私大や国公立前期試験で8割取るための世界史~大学受験・高校受験・中学受験にも役立つ(9)
第4章 イスラーム世界の形成と発展
1 イスラーム帝国の成立
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イスラーム教の誕生
大部分が砂漠であるアラビア半島では,アラブ人がオアシスを中心に農業や隊商交易などで生活していた。6世紀後半,ササン朝とビザンツ帝国の争いによって,従来の交易路である「オアシスの道」や「海の道」がおとろえ,アラビア半島西部をまわるルートが活用されるようになった。そのためこのルートの拠点としてメッカが繁栄するようになったが,メッカでは大商人が富裕化するとともに,貧富の差が拡大していった。
この町にうまれたムハンマドは,610年ころ唯一神アッラーのことばをさずけられた預言者であると自覚し,さまざまな偶像を崇拝する多神教を批判して,厳格な一神教であるイスラーム教をとなえた。しかしムハンマドは,富の独占に反対したことでメッカの大商人による迫害をうけ,622年メディナに移住して信徒の共同体であるウンマを建設した。この移住をヒジュラ(聖遷)という。
630年ムハンマドはメッカを征服し,カーバをイスラーム教の聖殿とした。その後アラブの諸部族はつぎつぎとムハンマドと盟約をかわして,アラビア半島はゆるやかに統一された。
ムハンマドの死後まとめられた聖典『コーラン』は,彼にくだされた神のことばを集めたもので,アラビア語でしるされている。後世のウラマー(学者)たちは,これをもとに教義をととのえ,信者のまもるべき規範などを六信五行①にまとめた。
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アラブ人の征服活動
ムハンマドの死後,イスラーム教徒(ムスリム)はウンマの指導者としてアブー=バクルをカリフ②に選出した。アラブ人はジハード(聖戦)と称して征服活動を開始して,ササン朝をほろぼし,シリアとエジプトをビザンツ帝国からうばった。しかし第4代カリフ③のアリーがイスラーム教徒内部の争いから暗殺されると,シリア総督のムアーウィヤが,661年ダマスクスにウマイヤ朝をひらいた。ウマイヤ朝は拡大を続け,北アフリカを征服してイベリア半島に進出し,さらにフランク王国までせめいった。一方アリー暗殺後,アリーとその子孫のみを後継者と認めるシーア派④が形成され,ウマイヤ朝と対立した。
ウマイヤ朝では,アラブ人が支配者集団として免税などの特権をあたえられていたが,一方で征服地の住民には地租(ハラージュ)と人頭税(ジズヤ)が課せられ,彼らがイスラーム教に改宗しても免除されることはなかった。しかし『コーラン』には信者は平等であると説かれているため,征服地の改宗者はウマイヤ朝に反発し,アラブ人のなかにもウマイヤ朝による支配を批判するものが出てきた。こうした不満が高まるなかアッバース家の革命運動が成功して,750年にアッバース朝がひらかれた。アッバース朝時代にはアラブ人の特権はしだいに失われ,イスラーム教徒であれば税制上は平等になり,政治はイスラーム法(シャリーア)にもとづいて実施されるようになった。このため,アッバース朝は「イスラーム帝国」ともよばれる。アッバース朝は第5代カリフのハールーン=アッラシードのときに黄金時代をむかえた。ティグリス川中流に建設された首都バグダードは,軍事・経済上の重要な地方につうじる四つの門をもち,駅伝制と交易路が整備された。
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イスラーム帝国の分裂
アッバース朝が成立すると,ウマイヤ朝の一族はイベリア半島にのがれ,756年後ウマイヤ朝をたてた。この王朝は首都コルドバを中心に高度なイスラーム文明をうみだした。
9世紀後半になると,アッバース朝の領土内にあるエジプトやイランで地方政権がつぎつぎと自立し,カリフの権限がおよぶ範囲はしだいに縮小した。
10世紀になるとシーア派の一派が北アフリカにファーティマ朝をたて,エジプトを征服して首都カイロを建設した。この王朝は建国当初からカリフの称号をもちいたため,後ウマイヤ朝の君主もカリフの称号をもちいるようになり,イスラーム世界は3人のカリフがならびたつ状態となった。そのうえイラン人のシーア派軍事政権ブワイフ朝が946年にバグダードを占領し,アッバース朝カリフにかわってイスラーム法を執行する権限をあたえられ,大アミール(司令官のなかの第一人者)に任じられた。こうしてイスラーム世界は文明圏としては拡大しつつも政治的には分裂するという状況となり,変革の時代がはじまることとなった。
①六信とは「アッラー・天使・コーラン・預言者・来世・定命」,五行とは「信仰告白・礼拝・断食・喜捨・巡礼」のことである。
②「預言者ムハンマドの後継者」という意味。
③第4代までのカリフを正統カリフ(632~661)という。
④シーア派に対し,多数派であるスンナ派は歴代カリフを認めている。
【人物コラム】
▼ムハンマド 570ころ~632
メッカの名門クライシュ族出身。隊商交易に従事したのち,大天使ガブリエルにあい,神の啓示をうけたという。『コーラン』では,彼を「最後の預言者」としている。彼の末娘のファーティマは,第4代カリフのアリーと結婚している。
▼ハールーン=アッラシード 763ころ~809
ビザンツ帝国に親征・勝利し,有利な条件で講和した。フランク王国のカール大帝との友好がフランク側の資料にはしるされている。『千夜一夜物語』にも登場し,「シンドバードの冒険」は彼の時代のできごととして語られている。
【地図・図版】
▼イスラーム教成立以前の西アジア
▼イスラーム世界の広がり
▼バグダードの円城
バグダードは,ティグリス川西岸に建設された三重の城壁をもつ円形の都市であった。
▼11世紀後半のイスラーム世界
【写真キャプション】
▼メッカのカーバ聖殿
メッカは,重要な交易路上にあるオアシス都市であり,アラブ人の信仰の中心でもあった。同地のカーバ聖殿には,ムハンマド出現以前にも年1回各部族が巡礼し,その期間は抗争しないという取決めをかわしていた。
▼イスラーム戦士
アラブ遊牧民のおきてとして,戦利品は一部を指導者に差し出し,残りを全員で平等に分配した。遠征が成功し占領地の住民が税を支払うようになると,それは年金として参加した兵士に分配された。
▲コルドバのモスク
コルドバのモスク(メスキータとよばれる)はイスラーム教のモスクであったが,現在はキリスト教の大聖堂になっている。柱は他の建物からもってきたため寸法があわず,天井との隙間をうめる工夫として,独特の二重アーチが採用された。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員。元MENSA会員。早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。一橋大学大学院にてイギリス史の研究も行っている。 |
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