共通テストで満点を取る政治経済(大学入試や高校入試対策)(7)

第1編 第2章 現代の国際政治と日本

④安全保障と日本の防衛

ポイント

  • 日米安全保障協力とは,どのようなものだろうか。
  • 総合安全保障政策とは,どのような考え方だろうか。
  • 国際平和のために,日本はどのような貢献ができるだろうか。

日本の安全保障政策

1951年のサンフランシスコ平和条約の締結によって主権を回復した日本は,同時にアメリカとの間で締結した日米安全保障条約(1960年に改定)の下で,アメリカと協力する政策をとってきた。その間,自衛隊は「限定的かつ小規模な侵略に原則として独力で対処する」という方針の下で,専守防衛の基本姿勢でのぞんできた。この日本の安全保障政策の基本は,冷戦終結後の現在も堅持されている。

しかし,アメリカ経済の衰退と日本の経済力の増大にともない,国際安全保障を維持するための経費負担を日本に求める声が年々高まった。1978年,日米両政府は「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」に合意し,米軍と自衛隊が,作戦分担などの計画を共同で立てることを決めた。その後,冷戦終結にともない,アジアでも駐留アメリカ軍が削減されつつある。しかし,日本では沖縄を中心に米軍基地が残されている。

このような状況の中で,1996年に日米安全保障体制の役割を改めて確認した日米安全保障共同宣言が出された。1997年にガイドラインの見直し(新ガイドライン)がおこなわれた。その結果,1999年にいわゆる「周辺事態法」が成立し,日本周辺で発生する有事に際して,自衛隊がアメリカの軍事行動を積極的に支援することになった。また,2003年には他国から武力攻撃を受けた際の対応を定めた有事関連3法が成立し,さらに,2004年には国民保護法など有事関連7法が成立した。

総合安全保障

各国の安全保障政策は,多くの場合,軍事的な視点から形成されてきた。この視点に修正を加えるきっかけとなったのが,1973年の第1次石油危機である。これを契機に,日本でも資源安全保障やエネルギー安全保障の観点が安全保障政策に組みこまれることになった。その後,日本の安全保障政策は,対象を軍事的な分野に限定せず,外交・経済援助・文化交流・人的交流などの分野にまで広げ,総合的な視野から日本の安全保障を確保するとともに,国際紛争の芽を積極的につみとっていくことを目的とした「総合安全保障」の理念が掲げられるようになった。

私たちは,一国の安全保障はつねに他国の安全保障との関係で決まるという視点を忘れてはならない。

国際平和と日本

日本は1956年に国連加盟を果たし,その翌年に発表した外交三原則(①自由主義国との協調,②国連中心主義,③アジアの一員としての立場を堅持)の下で外交を展開してきた。また,1967年以来,武器輸出三原則の下で武器の輸出を厳しく規制し,国際紛争の防止に貢献してきた。冷戦の終結後,軍事的にはソ連の崩壊によってアメリカが唯一の超大国となった。しかし,経済的には,アメリカ一国だけで国際秩序を維持していくことがむずかしくなっている。また,世界各地で民族や宗教の対立から地域紛争が続発しており,世界は新しい国際秩序を模索している。

したがって,地域紛争やテロ活動などの問題を解決し,恒久平和を確立するために,日本は,憲法の平和主義と国際協調主義,基本的人権の尊重の理念にそって,経済援助や平和外交などに積極的にかかわっていくことが大切である。

【注】

有事関連7法 日本有事の際に国民の安全を確保するための国民保護法をはじめ,米軍行動円滑化法,国際人道法違反処罰法など7法からなる。そのほか,大規模なテロや大災害を対象とする緊急事態基本法の成立を求める声もある。

武器輸出三原則 1967年に,①共産圏,②国連決議で武器の輸出を禁止されている国,③紛争当事国への武器輸出を認めないという姿勢を明らかにした。さらに,1976年に,①三原則の対象地域については武器輸出を認めない,②三原則の対象地域以外の地域についても武器輸出を慎む,③武器製造関連設備の輸出については武器に準じて取り扱う,という内容の新三原則が打ち出された。2004年にアメリカに対して制限をゆるめた。

⑤国際政治の特質と国際紛争・難民問題

ポイント

  • 国際政治の特質は何だろうか。
  • 国際紛争は,なぜ発生するのだろうか。
  • 難民問題を解決するためには,どうすればよいのだろうか。

国際政治の特質

国内社会では,利害対立を調整するために法律が制定され,裁判所や警察などが日常生活の中で機能する。しかし,国際社会では強制力をもった機関が日常的に存在しない。そして,国際社会には世界を統治する権力がない。そのため,国際政治の場では,大国の意思が通りやすい傾向がある。

