日本の教育システムの限界
現代の日本の教育体制の原点とOECDにおける日本の学力
今の日本の教育体制は大きな問題を抱えています。その発端は、明治維新に遡ります。明治時代の日本は、欧米との国力差を埋めるために文明開化、富国強兵という旗印の下、欧米文化を学び、追いつき追い越せと国民の教育に勤めました。その後、第二次世界大戦後に工業国として経済大国となった日本では、一定の学力を備えた人材を一斉に育てて産業界に提供するという仕組みを作り上げていきました。これらの教育方針に一貫することは、欧米の学問を学び、それを画一的に国民へ浸透させることです。一人一人の個性を重視するのではなく、大量生産方式で効率よく一定以上のリテラシーを持った人間を算出すること。その一点に尽きるものでした。
この教育方針の特徴的なところは、どこか別の国、たとえばアメリカやイギリスやフランス、ドイツなどの国、つまり他の誰かが既に出している「正解」をいち早く覚え、再現するかということに重きを置いているということです。そうして一定の「答えがわかっている人材」をたくさん育てるために、全国どこでも同じような教育が受けられるよう「学習指導要領」が作られました。学校の先生たちは生徒一人ひとりに合わせた教育をするのではなく、全国一律に、いかえれば平等に、同じ教育を提供するというシステムの下、それを伝達する代理人となったわけです。
どのような教育システムにもメリットとデメリットがあるものですが、現在の日本の教育システムには、短期間で工業社会の即戦力となる労働者を養成するという意味では非常に効率がよく、実際日本の識字率は99%と非常に高く、教育ランキングの指標としても有名なOECD(Organisation for Economic Co-operation and Development:経済協力開発機構)による15歳児を対象にし、世界72ヵ国、生徒約54万人が参加するPISA(Programme for International Student Assessment)という読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3分野による調査結果でも長らくトップ10を維持していました。
残念ながら、最新の2018年の調査結果では、読解力が15位と前回8位からベスト10圏外にダウンしてしまったものの、数学的リテラシーでは6位、科学的リテラシーでは5位と高順位を維持しています。もちろん、この結果を日本の学力低下だと問題視する声も多いですし、とりわけ読解力の低下については文科省も今度学習指導要領などの改善などに取り組んでいく方針のようですが、それでも世界の平均識字率がいまだ86%であり、未だに読み書きができない人が7億7300万人もいて、学校にいけない子供たちが1億2100万人もいるという教育格差は忘れてはならないでしょう。
このように日本は明治維新後、欧米諸国に追いつき追い越せと国民に広く教育を浸透させてきました。その結果が、今日の日本の成長を支えたともいえるでしょう。しかし、国家施策としては一見成功しているかのように見える日本の教育システムではありますが、当然デメリットもあります。
デメリットというのは、先述したように欧米諸国を範としてどこかに正解があるものとしてそこに照準を合わせるという「正解主義」の問題です。どこかに正解があってそれを探しにいくという能力、いわば如何に速く精確に正解にたどり着くのかを競うという情報処理能力だけでは競争優位が保てない時代に変わりました。たとえば、センター試験の世界史(B)の過去問より次の問題を解いてみましょう。
政治的あるいは宗教的な権力は,国内の統治や諸国家間の関係に大きな影響を与えた。ヨーロッパや中国における王や皇帝あるいはローマ教皇の動向について述べた次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~9)に答えよ。
A 中世盛期のヨーロッパでは,ローマ教皇が,西方キリスト教世界の統合の象徴として,超国家的な権威を保持していた。しかし,各国君主との利害対立のなかで,その地位は必ずしも安泰ではなかった。確かに,11世紀後半から12世紀にかけてのいわゆる(1)叙任権闘争の結果,教皇は高い権威を獲得し,教会の中央集権化が図られた。しかしその一方で,各国君主が統治の集権化を進めると,(2)14世紀初めには,教皇・君主間に新たな対立が生じたし,それに続く教皇庁の移転と帰還,そして教会大分裂(シスマ)は,教皇の権威を揺るがしたとされる。教会大分裂は15世紀前半の【(3)】で一応の決着を見たが,この混乱期に各国の君主たちは,教会に強い影響力を行使するようになっていたのである。
問1 下線部(1)の闘争について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
(1) ビザンツ皇帝レオン3世が,聖像禁止令を出した。
