジア・インドから絹や香辛料などがもたらされた。

  • ローマ帝国の危機と分裂

あらたな領土拡大がなくなった五賢帝時代の末期ころから,ローマ帝国の財政はいきづまり,3世紀には各地の軍隊が独自に皇帝をたてて争う軍人皇帝の時代(235~284年)になった。また北のゲルマン人や東のササン朝などの侵入も激しくなり,帝国は分裂の危機におちいった。

危機のなかで社会のしくみも変化した。軍事力の増強のために都市は重税を課されて衰退し,都市を逃げ出した富裕層は田園に大所領をかまえて下層市民などを小作人(コロヌス)として働かせた。このしくみは,これまでローマの経済をささえてきた奴隷制にもとづくラティフンディアにじょじょにとってかわるようになった。

3世紀後半に即位したディオクレティアヌス帝は分裂の危機をさけるために帝国を東と西にわけ,軍隊の増強や,徴税のしくみを新しくするなどの諸改革をおこなった。さらに皇帝を神として礼拝させ,専制君主⑤として支配したので,彼以降の帝政を専制君主政という。

この政策を引きついだコンスタンティヌス帝は,迫害されてきたキリスト教を公認することで帝国の再統一をはかり,また財源を確保するためにコロヌスを土地にしばりつけ,身分や職業をかえられないようにした。彼はあらたな首都をビザンティウムに建設してこれをコンスタンティノープルと改称し,巨大な官僚体制をきずいた。ローマは官僚制を土台とした階層社会となり,ポリス以来の市民の自由は,完全に失われた。

しかし,これらの改革によっても帝国の解体はとまらず,395年,ついにテオドシウス帝は帝国を東西に分割して2子にわけあたえた。東ローマビザンツ帝国は15世紀まで1千年以上続いたが,西ローマ帝国は476年,ゲルマン人大移動の混乱のなかで滅亡した。

  • キリスト教の成立

属州としてローマの支配下にあったパレスチナでは,ユダヤ教の祭司たちは支配層としてローマに協力し,圧政のもとで苦しむ貧しい人々の声にこたえようとしなかった。アウグストゥス帝の時代,この地にうまれたイエスは,このようなユダヤ教の指導者たちを,律法の形式をまもることのみ重んじていると批判し,さげすまれていた人々に身分や貧富の区別なくおよぼされる神の絶対愛と隣人愛を説いた。このため彼はローマに対する反逆者として訴えられ,30年ころイェルサレムで十字架にかけられて処刑された。

しかしその後,弟子たちのあいだに,イエスが復活し,その十字架上の死は人間の罪をつぐなう行為であったとの信仰がうまれ,イエスを救世主(メシア,ギリシア語でキリスト)と信じるキリスト教が成立した。彼の教えは,ペテロやパウロら使徒たちの伝道活動によってしだいにローマ帝国内に広がり,各地に信徒の団体である教会も組織された。その結果,キリスト教は奴隷・下層市民を中心に広がり,やがて上層市民にも信徒がみられるようになった。このあいだに『新約聖書』がつくられ,『旧約聖書』とともにキリスト教の教典となった。

  • 迫害から国教化へ

唯一絶対の神を信じるキリスト教徒は皇帝への礼拝をこばみ,国家の祭儀にも参加しなかったため,激しく迫害された。しかしキリスト教は帝国全体に広がり続け,ついにはこれを禁じれば帝国が混乱することが明らかとなったため,コンスタンティヌス帝は313年のミラノ勅令でキリスト教を公認した。

教義の面では,ニケーア公会議において,キリストを神と同一視するアタナシウス派が正統とされ,キリストを人間であるとするアリウス派⑥は異端⑦とされた。アタナシウスの説はのち三位一体説⑧として確立され,正統教義の根本となった。4世紀末にはアタナシウス派キリスト教が国教とされ,他の宗教は禁止された。このように,キリスト教は国家の権力との結びつきを強めてローマ帝国をささえる宗教となり,支配のシステムとして教会の組織化がすすんだ。

  • ローマの生活と文化

ローマ人はギリシア文化を吸収し,実用面ですぐれた能力をみせた。ローマ帝国の文化的意義は,その支配をとおして地中海世界のすみずみにギリシア・ローマの古典文化を広めたことにある。

ローマがさまざまな習慣をもつ多くの民族を支配するようになると,十二表法にはじまるローマ法は市民法の枠をこえて,帝国に住むすべての人民に適用される万民法となった。6世紀に東ローマ帝国で編集された『ローマ法大全』はその集大成である。ローマ法は中世から近世・近代にうけつがれ,われわれの生活にも深い影響をおよぼしている。また現在もちいられているグレゴリウス暦は,カエサルが制定したユリウス暦からつくられたものである。

土木・建築では,今日に残るコロッセウム(円形闘技場)やパンテオン(万神殿)などの巨大な石造建築がつくられ,浴場や道路,水道橋も整備された。都市ローマには「パンと見世物」を楽しみに生きる100万人もの下層市民が住み,都市文化が花ひらいた。

