100de名著で学ぶローティ『偶然性・アイロニー・連帯』
01 ローティってどんな人?~アンチ哲学者としてのローティ
『偶然性・アイロニー・連帯』の著者であるローティについて説明していきましょう。ローティの経歴について簡単に話す前に、ローティがどのような哲学者であったのか説明することから始めましょう。ローティという哲学者の思想を一言で言うならば、「哲学とは『人類の会話』が途絶えることのないよう守るための学問である」というものになります。これは、ローティ自身の初の著作である『哲学と自然の鏡』で述べられていることを一言で言い換えてみたものです。ローティはその著の最後をこう締めています。
「私が是非とも主張しておきたい唯一の点は、次のことである。すなわち、哲学者の道徳的関心は、西欧の会話を継続させることに向かうべきであって、近代哲学の伝統的諸問題がこの会話の内部で現に占めている位置に固執すべきではない、ということである。」(野家啓一監訳、ローティ『哲学と自然の鏡』産業図書)
と。ローティはこの言葉で一体どういうこと言いたいのでしょうか。ローティは哲学的伝統やアカデミズムでの哲学の議論から距離を取ろうとしました。ごく簡単に言うと、伝統的な哲学というのは「真理を探究するもの」とされています。古代ギリシアのプラトン以来、哲学者たちは真理を追い求め、真理に到達することを目指してきました。到達を目指すというのは、言い換えれば、いつかは探究を終わらせることを目指すのが、哲学の試みだといえるでしょう。探究が終われば、それ以上の議論や会話は不要になります。しかし、それでいいのかと問うたのがローティでした。
ローティが考える哲学とは「人が根底に触れることのできるような文化領域、すなわち人が知識人としての自分の活動を説明したり正当化したりすることが許されるような、それゆえ自分の人生の意義を発見することが出来るような語彙や確信が見いだされる領域」であると考えており、哲学の使命は、むしろそうした議論や会話を終わらせようとする勢力に抵抗し、それらを批判的に吟味することで、会話が絶滅しないようにすることではないかと考えました。その意味で、ローティは「アンチ哲学」を唱えたわけです。
しかし、それでは、真理の探究をやめたとき、一体哲学は何をすべきなのか。それを明らかにしていったのが、『哲学と自然の鏡』の続編となる本記事で紹介する『偶然性・アイロニー・連帯』という書物です。つまり、ローティはデビュー作で放った問いに対して、『偶然性・アイロニー・連帯』で自ら答えて見せたわけですね。ローティが晩年、「自分の書いた本の中でいちばん気に入っている」と述べた本書は多くの言語に翻訳され、いわば彼が望む、狭い哲学業界の範囲を超えて幅広い読書を獲得しました。
現代は、世界では益々多様化の時代が進展する中、それに反動して、政治的な分断や分離主義が横行しています。身近な例でいえば、SNSを中心にエコーチェンバーやフィルターバブル、カスケードといった現象が観られたり、有名ユーチューバーたち相手を「論破」するのが絶賛される時代です。言ってしまえば、議論や会話が成り立たなくなっている事態が進行しているといえます。その時、一種の処方箋になるのがローティーの哲学であるのは間違え在りません。とりわけ、ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』は、我々がどうすれば会話を止めずに立ち回ることが出来るかについてのヒントや、その理論を提供してくれる本です。
また、今の時代はいわゆる「炎上」といった現象も流行っており、失言や何気ない無思慮な発言がネットを通じて広く伝播し、そこに人格的非難が集中する時代です。その結果、安心して会話できる場所がどんどん世の中消えていっている時代という風に、皮肉にもいえてしまうのではないでしょうか。
02 哲学者ローティのキャリア
ローティが哲学者としての歩みをスタートさせたのは、分析哲学が哲学界を席巻していた時代のアメリカでした。ローティは1946年、15歳でシカゴ大学に入学し、1956年にイェール大学で博士号を取得しました。アメリカ哲学界では、分析哲学が一気に浸透していました。分析哲学という分野はあまり日本では知られていないかもしれません。しかし、アメリカでは「哲学=分析哲学」と思われるくらい定着していました。これには世界史的な背景があります。第二次世界大戦期、ユダヤ系を中心としたヨーロッパ出身の哲学者たちが北米に亡命してきました。
その中に、科学の一環つぃて言語を分析することを掲げた人たちがいました。彼らの影響でアメリカの哲学の勢力図は一変したのでした。ちなみに、アメリカやイギリスなどの英語圏では、分析哲学以外の哲学のことをヨーロッパ大陸で行われている哲学という意味で「大陸哲学」と言ったりします。さて、こうした中、ローティは博士課程をイェール大学で過ごすわけですが、ここは台頭する分析哲学への一番の抵抗拠点でもありました。
