【総合型選抜で勝ち取るための秘訣】
01 総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)の本質とは?
本質を考えるために、大学が、なぜ総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)という試験を採用しているのか考えてみましょう。普通にいわゆる学科の学力の高い生徒(大学生になれば学生ですが)を募集したいのであれば、通常通り学科試験を課すなり、独立行政法人「大学入試センター」が制作している共通テストを課せばいいわけです。
たとえば、共通テストの問題作成には、約430人の問題作成委員と約180人の点検委員が携わっており、毎年約600人が問題作成に関わっており、確かに時折ミスを犯すこともありますが、少なくとも日本国内において、これ以上丁寧かつよく考えこまれて作られている大学入試試験は存在しません。
そうであるならば、この共通テストを課せば、かなり公平で、効率的に、学科の学力が高い生徒を大学側は選ぶことができるわけです。もちろん、大学によっては自校の校風や文化を大切にして、独自の試験を課す場合や、いくら共通テストが念入りに作られているといってもマークテスト方式であることから、記述力・論述力を確認したいということで、国立大学でも前期試験・後期試験、私立大学では独自試験が課せられる場合が多いです。だとしても、それらの試験を課すのは、あくまでも、いわゆる学力を推し量る試験となっています。
それであるならば、なぜ昨今、多くの大学が、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)といった試験制度を導入し、さらにその入学枠を増やしているのでしょうか。早速、どういう背景があるのか文科省の資料をみてみましょう。こちらです(ここをクリックしてください。)。
スクリーンショットを使っているので、実際は、上記リンクからご覧になってほしいですが、大学全体では、85.6%の大学が、総合型選抜試験を導入していますね。内訳としても、国立大学では、78%が総合型選抜試験を導入しており、私立大学では、なんと93.4%が総合型選抜試験を導入しています。かなり割合が高いですね。ちなみに、文科省では、ゆくゆくは100%導入していきたい意向を持っているといわれています。さらに言えば、大学入試制度改革において、文科省では「AO入試・推薦入試において、小論文、プレゼンテーション、教科・科目に係るテスト、共通テスト等のうち、いずれかの活用を必須化。」(文部科学省「大学入試改革の状況について」)したいとはっきりと記しています。
その目的というのは、「主として、入学希望者が自ら表現する能力・適性、学習意欲、目的意識等を評価することに重点を置きつつ、入学希望者を多面的・総合的に評価」したいということです。ちなみに、なぜ学科試験ではなく、こうした定性的な評価で選抜しようとするのには、明確な理由と根拠も実はあります。そもそも、こうした大学入試制度や教育政策というのを課すにはその政策が有効であるかどうか検証したりしなければなりませんし、実際有効あるいは効果的でなければ辞めなければなりません。特にその有効性は国家施策として、経済効果をはじめ、様々な観点から検証していく必要があります。
それに対して、従来は、教育政策がどれほど有効であり、効果的なのか、あまり日本政府は考えてきませんでした。そんな中、米国で、教育経済学という心理学と経済学と教育学をミックスしたような学問で、いわゆる旧「センター試験」であるとか私学の「マークテスト」試験であるとか、国立でも私立でも課すような知識を問う問題自体がそもそもあまり国家政策的に有効ではないという研究成果が多く発表されるようになりました。このことについては中室牧子さんの『学力の経済学』という本に詳しく書かれていますので、もしご興味あればご一読ください。
とはいえ、実際に本を買って読むのも面倒かと思いますので、一言で説明すると、(1)大学を中退せずにきちんと卒業する学生、(2)大学を卒業後、きちんとした定職に就く学生、(3)大学を卒業後犯罪行為を行わない、という簡単にこの三つの観点から、圧倒的に知識を問う学科試験で優秀な生徒より、いわゆる総合型選抜試験のような「主として、入学希望者が自ら表現する能力・適性、学習意欲、目的意識等を評価することに重点を置きつつ、入学希望者を多面的・総合的に評価」で大学の入学者を選抜することが最も効果が高いということが実証されてしまったのです。
つまり、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)という試験は、国家による教育政策として、非常に効果的な施策であり、入試制度であるというわけです。そういうわけで、昨今、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)という試験がどんどんと多くの大学で取り入れられ、さらにその定員枠も増えているわけですね。したがって、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)という試験の本質というのは、大学を中退せず学業に専念し、将来きちんと定職を持って働き、犯罪を犯さない学生こそ採用したいという、当たり前といった理由に基づくものであるわけです。
