5/5 自ら学ぶことの意義について考える
私は、読書が趣味で、ほぼ毎日最低でも一冊の本を読む習慣があるのですが、40歳を過ぎたあたりに、ふと気づいたことがあります。それは、学校の授業のような、まあいわゆる講義形式で人からモノを教わったのは、大学生の頃の一般教養の講義以来なくなっていたことに改めて気づきました。大学院生時代の頃を思い出しても、そこでは自分の論文を作成することだけで、何か誰かに教わることはなかったな、と。 確かに、大学院生以降は購読会のようなものはあるものの、基本的に自分の論文を作成することが研究成果であるわけで、誰かから何かモノを教わるということはないわけです。研究するというのは、その響き自体は、聞こえは良いかもしれないですし、実際良い面もあるのでしょうが、どうしても自分の研究テーマに沿った文献しか目を通さなくなってしまいますし、自分の研究テーマについてしか余り考えなくなるという意味では、確実に視野狭窄に陥っていくと思うのです。また、大学の指導教員などに訂正や指摘を受けることがあっても、同じ研究テーマを指導教員が持っているわけではないので、広い意味では同じ専門分野でも、専門家の視点でいえば「私はそのあたりの詳しいことまでは知らないけどね」という立場で寸評されるに過ぎません。 分かりやすくいえば、カント研究者でも、『純粋理性批判』で取り扱っているような分野を研究テーマにしている人間と、『実践理性批判』で取り扱っているような分野を研究テーマにしている人間では、同じカント哲学を研究しているのに、まるで互いが門外漢のような顔をするのです。実際、カント研究者なのに生涯かけて『純粋理性批判』を研究したけれども、他のカントの著作は禄に読んだこともないというようなことがあり得る世界であったわけです。確かに、カントというのは大哲学者であり、アリストテレスのように万学に通じた人であるので、その人のたとえ一つの代表作で扱っているようなテーマを研究するとなると、どうしても自分の研究テーマに沿った文献やその二次文献や研究書、論文は膨大になり、正直、一生かかっても読み切れないのではないかという分量があります。 そうなると、体系的に「○○学」などという大きなテーマについては大学生時代の講義以来は決して人から教わることもなければ、その機会もなくなっていたわけです。そうなると、かなり自主的に自分から学ぼうとしなければ、どうしても専門バカになってしまいます。もちろん、大学院生時代に読書をしなくなったわけではないですが、なんというのでしょうか、勝手に自分の専門領域を作って、それ以外は門外漢だと尻込みしてしまう姿勢や、自分の専門分野のことに関してはいっぱしの研究者にでもなったつもりで、したり顔で語りだすという、よくよく振り返ってみると、まさに「象牙の塔」に籠もっていただけだと実感させられます。 まあ、大学院生時代を嘲笑うだけではなく、よくよく考えてみれば、読書は続けているとはいえ、ただ、その読書の傾向が、文学はともかく、学術系の書物に関すると、明らかに哲学や倫理学の書物に偏っていることを思うと、何も大学院生の頃と変わっていないな、と思えてきます。そうした自分で勝手に思い込んでいる専門領域に限った分野だけではなく、大学生の頃受けていたさまざまな学問の講義が懐かしく思えてきました。 そして、同時に、何だか学生時代よりも楽をしているな、と思えてきたのです。もちろん、アカデミズムの世界にいるわけではないので、研究などしても飯の種にはなりませんし、象牙の塔の政治闘争に明け暮らすより、よっぽど厳しい生き馬の目を抜くビジネスの世界に生きてきたので、大学の教員より楽をしているという意味ではありません。ただ、少なくとも、学ぶ、ということに関しては、学生時代よりも大分楽をしていると思うのです。 もちろん、塾でも予備校でも、中学でも高校でも、そして大学でも講義を受けるというのは楽なことです。人からモノを教わるというのは、良い態度ですが、実は結構楽していることだと思います。「人生我以外皆師」などという美辞麗句があるように恰好良いように思えて、少なくとも講義を受けるという形を取るのであれば、非常に楽なんですよね。先生が、板書をして、それについて説明してくれる。これは学ぶ側からするとものすごく楽なんですよね。 言ってしまえば、テレビで池上彰の特番(シナリオを書いているのは別人であるにしろ)を夕食でも食べながら眺めているのと変わらないような楽さがあります。そして、実際、池上彰に限らずNHKなりNHK教育なりの教養番組などを観ると「へえ。そうだったんだ。」とか「そういうこととは知らなかったな」と学ぶことができます。では、もう学びはしなくても良いのかというと、私はそうは思えないのです。もちろん、リカレント教育だとかそういうことが重視されるご時世ではありますが、リカレント教育だとリスキリングというのは、結局は、仕事に活かすために学ぶということであるわけで、極端に喩えれば自動車教習所で車の運転の仕方を習って免許を取るようなものです。 もちろん、車を運転することも大切ですし、仕事のために学ぶというのも大切だと思います。ただ、自分が、学生時代に学んでいて感じていたのは、窮屈さや押しつけがましさを教師に感じることは多々ありましたが、面白いと思った時やその感動というのは、決して将来の仕事にこれは活きてくるぞ、と思ったからではなく、純粋に知的好奇心が刺戟されたからでした。そこで、やはり大切なのは、受動的な学習や自分好みの趣味の領域を超えない読書ではなく、独学であると思うようになりました。独学は不効率であるので、もう一度大学院ではなく、学部生でもやり直すかというのも人によってはありなのかもしれませんが、私は自分で自分の専門領域などに拘らず、諸々の学を学びたいと思っています。
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