そこには、アメリカ特有の哲学を守るという保守的な意味合いや、反ユダヤ主義などの複数の要因があったようです。但し、ローティ自身はあまりそうした政治情勢は意識しておらず、ともかく分析哲学の隆盛を横目で見つつ、自身は分析哲学とは言いがたい哲学史的な論文で博士号をとり、アカデミアの世界を進むことになります。
最初の大学での職と兵役を経て、ローティは1961年、アイビーリーグのトップ校の一つであるプリンストン大学に着任します。当時のプリンストン大学は、分析哲学を代表する哲学者たちが結集し、アメリカにおける分析哲学の中心地といっても良いところでした。そこに、ローティは欠員が出た古代ギリシア哲学を教える任期付き講師として着任したのです。
せっかくこんな場所に来たのだから、自分のアメリカの哲学界のど真ん中である分析哲学にコミットしよう、とそう思い始めたローティは60~70年代にかけて流行に追いつこうとばかりに、分析哲学的なスタイルとテーマで論文を書くようになります。そのあいだに彼は任期なしの准教授、そして教授へと順調にキャリアの階段を上がっていきました。
しかし、ローティの出自はその分野ではなかったということもあり、彼のなかに次第に分析哲学への懐疑が次第に芽生えてきました。それはやがて分析哲学への批判となって彼の中に溜まっていきました。その思いが表出したのが、1979年に刊行された彼の初の著作である冒頭に紹介した『哲学と自然の鏡』でした。
実は、それまでのローティの仕事は既に一定の評価を得ており、彼は1979年にはアメリカ哲学会東部部会の会長となっていて、当時の学会に出ていた人の証言によれば、学会会場のロビーに『哲学と自然の鏡』が平積みされていたそうです。その本がまさかの「アンチ哲学」の本であったわけですね。より具体的にいえば、「分析哲学などやめてしまえ」と宣言する本であったわけです。
哲学界の真ん中にいるはずの人がそんなことを言ったということで、ローティは一転して哲学界最大の敵という扱いになり、そこでの居場所を失っていきます。1982年には、ローティはバージニア大学の人文学特別教授という学部に属さない、彼のために新設されたポストに移ります。それ以降、ローティは大学の哲学科に戻ることはありませんでした。彼は狭い意味での哲学アカデミアから離れて、以後、20年強にわたる文筆生活を送ることになります。
03 「哲学の鏡」という哲学者の自己像
では、哲学界に居場所を失わせるほどの破壊力をもった『哲学と自然の鏡』でローティは何を言ったのでしょうか。序論で、ローティはこう述べています。「哲学者たちは通常自分たちの学問を、永久不変の諸問題-すなわち、反省を遂行し始めるや否や生じてくる諸問題-を議論する学問だと考えている。」つまり、人間が人間である限り、いつの時代においても成立するような問題を議論する学問が哲学だと哲学者たちは考えているというわけです。
「これらの問題のうち幾つかは、人間存在とそれ以外の存在者との差異に関わるものであり、これは心と身体の間の関係をめぐる結晶化されている。別の問題は知っていると主張すること正当化に関わるものであり、これは知識の『基礎』をめぐる問いに結晶化されている」といいます。「知っていることの正当化」とローティは言っていますが、そのために必要なのが知識の「基礎」です。どうすれば知識について確かな基礎を与えることができるのか。まさにその問いが「永遠不変の諸問題」なのだということになります。
ローティは、このような歴史性のない、永遠不変の問題に取り組んでいるという哲学者の描像を否定します。この描像こそが、ローティの著作のタイトルになっている「自然の鏡」というものです。自然の鏡とは哲学者の自己像です。ローティによれば、私たち人間はどこかで、世界を正確に理解するための本質的な何かがわれわれには備わっていると信じている。それがちょうどまるで「鏡」のように「自然」を正確に映し出す何かがあると信じているというわけです。それが何であるんかやそこに至る道筋を明らかにするのが哲学者だ、そういう自己イメージを哲学者たちは持っているとローティは指摘します。そして、それを解体しようとしたのが『哲学と自然の鏡』でした。この本で、ローティはそのような本質を哲学者が人間に求めていたことが、むしろ問題なのではないかと論じているのです。
04 ローティのデカルト批判
『哲学と自然の鏡』において、ローティは西洋哲学の系譜は概ねこの「自然の鏡」という自己像を持っているとして、その系譜をひとつひとつ批判的に考察していきます。その代表例がデカルトです。デカルトは、あらゆる知識や感覚は確かなものとは言えない、しかし、その確かさを疑っている私、いわゆる”cogito, ergo sum.”だけは確かに存在すると考えました。そして、その私というのは心であると結論づけています。心にはさまざまな働きがあります。考える。疑う。知る。想像する。感覚する。その結果、心にはさまざまな観念が顕れます。