(2) 教皇グレゴリウス7世が,神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門した。
(3) 教皇インノケンティウス3世が,カール大帝(シャルルマーニュ)に皇帝の冠を授けた。
(4) フランス王シャルル7世が,十字軍をイェルサレムに派遣した。
問2 下線部(2)の対立にかかわった君主について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
(1) ヘンリ2世が,マグナ=カルタ(大憲章)を承認した。
(2) フィリップ4世が,聖職者課税問題をめぐって教皇と対立した。
(3) カール5世が,イタリア戦争を起こした。
(4) イヴァン4世(雷帝)が,ツァーリを名乗り,専制支配を進めた。
問3 文章中の空欄【(3)】に入れる語として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。
(1) ニケーア公会議
(2) メルセン条約
(3) コンスタンツ公会議
(4) アウクスブルクの和議
こう問われたとして、それに答えるには、世界史を学んだことがない場合は、教科書を読み直すか社会や世界史の先生やその道の専門家にいちいち訊かなければなりませんでした。しかし、現代では、詳細に一つずつ検討するのは避けますが、Googleで検索すれば、二、三分で正解が、上から、(2)、(2)、(3)とものの数分で正解を見つけることができるはずです。ものの数分で正解がわかってしまうわけですね。
こうした時代にあってもはや知識を多く知っているということはあまり意味を持たないでしょう。その意味で、正解を知っているということはもはや何の優位性も持っていないということです。まったく世界史を知らない人でも、仮に世界史を習ってもいない中学生であっても、センター試験の問題に対して正解を調べることが可能なのですから、現代社会において、こうした「正解主義」で正解を求める力は人間ではなく、コンピュータが担う時代に変わってきたといえるでしょう。
成長社会から成熟社会へ
現代社会は、成長社会から成熟社会へ変貌したといわれることがあります。これまでは、センター試験のような問題のように、記憶力重視されていたのは、社会自体が成長社会だったからといえます。情報処理能力の高い人を選別するにはそれがもっとも効率的だったからです。
成長社会というのは、昭和を思い出してもらうとイメージが付きやすいかもしれません。今の若い世代の方には分からないかもしれませんが、昭和の3種の神器と言われたものを覚えておられる方は思い出してみてください。そう、冷蔵庫、洗濯機、テレビの三つの家電です。それも今のような電気冷蔵庫や全自動洗濯機やカラーの液晶テレビではありませんでした。冷蔵庫は、2ドアの木製の木の冷蔵庫の上の段に氷を入れ、下の段に冷蔵したいものを入れて保存するというかなり古めかしいもので、洗濯機は、槽内中央のかく絆棒が回っていました。人が手でかく動きを棒が代わりにしてくれていたわけですね。テレビは、白黒が当たり前でした。チャンネルを手で回したり、時には叩いたりして見ていたかと思います。
今こう聞くとびっくりされる方がいるかもしれませんが、当時はこれでも大変画期的なものでした。ただ、当然そこにはまだ不便さがたくさんありました。成長社会では、「冷蔵庫の氷を取り換えるのが大変だ」「洗濯機がよく回らない」「テレビの映りが悪い」といった不便や不足、不満を感じる時代でした。成長社会では、もっと便利な冷蔵庫、もっと性能の良い洗濯機、カラーで鮮明なテレビといった性能や利便性が追及され、早い、安いがもてはやされる大量生産、大量消費という一方向で社会が進展してきました。そこでは、如何に速く、どれだけコストを抑えてモノを作れるかという正解が存在していました。
しかし、100円ショップが流行し、中国製の安価な商品が手軽に手に入る時代になり、ただ早く安いものがよいという価値観だけではなく、より多様な価値観、多少高くてもフェアトレードの商品がよいといった価値観などが存在する社会へと変貌しました。これを成熟社会といいます。成熟社会では、社会は複雑化し、変化が激しい時代になりました。成長社会では「みんな一緒」でよかったものが、成熟社会では、「それぞれ一人ひとり」に細分化されていきます。以前通りの成長や経済的豊かさをよしとする人もいれば、多いより少ない方がいい(ミニマリスト)や速いよりゆっくりを理想とする(スローライフ)人など、さまざまです。
こういう時代では、早く正解を見つけることより、それぞれの状況に相応しい多様な解を導きだすことが必要になってきます。たった一つの正解を探りあてるのではなく、自分が納得し、かつかかわるほかの人々が納得するようなその場での合意を探り当てること、まさに自分の頭で考え、知識だけではなく、経験や技術、価値観などを組み合わせ、それぞれの状況にフィットする最適な仮説を作り出すことが重要なわけです。日本では優秀な官僚や勤勉なサラリーマンが多い一方、クリエイティブな能力を発揮する人が少ないといわれるゆえんでもあるでしょう。実際、PISAでも読解力のランキングが低下した大きな要因は自由記述問題への回答で無回答(白紙)が目立ったことだといわれています。