国際紛争の諸要因

国際紛争はさまざまな要因が複雑に絡みあい起こることが多いが,大別すると次の三つがあげられる。

第一は,政治的要因である。各国は自国の安全・繁栄という国益を追求しながら,国際関係を維持してきた。他国との利害の対立を調整し平和を維持するために,集団的安全保障という考え方が生まれた。しかし,国際政治の場では軍事大国の意思が通りやすく,軍縮や武器輸出の制限は困難な課題であった。

第二は,経済的要因である。各国間の経済的諸条件の違いによって,国際社会の中に豊かな国と貧しい国ができ,これが国際紛争の要因となった。領土・資源・市場の獲得をめぐって引き起こされた紛争も多い。

第三は,社会的・文化的要因である。国際社会には,人種・民族・言語・宗教などを異にする多くの国家が存在する。その異質な社会・文化に対する相互理解を欠く場合には,国際紛争に発展することもある。人種差別や宗教をめぐる対立,イデオロギーの対立などはこの例である。

国際紛争はさまざまな要因によって起きている。たとえば,パレスチナ問題がある。パレスチナでは,ユダヤ人とパレスチナ人との対立が続いており,イスラエルとアラブ諸国の間で4次にわたる戦争(中東戦争)がおこなわれた。そして,400万人以上のパレスチナ難民が発生した。1993年にはイスラエルとパレスチナ解放機構(PLO)との間で暫定自治協定が結ばれ,和平への期待が高まった。しかし,その後もパレスチナ過激派によるテロや,イスラエルによるパレスチナ自治政府に対する攻撃はおさまっていない。

現在の国際社会は,対立と調和が繰り返される複雑な利害関係の中で進展してきた。2001年9月にはアメリカで同時多発テロ事件が発生し,国際的テロ組織との戦いという新たな戦争も起こった。国連を中心に,これらの問題に対処するためのさまざまな努力が進められている。

人種・民族問題の背景

世界には,異なる人種や数多くの民族が独自の言語,宗教,文化をもって生活している。そして,おたがいが交流することにより,豊かな文明や文化を築きあげてきた。しかし一方では,政治単位としての国家と人種や民族の居住する地域とが,一致しない場合がある。その場合に,人種や民族間で,生活や文化の違いや経済的格差から,誤解や偏見をもつようになって,しばしば紛争に発展することもある。

人種対立をめぐる問題は,アメリカの白人による黒人への差別,南ア共和国の黒人に対する人種隔離政策(アパルトヘイト,1991年廃止)などにみられた。両国とも白人による黒人への差別の構図がみられたが,その後,人権擁護の国際世論などもあり,かなり改善されている。

人種や民族をめぐる問題は,人間の基本的人権にかかわる宗教や生き方の問題である。冷戦終結後,「資本主義」対「社会主義」というイデオロギー対立に代わって,人種・民族問題が噴出するようになった。人種・民族問題の解決には,エスノセントリズム(自民族中心主義)を克服し,異なる文化や価値観を認めあい,おたがいに寛容な態度をもつことによって,はじめてその糸口を見いだせることになる。

難民問題

人種・民族問題などにより,世界には多くの難民が苦しい生活を送っている。祖国を追われて隣国や他国に避難する難民が,戦争や紛争が起こるたびに増加している。

難民とは,戦争や紛争のため,あるいは宗教・思想・政治的意見の相違などのため,外国に逃れ,本国の保護を受けられない人々のことをいい,亡命者も含まれる。ただし,国境をこえないで国内にとどまっている人々は国内避難民とよばれ,難民とは区別される。

1951年,難民の国際的保護と難民問題の解決のために,難民条約が採択された。また,この条約を補充するため,「難民の地位に関する議定書(難民議定書)」が作成された。しかし,経済的理由によって祖国を離れた人々や国内避難民は,保護と救済の対象外とされているため,今後の課題となっている。このような中で,難民に対する保護活動をおこなう国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に対する期待は大きい。

1970年代,インドシナ難民の受け入れに消極的だった日本は,国際社会から非難を浴びた。そこで日本は,1981年に難民条約に加入し,翌年,難民議定書に批准した。現在,おもにアジア地域から,一定の条件を備えている者の受け入れや定住を認めている。

【注】

インドシナ難民 ベトナム・ラオス・カンボジアからの難民をいう。当初,日本はこれらの難民に対して一時的な滞在しか認めなかったが,その後,受け入れ枠を設けて,その範囲内での定住を認めた。受け入れ枠は,現在では撤廃されている。

⑥国際平和と日本の役割

ポイント

  • なぜ人類は核兵器を開発し保有するようになったのだろうか。
  • 核兵器を廃絶するために,どのような努力がなされてきたのだろうか。
  • 国益をこえた発想が必要な理由と,日本ができる国際協力について考えよう。