とはいえ、こうしたある意味保守的な側面ばかりではありません。こちらに詳しい文科省の資料がありますが、リンクだけ貼っておきます(文部科学省「国・中央教育審議会における検」)令和5年11月)が、簡単に説明します。現代社会において、少し前には新型コロナウイルス感染症が流行し、よくも悪くもトランプ大統領が再び大統領になったことから2025年あたりに停戦するかもしれませんが、ロシアのウクライナ侵略による国際情勢の不安定化といった国際社会への不安、そしてこれは、仮にこれらの問題が解決しても、VUCAの時代(変動性、不確実性、複雑性、曖昧性)と評されるように、多種多様な社会問題が頻出しています。たとえば、日本においては少子化・人口減少や高齢化はかなり深刻な問題ですし、経済を中心としたグローバル化やDXの進展、ChatGPTなどで話題になったAI・ロボット、そして、地球環境問題としてのグリーン(脱炭素)・共生社会・社会的包摂・精神的豊かさの重視(ウェルビーイング)といった問題が山積しております。
こうした問題に取り組むにあたって、必要な能力は何でしょうか。それが、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)という試験の本当の意味での本質的意義であるかもしれませんが、「予測困難なグローバル社会において、勝ち抜く力を持った人材」を欲しいというわけです。
文科省の資料にはこう書かれています。
将来の予測が困難な時代において、未来に向けて自らが社会の創り手となり、課題解決などを通じて、持続可能な社会を維持・発展させていく・社会課題の解決を、経済成長と結び付けてイノベーションにつなげる取組や、一人一人の生産性向上等による、活力ある社会の実現に向けて「人への投資」が必要・Society5.0で活躍する、主体性、リーダーシップ、創造力、課題発見・解決力、論理的思考力、表現力、チームワークなどを備えた人材の育成。
このように考えれば、Googleで小学生でも難しい知識を5秒で検索して調べることができる時代に知識を問うことはあまり意味がありませんし、ChatGPTなどのAIを使えば、小説家のように美しい文章を書くことだってできる時代に記述力を問うてもその意義はかなり低下しているといわざるを得ないでしょう。2024年2月に話題になりましたが、第170回芥川賞を受賞した九段理江さんの『東京都同情塔』(新潮社)はChatGPTを使ったということで話題になりましたね。もちろん、ChatGPTが全部を書いたわけではないですが、人間が一人で書くよりは、こうしたAIを上手に使っていく力の方が大事な時代になってきているのかもしれません。これらのことは、知識や文章に限らず、非常に人間の感性に依存するようなアートの世界でもAIが石鹸しています。これも、絵画、写真など、いくらでも事例があるので調べてみてください。
こうなってくると、従来型の学科試験を課しても現代社会において優秀な人材は輩出できそうにないのはもはや明らかになってきているといって過言はないと思います。そこで、文科省にしろ、大学機関にしろ、これからの時代は、AIを使いこなせるような最先端のテクノロジーに積極的にかかわっていく主体性やそうしたテクノロジーを使って社会の問題を解決し、イノベーションを起こすような創造力や課題発見力、そして何よりも、他者へ共感し、理解したうえで、周りを巻き込んで引っ張っていくようなリーダシップ力を求めているわけです。そして、こうした能力を推し量るには、知識偏重の試験ではなく、小論文であったり、高校の内申点であったり、そして何よりも面接やプレゼンテーションやグループディスカッションであるわけです。
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02 どうすれば総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)に合格できるのか
それでは、どうすれば、今後ますます増加し、重視されてくる総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)といった試験に合格することができるのでしょうか。それは試験要綱をみれば大体どこでも同じことが求められているように、以下の5つのものが、合格のために必要になってきます。
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英検(あるいは他の英語試験。たとえば、TOEIC、TOFLE、IELTSなど)の合格証あるいはスコア
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志望理由書や活動報告書
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課題小論文や試験での小論文
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グループディスカッションや面接、あるいはプレゼンテーション
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調査票や推薦書
