共通テストで満点をとるための世界史 世界史講義③ 明の成立から清

〔52〕明の成立

白蓮教による紅巾の乱を経て、自立した朱元璋(洪武帝)が江南を統一し、1368年に明を建国。都を金陵(現在の南京)とし、元をモンゴル高原に交代させた。洪武帝からは一世一元の制が樹立し、皇帝独裁体制が確立し、中書省を廃止し、六部を皇帝直属とした。また、科挙制度を復活させ、中国古来の伝統を復興させた。明律、明令を制定し、法典の整備をし、衛所制をとり、海禁政策を取り、民間貿易を禁止し、朝貢貿易を推進した。110戸を1里、10戸を1甲とし、里長、甲首を置く、里甲制を採用し、徴税・治安の責任を負わせた。租税台帳として戸籍に当たる賦役黄冊(ふえきこうさつ)を作り、土地台帳に当たる魚鱗図冊を作成した。六諭(りくゆ)と呼ばれる六箇条の儒教道徳(儒教、朱子学)で民衆の教化を図った。

〔53〕明の最盛期と衰退

2代目建文帝は、1399年~1402年の靖難の役で永楽帝に帝位を奪われた。永楽帝は都を北京へ移し、内閣大学士を設置し、皇帝独裁の補佐をさせ、明の最盛期を築いた。また、永楽帝は、朝貢貿易(勘合貿易)を促すため、イスラム教徒の宦官である鄭和に南海遠征をさせ、東南アジア、インド洋、アフリカ沿岸まで大航海を行わせた。この大航海は船62隻に2万8千人が投入された。このときに冊封を受けた国には、日本や朝鮮、琉球、南海諸国が含まれる。永楽帝の死後、北虜(北方の遊牧民族)、南倭(沿岸部の海賊で倭寇)に苦しめられ、明は衰退する。正統帝は土木の変においてオイラトのエセン=ハンに捕らえられ、その後、タタールのアルタン=ハンによって北京が包囲された。万暦帝の頃、張居正による改革が行われ、税の納め方を銀納に統一した一条鞭法(いちじょうべんぼう)が施行される。豊臣秀吉による朝鮮出兵が行われた際には、明は挑戦に援軍を送るが、それが財政を圧迫した。万暦帝が朝廷に顔を出さなくなり、東林派(官僚中心)と非東林派(宦官派)が争い、その後、李自成の乱により、明は滅亡する。

〔54〕明の社会

家内制手工業が発達し、綿織物や生糸、陶磁器などが長江下流域で盛んになった。長江下流域が手工業中心になり、稲作の中心は長江中流域の湖広地方に移り変わっていった(湖広熟すれば天下足る)。特権商人とされた山西商人や新安商人が活躍し、同業者の相互補助、連絡機関である会館や公所が設立された。都市部に商人や郷紳など富裕階級が集中し、農村では佃戸(小作人)が困窮し、抗祖運動が起きた。メキシコ(墨)や日本銀が流入した結果、一条鞭法が実施され、土地税と丁税(人頭税)を一括して銀納とされた。

〔55〕明の文化

永楽帝による編纂事業により、中国最大の百科事典である「永楽大典」が作られたり、「四書大全」、「五経大全」「性理大全」など朱子学による思想書がまとめられた。朱子学が官学化されたため、思想が固定する一方、王陽明が、心即理、知行合一を説く実践的な陽明学を大成した。思想はこのように限定的であったが、実学は隆盛し、薬物に関する総合書を李時珍が「本草綱目」、農業技術に関する「農政全書」や暦法を研究した「崇禎暦書」を著した徐光啓が登場した。また、産業技術を伝える宋応星による「天工開物」が著された。庶民文学では、小説「三国志演義」や「水滸伝」、「西遊記」、「金瓶梅」が生まれ、絵画では、董其昌が南宋画、仇英が院体画の流れを受け継ぐ北宋画で活躍した。工芸では、景徳鎮で赤絵が始まった。この時代にイエズス会宣教師のマテオ=リッチが渡来し、中国初の世界地図である「坤輿万国全図(こんよばんこくぜんず)」を作成し、徐光啓と「幾何原本」を作成している。

〔56〕清の成立

ヌルハチが、女真族(満州人)を1616年に統一し、国号を金とし建国した(後金と呼ばれる)。八種類の色で軍隊や行政を分ける八旗を編成し、満州文字を制作した。2代目ホンタイジは、国号を清と改称し、漢人八旗や蒙古八旗を形成した。順治帝の時に、李自成の乱により明が滅亡した後、山海関の呉三桂の先導により万里の長城を通り、中国内へ侵入し、李自成を討伐し、北京を占領した。呉三桂ら3人の漢人武将を雲南、広東、福建の藩王に任じ、三藩を与えた。ヌルハチ、ホンタイジ、順治帝、康熙帝、雍正帝、乾隆帝らは清の六名君と呼ばれるが、その中でも最も名君とされた康熙帝が登場。呉三桂らが1673年に三藩の乱を起こすが、康熙帝が鎮圧。また、台湾の鄭成功らの反清運動も鎮圧し、台湾を直轄領にした。ロシアのピョートル1世と外興安嶺を国境に画定するネルチンスク条約を1689年に結んだ。地丁銀制を開始し、税のかけ方を土地へ一本化した。ちなみに、康熙帝から雍正帝、乾隆帝の時代を清の黄金期と呼ぶ。