一方、こうした働きをする「心」とは全く別に存在するのが、身体を含めた「物体」です。これを心身二元論といいます。ここから、確実な存在である私の「心」は、いかにして外界の「物体」を認識するかという認識論の問いが生まれるわけです。
ローティは、デカルトにおける「私」と「心」の関係に異議を唱えました。デカルトは、心がどういうものかは私には直接(直観的に)わかるとしていました。ローティの言葉でいえば、「自然」としての心を、私は「鏡のように」映し取ることができる、という立場です。しかし、ローティはそうした直観は真理を鏡のように映し取ったものではなく、歴史の中において形成された見方だとします。それどころか『哲学と自然の鏡』の第一部第一章が「心の発明」と題されているように、ローティはデカルトがいう「心」とはデカルトの発明なのだとまで述べています。そして、このデカルト以来、「哲学者の進むべき道が開かれたわけだが、その道は人々が心の平安を獲得するのを援けるための道ではなく、数学者や数理物理学者の求める厳密さを獲得するためか、あるいはそれらの分野における厳密さの出現を説明するための道であった。生きることではなく、科学が哲学の主題となり、認識論がその中心に据えられたのである」というわけです。
それは西洋哲学が営々と続けてきた真理に近づく漸進的な過程の一つというよりは、デカルトという天才が個人の関心のなかから見付けてきたもので、それを語る彼の言葉が魅力的であったがゆえに、みんなが使うようになったにすぎないというわけです。だからこそ、心とはデカルトによる一つの発明なのだ、とローティは考えるわけですね。
ローティは、心が発明である理由として、デカルト的な心というものを、デカルト以前の人間は、少なくとも学習することなしには理解することができなかったことを挙げます。そして、もしデカルト的なことばづかいをしないかたちで心を語るようになれば、文字通り「心を失うことさえある」のではないかと議論しています。
05 対蹠人という思考実験
ここで、ローティは、面白い思考実験を始めます。それは「対蹠人」の思考実験と呼ばれるものです。銀河系の反対側にある「対蹠星」の「対蹠人」は、人間と姿かたちは殆ど同じです。コミュニケーションも取れるのですが、大きな違いが一つだけありました。それは、対蹠人がわれわれがいうところの心を持っていない、という点です。あるいは、心に相当する言葉がない。たとえば、私たちが「痛い」と言うところを、対蹠人は「C繊維が刺戟されている」(C繊維とは神経繊維の一つである無髄神経のこと)と発話します。私たちが「赤い」というとき同じ視覚対象を観た場合、「ニューロン束G-14(人間の脳にあり情報の伝達や処理を担う神経繊維のうち視覚情報処理にかかわり神経)が震わされている」と言います。
このようい、一事が万事、脳科学的な用語で彼らは話すのです。対蹠人にその対応関係を教えれば「なるほど、C繊維が刺戟されている状態を痛いというのですね」ということはわかるかもしれない。しかし、「その言い換えの法則はわかったが、痛みや赤さとうこと自体はやはりわからない」と返されることもあり得ます。さて、このとき対蹠人は何について語っているのか。それは地球人と何が違うのだろうか。この思考実験についてローティはこう語っています。
「残るのは、一方では『地球人は自分に感覚があると思っているが、実はないのだ』という対蹠人の唯物論者であり、他方では、『対蹠人には感覚があるのに、そのことに彼らは気づいていない』という地球人の哲学者である。経験的探究のあらゆる成果(脳の交換等)がどちらにも等しく味方しうると思われるときに、この袋小路を抜け出る道はあるのだろうか。」
こうした相容れない二つの主張があるとき、相互理解を得るすべはあるのだろうかというのがこの思考実験のポイントです。ローティは、この差異は原理的に調停できないと結論します。しかし、ここで肝心なのは、どちらかがどちらかを「わかる」ことはありえないが、「言い換え」はできえいるということです。「なるほど、あなたのC繊維の刺戟について、私はそれを『痛い』といっている。それが同じ状態を指しているのかは確実にはわからないけれど、とりわえず私が「痛い」といっていることにちて、あなたには代替する言葉がって、言い換えができるのですね、ということは確認出来るわけです。
もしこういった言い換えの法則が共有され、言い換えの語彙リストがある程度の範囲でつくれるのであれば、実践的には何も困ることはありません。そのとき、もはや「心がある」という事実は必要なのでしょうあ。ローティはそう問いかけるわけです。そして、ローティは「心」や感覚にまつわる言葉がなくても何も困ることはないのではないかと問いかけるわけですね。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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