核兵器の開発と軍拡

1945年8月6日に広島,9日に長崎に相次いで投下された原子爆弾は,合計20万人をこえる死者を出し,今もなお,放射能による後遺症が被爆者を苦しめている。しかし,東西両陣営の対立の中で,核兵器は質・量の両面において開発が進められた。1952年に水素爆弾がつくられ,1957年には米ソとも大陸間弾道ミサイル(ICBM)を開発し,地球上のどこへでも核攻撃ができるようになった。そして,米ソだけでなく,イギリス,フランス,中国も核兵器を保有するようになった。

1962年のキューバ危機では,米ソ両国が核戦争の瀬戸際に追いこまれた。その反省から,米ソ首脳を連絡回線で結ぶホットラインが設けられ,米ソ関係は緊張緩和に向けて動き出した。しかし,その後も米ソ両国は,相手国の核兵器攻撃に備えるために兵器を開発し,全人類を何度も殺傷できるほどの大量の核兵器を保有するようになった。

核廃絶への努力

核保有国は,侵略されれば核兵器で報復するという意思を示すことで,他国からの攻撃を防ぐことができるという核抑止論の考え方に立っている。それは,際限ない核軍拡競争を引き起こした。

アメリカ・ソ連・イギリスは,1963年に部分的核実験禁止条約(PTBT),1968年には核兵器拡散防止条約(NPT)に調印した。さらに1969年,米ソ間で戦略兵器制限交渉(SALT)が開始され,合意に達した。しかし,SALTも,核兵器の上限を規制するのみで核兵器を削減するものではなかった。また,SALT対象外の兵器の開発は続けられた。

こうした流れの一方で,国連では1978年に最初の国連軍縮特別総会が開かれ,核兵器の廃絶を軍縮の最優先課題とすべきことを確認した。この背景には,国連の努力,非同盟諸国首脳会議によるはたらきかけ,NGO(非政府組織)の活動など,世界平和を望む多くの人々の運動があった。1985年,ソ連にゴルバチョフ政権が成立したことにより,世界ははじめて核軍縮の方向に向かい,米ソは1987年に中距離核戦力(INF)全廃条約,1991年に戦略兵器削減条約(START―I),1993年にSTART―Ⅱに調印した。1996年には,地下核実験を含むすべての核爆発実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)が国連で採択された。なお,米ロは2002年に戦略核兵器削減条約(モスクワ条約)に調印した。一方,アメリカはミサイル防衛(MD)構想を進めている。

国益をこえて

現在,人類は環境破壊,資源の乱開発,人口爆発,エイズ(AIDS)など,人類の生存そのものにかかわる新しい問題に直面している。原子力発電所の事故による放射能汚染は,国内の被曝問題だけではなく,地球全体の環境破壊問題でもある。熱帯林の大量伐採は,生態系を破壊し,世界の気候に大きな変化をもたらす。地球の温暖化は氷河を溶かし,海面上昇をもたらすため,南太平洋の海抜の低い島国では水没の危険にさらされている。これらの問題は,いずれも一国では解決できない。

みずからの繁栄を求めるため,各国は国益を追求するが,国益をこえて,人類全体の利益を考える必要が生まれてきた。国益のみを考えて権力闘争を繰り広げることを改め,より普遍的な「地球市民」として共に生きること(共生)が求められるようになってきた。

人類の平和と福祉に向けて

かつてアジア・太平洋地域を侵略し大きな被害を与えた日本は,軍事大国化の懸念を取りはらって平和国家としての理念を明確にし,その理解を得るための外交努力を積み重ねることが必要である。その意味で,第二次世界大戦中に日本が引き起こした戦後補償をめぐる問題などに,真剣に応えていかなければならない。

これまでの国際社会は,国家を中心に考えられてきた。しかし,今日,一人ひとりの人間を安全保障の対象として考えることや,NGOの役割などを重視することが求められるようになった。とりわけ国連開発計画(UNDP)が,1994年に『人間開発報告書』の中で「人間の安全保障」を提唱し,病気,飢餓,犯罪,環境汚染,人権侵害などから,人間を守ることこそが,新しい安全保障でなければならない,との考えを打ち出している。また,国際赤十字,アムネスティ・インターナショナルなどの国連NGOが,国際社会の中で大きな役割を果たしている。日本は,先進国として,また唯一の被爆国として,世界平和へ向けた活動が期待される。

【注】

戦略核兵器削減条約(モスクワ条約) 2002年5月に署名し,翌年発効した。この条約により,米ロ両国は,2012年までに戦略核弾頭を1,700~2,200に削減することを約束した。その結果,START-Ⅱは効力を失った。

戦後補償 戦後補償をめぐる問題の一つに従軍慰安婦問題がある。戦時中,中国・朝鮮・東南アジアなど日本が侵略した地域で,多数の女性が強制的に連行された。日本軍将校・兵士は,彼女たちを辱め,耐え難い苦痛を与えた。この問題に対して,国家間での補償は解決済みとする日本政府は,1993年公式に謝罪した。しかし,国内外からは,日本のこうした対応を厳しく批判する声があがっている。

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【監修者】 宮川涼
プロフィール 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。

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早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。
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