私大や国公立前期試験で8割取るための世界史~大学受験・高校受験・中学受験にも役立つ(6)
第2章 アジア・アメリカの古代文明
4 南北アメリカ文明
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中央・南アメリカの風土と人々
アメリカ大陸は北極圏から南極圏にいたる大陸であり,南北両大陸とも,その西側にアンデス山脈とロッキー山脈がそびえたっており,赤道直下の熱帯から寒帯まで多様な自然環境にある。
アメリカ大陸へは,ベーリング海峡がアジアとまだ地続きであった氷期に,モンゴロイド(黄色人種)系と思われる人々が渡来し定着した。彼らは南北に長い大陸の各地で環境に適応していったが,メソアメリカ(現在のメキシコと中央アメリカ)や南アメリカのアンデス地帯では,トウモロコシやジャガイモなどを栽培する農耕文化が発展し,高度な都市文明をきずいた。
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マヤ・アステカ文明とインカ文明
中央アメリカでは,前1200年ころまでにオルメカ文明がメキシコ湾岸で成立し,周辺地域に影響をあたえた。オルメカ文明は、メソアメリカ文明の最初の都市文明で、大神殿や巨石人頭像などの巨大な石造建造物を残している。彼らは大型肉食獣のジャガーを雨と豊穣をもたらす神として信仰し、その文化のシンボルとした。また絵文字の使用やゼロの概念を用いた計算と、精緻な暦法を使っていたといわれ、後のテオティワカン文明、マヤ文明に大きな影響を与えた。
前1世紀にはメキシコ高原でテオティワカン文明がうまれ,交易で繁栄した。「太陽のピラミッド」と「月のピラミッド」として知られる大石造建造物を残している。「太陽のピラミッド」などの神殿がたちならぶ街は,彼らの暦にもとづいて設計・建築された計画都市であった。
ユカタン半島では前1000年ころから16世紀にかけてマヤ文明が展開して,4世紀から9世紀に繁栄期を迎えた。マヤ人は高度な都市文明を形成し、神殿・ピラミッドを建築、20進法、精密な暦法、絵文字などを持ち、天体観測を行っていた。これが古典期のマヤ文明であるが、10世紀 メキシコ高原からトルテカの勢力が進出したことによって衰退した。その後も14世紀頃にはチチメカ人の民族移動があり、マヤ文明の独自性は薄れたが、世界遺産のチチェン=イツァのピラミッド型神殿の建築などが行われた。
また,アステカ人が北方からメキシコ高原に移動し,14世紀にはテノチティトラン(現在のメキシコシティ)を首都とする王国をつくった。アステカ文明もピラミッド状の神殿や絵文字をもち,神権政治がおこなわれていた。
他方,アンデス高地では,前1000年ころ北部にチャビン文化が成立して以降,さまざまな王国があらわれた。15世紀なかばには現在のコロンビア南部からチリにおよぶ広大なインカ帝国が,ペルーのクスコを都として成立した。太陽の化身である国王(インカ)は,広大な領土を支配するために,道路をつくり駅に飛脚をおいて通信網を整備した。けわしい山岳地帯につくられたマチュ=ピチュの遺跡が示すように,人々は灌漑施設をもつ段々畑などで農業をおこなっていた。文字はもたなかったが,縄の結び方で情報を伝えるキープ(結縄)によって記録を残した。
これら南北アメリカ文明はユーラシア大陸の文明との交流がほとんどなかったが,ジャガイモ、トウモロコシ、サツマイモ、トマト、トウガラシ、カボチャ、落花生などの農作物、タバコ、コカ、カカオなどの薬草、嗜好品の原料となった植物である。アメリカ大陸の物産は大航海時代以降,ヨーロッパに伝わり,世界の食生活に大きな影響をあたえた。また石造建築術をもっていたが,鉄器や車輪はもちいなかった。火器をもたず,大型家畜(牛・馬)がいなかったことは,16世紀にスペイン人が進出してきたときに軍事的に不利な要因となった。
【地図・図版】
▼アメリカの古代文明とおもな遺跡
赤道直下の南米大陸は高温多湿な地域が多く,人間が快適に生活できるのは高地であった。その地に文明をきずいた人々は,雨を有効活用する農法や土地の開発をおこなった。各都市は道路網で連結されたが,傾斜のきつい地形のため,車輪ではなく人間が走るほうが効率的であったと想定される。
▼巨石人頭像
オルメカ文明の宗教遺跡で発見された石像。高さ2.85m。
▼アステカのカレンダー「太陽の石」
アステカ時代に暦としてもちいられていた一枚岩の遺物。直径3.57m。中央・南アメリカ文明では天文学が発達し,精巧なカレンダーが使用されていた。
▼マヤの神殿
メキシコのチチェン=イツァにある,ククルカンという神を祀るピラミッド状の神殿。1年に2回,階段部分に光と影による蛇状の模様ができる。チチェン=イツァーの「いけにえの泉」は石灰質のユカタンの地表が陥没して、そこに地下水がたまったもので、経約66m、高さ20mの垂直の断崖に囲まれている。水は周囲の緑を映して青く深い。マヤ人は干ばつの年に、人間を生きながらこの泉に投げ込んで神に捧げ、そのいけにえはけして死なないと信じていた。あるいは金や銀の財宝を泉に投げ込み降雨を祈ったという。
▼マチュ=ピチュ
標高約2400mにあるインカ帝国の遺跡。山岳の斜面を利用した段々畑による農業が,人口をささえた。1911年にアメリカ人のビンガムによって発見され、世界に知られた。おそらく平時の都市ではなく、スペイン人の侵入の時期に避難地域としてつくられたのではないか、と思われる。それにしても急峻な山地に、神殿や住居、墓域などが設けられ、周辺には多くの段々畑が見られ、インカの技術の高さを知ることができる。スペイン人の侵入を免れた後に放置されたため、15~16世紀の建造当時のそのままで伝えられ、世界遺産となっている。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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