文芸や学問の分野では,アウグストゥス帝時代がラテン文学の黄金期とされるが,ウェルギリウスらの作品にはギリシア文学の影響が強い。このほかカエサルの『ガリア戦記』やタキトゥスの『ゲルマニア』が名高く,『対比列伝』(『英雄伝』)を著したプルタルコスなどのギリシア人も活躍した。

また,国家宗教の地位を獲得したキリスト教では,ローマ帝政末期に,アウグスティヌスを代表とする教父とよばれる思想家たちが正統教義の確立につとめ,のちの神学の発展に貢献した。

①任期1年,2名で構成された。前367年のリキニウス・セクスティウス法で,一人は平民から選ばれるようになった。

②半島外にあるローマの支配地。総督を派遣して統治した。

③オクタウィアヌス・アントニウスにレピドゥスを加えた3人。

④ロンドン・パリ・ウィーンなど,のちに近代都市となったものも多い。

⑤法律や社会のしきたりの制約をうけずに,自分の思うままに政治をおこなうことができる権力者のこと。

⑥異端とされたアリウス派は,北方のゲルマン人のなかに広まった。

⑦宗教において「正統」な教義に反するもの,およびその信奉者。キリスト教が国教化されると,国家への反逆の意味をもった。

⑧父なる神,子なるキリストおよび聖霊は,三つでありながらしかも同一であるという説。

【人物コラム】

▼グラックス兄弟 兄  前162~前132,弟  前153~前121

兄ティベリウスは冷静かつ理論的な演説で,弟ガイウスは激情型の演説で民衆の人気をえていた。兄は連続当選をねらった護民官選挙の際に撲殺されてティベル川に投げこまれ,弟も元老院の圧力に抗してたちあがったが自殺に追いこまれた。

▼カエサル 前100~前44

彼は文武に優れた政治家であった。遠征の記録『ガリア戦記』は,カエサル自身を三人称で語ることによって壮絶な戦いのようすを客観的に報告する手法がとられており,その簡潔・明瞭な文体は,ラテン文学の最高峰とされる。

▼コンスタンティヌス帝 274ころ~337

皇帝位を争った際,「キリスト」のギリシア語表記の最初の2文字「XP」を兜につけてたたかい,勝利をつかんだ。しかし現実主義者であった彼は,異教の儀式や教会にとらわれず,「一人の人間を皇帝にするのは運命の女神の力だ」といい放ったといわれる。

▼ローマ帝国の領土拡大

ポエニ戦争でシチリア島を最初の属州(イタリア半島以外の征服地)として以来,ローマはダキア(現在のルーマニア地域)征服まで領土の拡大を続けた。

▼狼の乳を飲むロムルスとレムス

ロムルスとレムスは伝説上のローマ建国者で,狼によって育てられたといわれている。ローマの名称は,双子の一人ロムルスに由来する。

▼アッピア街道とマイル=ストーン

アッピア街道はローマ最古の軍道で,はりめぐらされた街道には1ローマ=マイル(1000歩:約1.48km)ごとに標識(マイル=ストーン)がたてられた。右のマイル=ストーンはその1番最初のもので,上部にそれを示す「Ⅰ」の文字が刻まれている。

▼フォロ=ロマーノ

ローマ中心部にあった広場の遺構。「大理石とコンクリートの街」であった姿を今に伝えている。

▼無産市民への穀物配布

支配階層は,被保護者(クライアント)である無産市民に穀物や見世物を提供する保護者(パトロン)でなければならなかった。

▼猛獣とたたかう剣闘士

奴隷であった剣闘士は,たがいに決闘するだけではなく,ライオンや牛などともたたかわされ,つねに死ととなりあわせであった。民衆はこのような血なまぐさい見世物に娯楽を求めた。

▼アウグストゥス帝の像

神格化されたその足もとには,愛の神キューピッドが刻まれている。

▼四帝分治制を記念する像

ディオクレティアヌス帝は帝国を東西にわけ,それぞれを正帝と副帝の2人が統治する四帝分治制をしいた。

▼十字架にかけられるイエス(中央)

▼パウロ

パウロはユダヤ人以外の人々に布教したため,「異邦人への使徒」とよばれる。

▼カタコンベ

迫害をうけたキリスト教徒は,このような地下墓地(カタコンベ)を礼拝の場とした。

▼コロッセウム

ローマに残る長径188m,短径156m,高さ48.5mの大円形闘技場。

▼ガール水道橋

南フランスのガールにたてられた高さ50m,長さ270mの水道橋。

▼アウグスティヌス

北アフリカにうまれ,青年期にはマニ教を信奉した。回心後に多くの著作を残し,近代哲学や宗教改革にも大きな影響を与えた。

▼コンスタンティヌス帝の凱旋門

コンスタンティヌスが,皇帝位をめぐる争いに勝利したことを記念したローマ最大の凱旋門。高さ21m,幅26m。

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プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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