5については、それを重視しない大学も多いですし、自己推薦や学校推薦型ではない限り、必須ということはないですが、1~4については必須といって間違いないでしょう。では、これらの5つのものが同等に評価されるかというとそうではありません。学校推薦型や自己推薦、あるいは指定校などでは、まず5のいわゆる内申点が最低でも5段階評価で3.5程度ないとそもそもそこではじかれてしまいます。総合型選抜試験でも同じようなことを課している大学も存在しています。しかし、これはあくまでも共通テストの足切りのようなもので、入試選抜の配点には殆ど考慮されないか、まったく考慮されない場合が多いです。そして、1の英検も、これと似たような感じです。英検準1級以上であるとか、CSEスコア2350点以上とか、そういう形でこれも足切りに使われるわけですね。また、志望理由書も一次試験などで書類審査を課すことがありますが、これも事実上足切り試験のようなものです。ちなみに、武蔵野個別指導塾では英検対策はもちろん、学校の内申点対策、志望理由書の作成サポートも承っておりますので、気になる方はご相談くださいませ。
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では、何が総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)という試験で重視されてくるかというと、3と4です。つまり、課題小論文を提出する場合は、それを提出したうえで、面接やグループディスカッションでどこまで話せるかということであったり、当日小論文の試験を課して、同日にその小論文で出た内容などを同じく、面接やグループディスカッションなどで話したり、小論文で問われた内容と類する問題について話し合うということがあります。また、小論文の試験を課さず、志望理由書に基づいて、面接やグループディスカッションを課す場合も少なくありません。他には、事前にプレゼンのお題を出して、試験でプレゼンテーションを発表させ質疑応答することもあります。つまり、いずれの形にせよ、「いかに話せるか?」を問うているわけです。
ここまで話を聞いて、「なんだ話せるかどうかなんて簡単じゃないか」と思われた方、少なくないと思います。それ大きな誤解です。もちろん、ただ話すというだけなら、それこそ小学生でもできます。しかし、当然、ただ話せば合格できるのであれば、そんな楽な話はありません。総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)で求められる「話せる力」というのは、傾聴する力、論理的に話す力、豊かな表現力、的確な課題発見力、他者との協調性や自分とは異なる意見や価値観への理解、こうした力をベースに、志望理由書などで当然書いてきた「大学で研究する研究計画」と、同じく志望理由書で一生懸命アピールした大学側が求めるアドミッションポリシーに共感した理由やその「アドミッションポリシーに基づいて大学で何をしたいか、そして社会にどう貢献できるか」を話さないといけないわけです。
時々、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)というのを、単なる自己紹介であるとか、三者面談くらいに誤解されている方がいますが。上述した通り、「大学という高等教育機関での研究計画」と「その研究によってどう社会貢献できるか」を、ロジカルに話しつつ、時には情熱をもって語れるか、話し合えるかという内容なのです。アリストテレス流にいえば、エートス、パトス、ロゴスによる説得が大切なわけですね。
ちなみに、話は思いっきり横道にそれますが、多くの方に誤解されておりますし、実際、ネットの記事などでは自称有識者の方が、アリストテレスは説得においてロゴス、パトス、エートスに基づいてすべきと書かれていますが(また、その中身の説明も間違っている場合が多いのですが)、正確にはアリストテレスの『弁論術』では「人柄によって(中略)信頼に値する人物と判断させるように言論」(いわゆるエートス的な主張で、簡単にいえば「真面目そうだな」とか「信頼できるな」という印象を与えること)、「聞き手を通して(中略)聞き手の心がある感情を抱くようになる〔ように言論する〕」(括弧内筆者に基づく加筆で、いわゆる相手の感情に訴え相手に良い感情を抱かせる話で、相手の気持ちを察し、推し量って相手の感情を良い感情に導く思いやった言動のこと)、そして、「言論そのものによって(中略)個々の問題に関する納得のゆく論にたって、そこから真なること、或いは真と見えることを証明する」ように話すといういわゆるロゴス的な話の3つの側面をバランスよく話していく必要があるわけです。
つまり、「真面目で信頼できそうに見えるような話し方ができること」、「相手の気持ちを推察し、想い図ることができる共感力や他者を配慮した話ができること」、「論理的な話し方」が必要なわけですね。しかも、それを高校の同級生やお父様やお母様などのご親族、あるいは一般の会社員に話すわけではありません。大学教員という学術研究のプロフェッショナル相手に、研究計画を話し合い、さらに、その研究計画を通じて、どのように社会貢献できるのか、建設的に話し合うことができなければならないわけです。どうでしょうか?簡単そうに感じますでしょうか?