それに対して、今度は京都大学の過去問ですが、
【2018 年度 京都大学 前期 第問】
中世ヨーロッパの十字軍運動は 200 年近くにわたって続けられた。その間、その性格はどのように変化したのか、また、十字軍運動は中世ヨーロッパの政治・宗教・経済にどのような影響を及ぼしたのか、300 字以内で説明せよ。解答は所定の解答欄に記入せよ。句読点も字数に含めよ。 良い問題ですね。もちろん、これもGoogleで「十字軍 影響」と検索をすると十字軍のあらましやその結果の影響について様々な情報を調べだすことは出来るでしょうが、ポイントを300字でまとめるのは大変です。
確かに、Googleで検索することで様々な情報を得ることはできるでしょうが、何がポイントでどうまとめれば良いのかは、世界史を体系的に学び、理解している人でなければ、この問題を解くことは出来ないでしょう。この問題は、単に知識の多寡を問うような問題ではなく、世界史に対する理解とその理解を表現する力が求められています。ここでは、単なる正解を求めているのではなく、情報を整理してまとめる編集力が問われているのです。もちろん、過去問である以上、研究はされているので、
「十字軍運動は、7世紀以降イスラームの支配下にあった聖地イェルサレム回復のための聖戦として始まった。しかし、第1回十字軍の成功以後,次第に領土・戦利品を目当てとする諸侯・騎士の思惑が色濃くなり、第4回十字軍において、商業圏の拡大を目論むヴェネツィア商人の主導でコンスタンティノープルが占領されると、その大義を失った。この運動で多くの諸侯・騎士が没落し,その領地を没収した国王が権力を強めた。運動開始当初は民衆からの熱狂的支持を受け、13 世紀に最盛期を迎えた教皇権は、運動の失敗で衰えた。また十字軍の輸送を担ったイタリア諸都市によるアジアとの東方貿易が盛んとなり、ヨーロッパ内部でも商業と都市が発展した。」
というような模範解答を見つけることはできるかもしれませんが、これはあくまでもこの問題を後から調べることが出来るだけで、実際にこの問題をアレンジしたような問いが出てきた時に検索するだけでは答えられないでしょう。さらに「十字軍のような戦争行為は正しいものと認められるか?」という問いにはもはや正解はありません。もちろん、これをGoogleで検索することで正戦論や倫理学の学術論文がGoogleScalarなどでヒットするかもしれませんが、それは多種多様に渡る見解が存在し、これが正解などというものがあるわけではないことを思い知るだけでしょう。
正解主義から情報編集力が求められる時代へ
これまでの成長社会では、画一性、同質性を求めるあまり、一人ひとりの個性や能力、学力の違いなどに基づいたテーラーメイドの教育は求められてきませんでした。しかし、成熟社会に変わり、求めるものが正解ではなく、情報を整理しまとめる力が求められてくると、正解に至るための速さや知識の多寡といった情報処理能力ではなく、理解度や表現力といった情報編集力が重要になってきたのです。
こうした成熟社会においては、もはや全員に同じ程度の学力を求め、それに至らない生徒は落ちこぼれていく教育システムでは対応出来ません。さらにこの悪循環は広まり、前書きで示したように、小学校の段階で数学的暗黙知が養われなかった子供は、学年を重ねるごとに、算数嫌い、数学嫌いがひどくなってきます。分配法則をきちんと理解しないと、35×11=は?を普通に暗算するのは難しいでしょう。それができないでいると、因数分解ができなくなる、二次方程式がわからなくなると負の連鎖が続いてしまいます。
もちろん、その子供が算数の基礎レベルから学習しなおすべきことは学校の先生も分かるはずです。しかし、その子供のためだけにほかの生徒を放っておいてマンツーマンで指導するわけにはいきません。どうしても集団学習という形を保っている以上、落ちこぼれは食い止められないのです。
文科省も個に応じた指導というのは問題視しており、学校でも補充的な学習や習熟度に応じたクラス分けなどを行うなどの改善の努力はされていますが、個別指導が主体となることは教育システム上困難であることには変わりません。成熟社会においては、「一人ひとり別」の解を見つけ出していかなければならない一方、一人ひとり別に教育することは集団教育では困難であるという、集団教育と成熟社会のジレンマが生じているのです。
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【監修者】 | 宮川涼 |
プロフィール | 早稲田大学大学院文学研究科哲学専攻修士号修了、同大学大学院同専攻博士課程中退。日本倫理学会員 早稲田大学大学院文学研究科にてカント哲学を専攻する傍ら、精神分析学、スポーツ科学、文学、心理学など幅広く研究に携わっている。 |