〔57〕清の最盛期

雍正帝(在位1722~1735年)は、朝四時から夜十二時までの激務をこなすため、軍機処を設置し、皇帝独裁の補佐をさせた。ロシアとモンゴル、シベリアの国境を画定するため、1727年にキャフタ条約を締結した。孔子を礼拝しても良いかどうかについてイエズス会内部で起きた争い、典礼問題により、キリスト教の布教を禁じた。乾隆帝は、ジュンガルを平定し、新疆と命名した。理藩院を整備し、新疆やチベットなどの藩部といった周辺部を統治する役所を整備した。理藩院の下、チベットや新疆などは、清の領土ではあるものの大幅な自治を与えられた。対ヨーロッパ貿易を広州一港に限定し、公行(こうこう、特権商人)に貿易を独占させる貿易制限令を発令した。そのため、イギリス使節マカートニーが渡来し、通商を要求したが、失敗した。また、1796年に白蓮教徒の乱が起き、次第に社会が不安定化していく。

〔58〕清の社会、経済

雍正帝が設置した軍機処が、政治の最高機関へ変貌していく。兵制では、八旗(満州八旗、蒙古八旗、漢軍八族(黄、白、赤、青を縁取りがあるものとないもので八つに分けた)など旗人に旗地を支給し、さらに漢人で組織する常備軍である緑営を組織した。対漢人政策として、懐柔策と抑圧策を併用し、満漢併用制(役人は女真族と漢民族を同数とする)を採用した。科挙を実施し、編纂事業を行い漢民族の伝統を重視した。一方では、文字の獄、禁書を行い、女真族の風習である辮髪を強制した。税制では、地丁銀制を実施し、丁税(人頭税)を廃止し、土地税の中に繰り入れ、銀で納入させた。海禁政策を緩和し、輸出が盛んになり、銀が流入していたため、公行に貿易を独占させ、貿易を制限したが、その結果、茶を買いたいイギリスの東インド会社と摩擦を起こすこととなった。また、福建や広東などの商人が清を出て東南アジアで貿易を行うなど南洋華僑が増大した。

〔59〕清の文化

康熙帝による「康熙字典」(漢字字典)、雍正帝による「古今図書集成(百科事典)」、乾隆帝では「四庫全書(3万6千冊の重要書籍の集成)」が編集された。唐の孔穎達の「五経正義」、明の永楽帝時代の「四書大全」「五経大全」と区別する必要がある。儒学では、宋や明では朱子学など実践的な哲学が重視されたのに対し、後漢や唐の訓詁学が発展し、黄宗羲や顧炎武、銭大昕(せんたいきん)らによって、考証学が発達し、古典の言語学的研究が進んだ。清末期には、によって、社会変革に結びつく実践を重視した公羊学が起こった。庶民文学では、「紅楼夢」や「儒林外史」などの小説が生まれ、イエズス会の宣教師活動の結果、アダム=シャールやフェルビーストらが大砲の鋳造技術を伝え、ブーヴェが、中国の地図である「皇輿全覧図(こうよぜんらんず)」が作られた。明のマテオ=リッチの坤輿万国全図は世界地図であるので区別が必要。カスティリオーネによって、西洋画法の紹介がされ、中国初のバロック庭園である円明園が設計された。典礼問題とは、キリスト教宣教師の論争で、孔子や祖先に対する祭祀を認めるか否かで、イエズス会は認めるが、その他のカトリックが認めず対立が深まり、康熙帝によりイエズス会以外の布教を禁止したが、続く雍正帝は、キリスト教布教全般を全面禁止した。

〔60〕中国王朝と日本

前漢は、「漢書」の中で倭を紹介し、後漢では光武帝が倭の奴国王に「漢委奴国王」の金印を授けた。三国時代では、魏が邪馬台国と通行し、卑弥呼が「親魏倭王」の称号を得た。その後、ヤマト政権による統一が「倭の五王」として東晋、南朝に朝貢された。隋や唐時代は飛鳥や奈良、平安時代に該当し、遣隋使、遣唐使が派遣された。唐代には新羅と唐の連合軍と百済を救援しようとしたが、白村江の戦いで敗北している。安史の乱の後、唐末期には、菅原道真により遣唐使が中止され、国風文化が流行するが、宋代には鎌倉時代になり、元代には、日本遠征(元寇)が行われ、文永、弘安の役と呼ばれている。明代は、室町時代に対応し、倭寇の活動が活発化される一方、日明貿易(勘合貿易)を行い、足利義満が日本国王に任じられている。豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄、慶長の役)は、壬辰、丁酉の倭乱と呼ばれている。江戸時代、徳川家康は朱印船貿易を促進し、東南アジアへ進出した。清の時代は、マカオ(ポルトガル)、台湾(オランダ)を通じて、日中貿易がされていたが、鎖国政策により、交易はなくなった。この時代、琉球は日中両国に両属していた。

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