どうしても、学科試験がないことから、一般的には、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)は簡単だ、自分(高校生)ひとりで対策できる、高校の先生相談すればいい、という程度の認識で考えている方が多いのですが、これまでの話を聞いただけでも決して簡単なものではないことが既にお判りいただけているのではないでしょうか。また、高校の教員の方を軽く見ているのではなく、高校の教員の方は、ご自分の教科の指導やテスト作成、採点や補修、そして部活動の顧問、保護者対応、学校行事など多忙です。学校教員の労働環境について昨今、社会問題にもなっていますが、とてもではありませんが、こうした専門的な対策を高校の教員が教えることやアドバイスすることは難しいと言わざるをえません。また、当然、高校生ひとりでできるものではありません。
それと、これは学習塾や予備校、受験産業への批判的言論になってしまうかと思いますが、大学で少なくとも修士課程まで修了し、できれば博士課程に進学したり、大学という教育機関で研究者として携わったり、あるいはその反対に、実務のビジネスの世界で、金融機関やVCファンドと渡り合ったとか、困難な営業先などで関係を強化したり大きなクライアントを新規開拓してきたといった様々なビジネスの世界での豊富な経験がなければ難しいレベルであるのですが、学習塾や予備校、受験産業で、そのような経験を積んできたはほとんどいないのではないでしょうか。よく「早慶専門」とか「GMARCH専門」あるいは「東大専門」といったうたい文句の学習塾がありますが、こうした塾で教えている講師は確かに従来の学科型の数学だとか英語を教えるのは得意ですが、アカデミックな経験であったりビジネス実務での経験は全くないという方がほとんどです。そして、学歴自体は確かに立派な学歴であるケースもあるかと思いますが、大体は学部卒でしかなかったり、さらには社会人としての経験が学習塾でしかなかったりします。
これでは、大学教員という学術研究のプロフェッショナル相手に、研究計画を話し合い、さらに、その研究計画を通じて、どのように社会貢献できるのか、建設的に話し合うこと将来の予測が困難な時代において、未来に向けて自らが社会の創り手となり、課題解決などを通じて、持続可能な社会を維持・発展させていく・社会課題の解決を、経済成長と結び付けてイノベーションにつなげる取組や、一人一人の生産性向上等による、活力ある社会の実現に向けて「人への投資」が必要・Society5.0で活躍する、主体性、リーダーシップ、創造力、課題発見・解決力、論理的思考力、表現力、チームワークなどを備えた人材の育成することを推し量る話し合いを、どうすればいいのか指導することはできない、と少し厳しい意見かもしれませんが、言わざるを得ないと思います。
これは完全に手前味噌になってしまいますし、当然当塾の宣伝になってしまうので、これは「まあ、そういう塾もあるのね」だとか「そういう見方もあるよね」程度に聞いてほしいですが、武蔵野個別指導塾では、元大学教員や博士課程中退後、ビジネスの前線で経験値を積んできたプロ講師が、総合型選抜・学校推薦型選抜・自己推薦(公募制)について、マンツーマンで生徒と膝を突き合わせて、本番同様に、時には個室を借りて徹底的に訓練します。ぜひ、ご興味ある方は、まずはお問い合わせくださいませ。この後、次の記事では、それでは、具体的にどういったポイントに気を付ければいいのか、また、どういうことを準備しておく必要があるのかについて解説したいと思います。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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