日本史講義 秀吉の天下統一と桃山文化
秀吉の天下統一
全国統一をめざす秀吉は、1585(天正13)年に長宗我部元親を降伏させて四国を平定し、1587(天正15)年には、九州の大半を領地としていた島津義久を従えた。また、この間に、秀吉は、関白・太政大臣になり、朝廷から「豊臣」の姓を与えられるなどして、その権勢を強めた。そして、1590(天正18)年には、関東の大部分を領有していた小田原の北条氏を滅ぼし(小田原攻め)、さらに伊達政宗ら東北の諸大名をことごとく服従させて全国統一を成し遂げた。 そして、1588(天正16)年には、京都の聚楽第に後陽成天皇を迎え、その機会に諸大名に秀吉への忠誠を誓わせるなど、自らの武力と朝廷の権威を背景に諸大名を圧倒した。
検地と刀狩
秀吉は、征服地の拡大とともに新領土を家臣に分け与えたが、蔵入地と呼ばれる秀吉の直轄領は約200万石余におよんだ。さらに、京都・大阪・堺・伏見・長崎などの重要都市を直轄にするなどして財政的基盤を固めた。主要な街道を整備したり、天正大判などの貨幣を鋳造したりもした。
武蔵野個別指導塾
【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |